落合博満 2020年 故野村克也を偲び、しみじみ語る映像です。ハンカチのご用意を…
ベケットの『ゴドーを待ちながら』。題名だけならゴドーが主役と勘違いするか。主役はもちろん、ゴドーを待ち続けるウラディミールとエストラゴン。ゴドーは出てこない。出てこないのだが、二人の会話によって観客は目に見えぬゴドーの大きな存在を感じる。そういう芝居だろう▼さて、この会議の「主役」は誰だったか。閉幕した英国コーンウォールでの先進七カ国首脳会議(G7サミット)である▼候補としては首脳宣言をそつなくまとめ上げた議長国のジョンソン英首相か。あるいは前任のトランプさんとは異なり、サミットを重視する姿勢を示した米国のバイデン大統領か▼いずれでもなく、「私が主役」のタスキをかけるべきはこの方だろう。中国の習近平国家主席である。無論、サミットには出席していないが、それほど大きな存在、あるいは脅威として会議の場に確かにいたのである▼首脳宣言には中国の海洋進出や台湾問題が明記された。途上国への十億回分のコロナワクチン支援にしても中国のワクチン外交に対抗する狙いがある。不穏な動きを強める中国に対して、一致して封じ込めを図る。その狼煙(のろし)を上げたのがこのサミットだろう▼言うべきことは言う。当然だが、これで中国が自重するかといえば期待できまい。敵対心をさらに強める危険もあろう。今後、必要なのは「主役」との対話と説得である。
<花と咲くのもこの世なら/踏まれて生きる草だって/唄を唄って今日もまた…>。作曲家の小林亜星さんが亡くなった。八十八歳。テレビから流れる亜星作品を毎日、耳にして育った世代としてはその訃報が寂しい。また昭和が遠ざかる▼CM、歌謡曲。今でも歌える作品の数々。何から書き始めるか迷い、この曲を選んだ。冒頭の歌詞を読んでもピンとくる方は少ないか。CM曲の「酒は大関」である。歌ったのは加藤登紀子さん。よく流れていたのは一九七〇、八〇年代か▼作曲はもちろん、作詞も亜星さん。人生はなかなかうまくはいかない。それでも、<生まれたからにはどんとやれ><唄を唄って今日もまた>と人を励まし慰めている。そういうCM曲はなかなかお目にかかれない▼「CMソングはハッピーでなければならない」というのが持論だったそうだ。「ワンサカ娘」「どこまでも行こう」や<金銀パールプレゼント>の「ブルー・ダイヤ」。なるほど「ハッピー」で、高度成長期の日本によく似合っていた▼大学の医学部に入ったが、音楽に熱中し、医師への道はきっぱり捨てた。「ワンサカ娘」は作曲家としての実績もないまま引き受けた。そして芝居経験ゼロで人気ドラマ「寺内貫太郎一家」への出演▼<生まれたからにはどんとやれ>。詞の通り、人生を楽しんだ「ハッピー」な作曲家とのお別れである。
人はどこから来て、どこに行くのかを知ることができない。人生は旅であり、「未知のものへの漂泊」であると哲学者三木清は『人生論ノート』で述べている。あてどない旅が、ふと恋しく思える心理が、人に備わる理由かもしれない。遠くへの移動や不要不急の外出を控える時間が長くなると、よけい強くなる心理でもあろう▼中国に少々うらやましく思える漂泊の一群がいる。野生のアジアゾウの集団だ。南部の生息地を後にして、どこに行くのか知れない長旅を続けている。大都市の郊外にも入り込んだ。四百キロ以上に及ぶ移動は異例であるそうだ▼出産や離脱で増減しながら十五頭前後の旅である。通過した農地の作物などに大きな被害があり、元いた場所に戻そうと誘導もした。だが、従わず徐々に北の方に進んできた▼ネットで近況をつい探してしまう。多くの人に縁遠くなっているはずの「漂泊の旅」に世界から注目が集まっているそうだ。最近は子ゾウを取り囲むように、昼寝する姿が報じられ話題になった▼えさを求めてという説があり、開発で環境が変わり、新たな居場所を探しているのではないかともいわれる。だが、移動の理由ははっきりしない▼地平線の向こうが見たくなったとか、未知の大地が呼んでいるからとか。動物に感情を移入する愚を思いつつ、旅が恋しいこの時節、漂泊のロマンをつい重ねる。
魔女が生まれたばかりのオーロラ姫に呪いをかける。「この子は糸車の針に刺され、死ぬだろう」。童話の「眠れる森の美女」である▼別の魔法使いがこう申し出る。「呪いは解けませんが呪いを弱めることはできます」。姫は死を免れるが、百年の眠りにつく▼作家の中島京子さんが小説『長いお別れ』の中でこの話を認知症の薬にたとえていた。認知症の家族を世話する方ならお分かりだろう。医師から処方薬についてこんな説明を受ける。「薬は症状の進行を遅らせるもので進行を止めることはできません」。今の薬では認知症という「呪い」を解けない▼ついに新しい魔法使いが来てくれたのか。日米の製薬会社が開発したアルツハイマー病の新薬「アデュカヌマブ」を米食品医薬品局が承認した。「進行を遅らせる」以上に「進行を抑制する」世界初の薬だという▼アルツハイマー病は「アミロイドβ(ベータ)」というタンパク質が神経細胞を傷つけることで起こるとされるが、新薬にはこのタンパク質を減らす効果があるそうだ。「呪い」の原因を直接たたくのか▼世界の認知症患者数は約五千万人。大半がアルツハイマー病である。有効性に不確実な部分もあり、臨床試験を追加する条件付きで承認されたが本物であれと願う。患者に加え、家族や周りを含めれば、その病はいったいどれだけ多くの人を悲しませていることか。