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東京新聞 今日の社説

2021年06月27日 | Weblog
まずは、こんな笑い話から−。
 金に困っていた、あるひなびた宿の主人夫婦。一人の客が「泊めてくれ」とやってきて、百両もの大金が入った荷物を帳場に預けてさっさと寝てしまったことで、よからぬことを思いつく。客に金を預けたことを忘れさせよう。
 それで、夫婦がとった策略はというと、しゃにむにミョウガを食べさせるというもの。あの野菜には食べると忘れっぽくなる、という俗説があるんですね。翌日、客の朝餉(あさげ)にとにかくミョウガの入った料理を次から次へ。客は「うまい、うまい」といって食べると、何と、狙い通りお金のことをすっかり忘れて宿を出て行く…。
 このごろ、政界のお歴々の言動を見ていて、ふと想が連なったのが、この落語『茗荷(みょうが)宿』でした。

◆答えにならぬ答え

 例えば、参院選広島選挙区をめぐる買収事件。先ごろ、元法相に実刑判決が言い渡されましたが、自民党本部から、妻の元参院議員の陣営に、他の候補陣営の十倍、一億五千万円もの巨額が投入された経緯については、依然、まるではっきりしません。
 二階俊博幹事長は当初、「私は関与していない」、林幹雄幹事長代理は「当時の(甘利明)選対委員長が担当していた」と述べていたのですが、甘利氏が否定すると今度は二階氏、「党全体のことをやっているのは総裁(当時は安倍晋三前首相)とか幹事長の私」だと前言撤回。そのくせ二人からの具体的な説明もありません。
 元法相は買収には使っていないと言っていますが、鵜呑(うの)みにする人は少ないでしょう。そもそも一億五千万円の大半は、国民の税金が原資である政党交付金から出ているとも。誰の責任、どんな経緯で提供されたかは国民に説明されて当然ですが、お偉方たちは、とにかく、のらりくらりなのです。
 東京五輪開催を巡っても、先の国会で、野党議員らがあれこれの質問をぶつけたのに対し、菅義偉首相は、ただ「国民の命と健康を守っていく」と繰り返すばかり。学術会議メンバーの任命拒否問題で、理由を問われ「総合的、俯瞰(ふかん)的に判断した」と繰り返していたことを思い出します。さらに言えば、「答えを差し控える」という“答え”は、もはや首相の十八番(おはこ)になっている感さえあります。
 森友・加計疑惑や、「桜を見る会」の問題もしかり、安倍政権の時代から首相や自民党幹部に共通するのは、国民や野党、メディアの問いに、本気で答える気、まじめに説明や釈明をする気がない、としか思えない態度です。都合の悪いことは、のらりくらりとはぐらかし続け、責任だの過ちだのを明確にしさえしなければ、国民もメディアも早晩忘れると、考えているのでしょう。
 だから『茗荷宿』なのです。まるで、あの宿屋の夫婦みたい。国民には、とにかく、ミョウガならぬ「答えにもならぬ答え」だけ与えておけば、きっと、そのうち忘れる−。そう、たかをくくっている気がしてなりません。

◆忘れたら、思うつぼ

 最近、運転四十年超の美浜3号機が再稼働しました。既に他の「例外」も控え、寿命四十年のルールは、もはや骨抜き。世界が再生可能エネルギーに注力する時代に、原発に固執する自民党政権の姿勢が如実です。
 原発については、安全性や使用済み核燃料の処分にからむ持続可能性、さらには経済合理性に関してさえ疑問の声が絶えないのに、やはり政権は、のらりくらり。異論をはぐらかしながら再稼働を続けていけば、そのうち国民は原発への不信感など忘れると、そう思っている気がします。
 <羹(あつもの)に懲りて膾(なます)を吹く>とは、熱い汁物で口をやけどしたのに懲りて、冷たい膾にまで息を吹き掛け冷まそうとする−即(すなわ)ち、見当違いな用心の例えですが、十年前、わが国はあの福島の事故を経験しているのです。原発への不信とはまさに<羮に懲りて羹を吹く>、いわば当然の学習にすぎません。それとも政権のお偉方たちは、私たちのことをよほど忘れっぽい、つまりは<羮に懲りても羹を吹かない>国民だとみているのでしょうか。だとしたら失礼千万です。
 あの落語には続きがあります。一度は大金の入った荷物を忘れて宿を出た客でしたが、実は、すぐに気がついて取りに戻ってくる。忘れはしなかったのです。ぬか喜びに落胆し、渋々、荷物を返して客を見送った後、悔し紛れに主人が「何か、あの客が忘れていったものはないのか」。ややあって妻が、ひと言。「ありゃ、宿賃払うの忘れていった」
 都合の悪いことは「忘れてほしい」と望み、「忘れるだろう」とたかをくくっていれば、しっぺ返しを食うことになる。何だか、そんな教えのようにも思えます。

 


今日の筆洗

2021年06月27日 | Weblog
 星新一さんが一九六〇年に書いたショートショートに「生活維持省」という作品がある。未来の社会はこの役所の働きのおかげで豊かで平穏な暮らしが守られている。いったい、どんな仕事をしているか▼これがおっかない。計算機が毎日、無差別に人間を選びだし、この省の役人が選ばれた人間を光線銃で殺していく。役人が言う。「この方針をやめたら、どうなります。たちまち昔のように人口が増え…」。殺人によって人口増を抑えるという筋書きである▼当時は人口爆発への不安があったのだろう。未来をズバリと言い当てた作品の数多い星さんもここは見誤ったか。日本の総人口である。国勢調査の速報値によると、二〇二〇年十月時点の人口は一億二千六百二十二万六千五百六十八人で前回の調査(一五年)から約八十六万人減った▼前回に続いてこれで二度目の減少。にぎやかだった広場から人々が次々と消えていく。そんな寂しい光景を見ている気分になる▼減少率は0・7%で、前回ほど悪くはないが、これも外国人の増加のおかげという。あのショートショートから約六十年後の日本は人口増ではなく人口減で悩んでいる▼コロナ禍で出生数の落ち込みもあり人口減はさらに進む可能性もある。星さんの予言が当たったとすれば「生活維持」のための抜本的な人口問題への取り組みが必要になっている点であろう。