一九八〇年代をどう表現するか。経済は絶好調。メード・イン・ジャパンの製品は世界中で売れに売れる。エズラ・ボーゲル氏が『ジャパン・アズ・ナンバーワン』で世界は日本を見習えと書いたのは七九年。日本人が戦後、最も自信にあふれていた季節だろう▼YMOの「ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー」の発表が同じ年だった。テクノポップと呼ばれる電子楽器による新しい音楽。欧米での評価も高く、当時の日本人はSONYやTOYOTAと同じようにYMOに日本の自信を感じていた気がする▼日本のロックドラマーの先駆者でYMOなどで活躍した高橋幸宏さんが亡くなった。七十歳。アルバム同名曲や「シチズンズ・オブ・サイエンス」でのタイトで正確なドラムや独特なボーカルを思い出す▼日本人の自信と書いたが、YMOが奏でていた音楽はそれとは正反対だったのだろう。経済繁栄の中、非個性的で画一的な技術の時代へ向かうことへの皮肉と警鐘。機械による音楽や高橋さんのアイデアでメンバーが着た赤い人民服もその表れかもしれない▼サディスティック・ミカ・バンドでの盟友、加藤和彦さんが高橋さんを「空が青いと歌っただけで悲しさを表現できる」とかつて評した▼無機質にも聞こえた音楽だが、高橋さんは人類の悲しみを歌声とドラムに込めていたか。走りすぎてしまったドラムがつらい。
面子(メンツ)を重んじるといわれる中国人。贈り物は大きさにこだわるらしい▼中国語学者の小野秀樹さんの知人が北京を訪れ、旧知の中国人に連絡をとると、巨大な果物かご二つを手土産に宿泊先に来た。北京滞在は短く一人では食べきれず、検疫の関係で日本にも持ち帰れない。困惑するほどの量こそ、中国人の誠意の表現らしい▼高価なら値札を張ったまま贈る人もいる。中国人にとって誠意とは可視化されるべきもの。ブランド品好きも外観でそれと分かるからで「一品一品手作り」などと説明を要する価値はピンとこないらしい。小野さんの著書に教わった▼新型コロナウイルスをめぐる日本政府の水際対策は、中国人の目に「不誠実」と映るのか。中国本土からの入国者に空港での検査などを求める方針に、中国政府は「差別的」と立腹。お返しとばかりに日本人へのビザ発給手続きを停止した▼たしかに日本の空港では中国便の客だけ別扱いで、そこで可視化される風景は「差別的」ととられる恐れはある。中国での感染爆発は深刻で陰性なら問題なく入国できるのだから差別の意図はないと説明しても、先方は目に映る態度こそ日本の真意の表出と思うのかもしれない▼面子をつぶされたらしい隣国の怒りはいつ鎮まるのか。大きな買い物袋を抱えて歩く人々が戻ってきてほしいというこちらの期待は偽りなく、大きいのだが。
犬養毅首相が凶弾に斃(たお)れた一九三二年の五・一五事件は新聞も世論も下手人の海軍青年将校らに同情し、減刑嘆願運動が広がった。事件後の記事差し止めが解除され、裁判が始まると報道は過熱した▼政党や財閥の腐敗を憎む被告たちの言い分が伝えられた。法廷の様子をつづる記事の見出しは「級友からの贈物純白の制服姿 ズラリと並んだ十被告」。服の白さで動機の純粋さを強調する記事である▼弁護側が赤穂浪士の「義挙」を例に、被告の思いを訴えた記事の見出しは「傾聴の裁判長も双頬(そうきょう)に溢(あふ)れる涙 山田弁護士、火の如(ごと)き熱弁」。減刑を願い切断した指も寄せられた。判決の量刑は重くなく、世は政党が没し軍が台頭する。歴史家筒井清忠氏の著書に詳しい▼安倍晋三元首相が銃撃され死亡した事件で山上徹也容疑者がきょう、殺人罪で起訴される▼事件で旧統一教会と政治家のつながりが注目された。インターネットでは減刑を求める署名活動が行われ、英雄視する投稿もある。容疑者のもとには現金やファンレターも。宗教の問題は考え続けねばなるまいが、人を殺(あや)めた者への過剰な肩入れはやはり間違いと思える▼安直な勧善懲悪劇として五・一五事件が伝えられた当時は、新聞の部数伸長期だった。その勢いは今世紀のネット空間並みだったろうか。時代は変われど過熱の危うさが変わらぬことは、心に留めたい。
一八二三年、サッカーの試合で、一人の少年がボールを拾い上げ、ゴールを目指して駆けだした。おなじみ、ラグビーの起源とされる英国のエリス少年の伝説である。今年で二百年ということになる▼高校ラグビー、大学ラグビーの全国大会が閉幕し、シーズンが終わりを告げる。このあたりから毎年、本格的に寒くなるような気がする▼高校の決勝戦は東福岡が報徳学園に41−10で勝利。高校三冠のかかった報徳だったが、思わぬ得点差がついた。大学の決勝はそれを上回る大差で、帝京が早稲田に73−20の記録的な圧勝。手が付けられぬ帝京の強さに、ワセダのファンは絶句したか▼「勝ちに不思議の勝ちあり。負けに不思議の負けなし」。野球の野村克也さんがよく使っていたがラグビーは「不思議の勝ちもなし」だろう▼個人の能力、戦術、選手層の厚さ。総合力がものをいうラグビーは番狂わせが少ない競技で、実力差がそのまま勝敗、得点差として表れる。その大差は言い訳のできぬ実力の差。エリス少年、残酷な競技をこしらえたものだ▼くやしくとも力の違いを受け止め、追いつき、追い越すため、次のチームがまた鍛錬を積んでいく。エリス少年がボールを抱えて以来、二百年の全てのチームがやってきたことでその心意気こそラグビーの最大の魅力かもしれぬ。来年も帝京だろうって? そんなことは分からない。
アリスの『チャンピオン』は昭和のヒット曲。メンバーの谷村新司さんが作詞・作曲した。盛りを過ぎたボクシング王者が若き挑戦者に屈する哀(かな)しみを歌う▼詞は「立ち上がれ もう一度その足で 立ち上がれ 命の炎を燃やせ」と敢闘を祈るも敵は冷酷だった。「獣のように 挑戦者は おそいかかる 若い力で」。カラオケでは特に、ある世代以上の男性が好んで歌う印象がある▼話はボクシングでなく将棋。歌詞とは老若が逆だが、若きチャンピオンと年上の挑戦者が戦う。藤井聡太王将(20)=竜王・王位・叡王・棋聖=に、羽生善治九段(52)が挑む王将戦があす静岡・掛川で始まる▼ある本には「棋士のピークは二十五歳くらい」とあった。その年齢で当時の七冠独占を果たし、長く一線で戦った羽生さんも二〇一八年に無冠に。負けが先行する低迷も経験したが立て直し、王将戦挑戦権を得た。社会では既にベテランの「アリス熱唱世代」には今回、挑戦者びいきが多い気がする▼かの曲のモデルは元東洋王者カシアス内藤さん。王座を失いやがてリングを去るが、約四年のブランクを経て三十歳目前で復帰し、王座に挑むも散る。ジム訪問の機会を得た谷村さんが見たのは、復帰のころの猛練習だった▼何かを取り戻そうともがく姿は、王将に挑む人の相似。盤を挟んで受けて立つ若人ともども、命の炎を燃やすのだろう。
<きょうも外へ出ない。テレビでは毎日、若い人が走る。走る>。ある年の正月の日記に作家の池波正太郎さんが書いている。こう続いている。<日本は平和だ。不安になるくらい、平和である>▼箱根駅伝の中継を見たらしい。頭に浮かんでいたのは日本が貧しかった時代の若い人の姿か。その対比と時代の変化に平和を見たのであろう▼箱根駅伝は駒沢大学が総合優勝を果たした。おめでとう。きなくさい話を聞かぬではないこのごろなれど今年も「若い人が走る」平和を迎えられた。なるほど、駅伝が新年を彩る風物詩となっているのは平和のめでたさとありがたさを心のどこかで感じているからかもしれぬ▼見る者をひきつけるのは選手のひたむきさにあるのだろう。ひたむきの語源は「直向き」だそうだが、一つの方向をまっすぐに見つめ、迷いなく取り組む姿がまぶしく、心を新たにする季節に自分もかくありたいと願いもする。これも正月に若い人の走りが欠かせぬ理由か▼<黒土を蹴って駈(か)けりしラグビー群のひとりのためにシャツを編む母>寺山修司。ラグビーの短歌だが、どんな選手にも声援を送り、支える家族がいる。選手のがんばりを見て、やはり自分を支える家族や仲間をありがたいとあらためて感じる方もいるはずだ▼本日は仕事始め。うまくできているもので駅伝に励まされ、また通勤の駅へと向かう。