あるとき、<オカイコさんを見倣(なら)って生きていこう>と、心に決めたそうだ。蚕は桑の葉を旺盛に食べて純白の糸を吐く。<秀才といわれた人が、すこし赤い本を読むと、赤いことばを吐く。黒い本を読めば、吐く糸は黒である…色のついたものは、ひととき美しく思えても、やがて色あせる>(『三河の風』)▼博学、博識にして、色あせない言葉を紡ぎ続けた外山滋比古さんである。ベストセラー『思考の整理学』の著者として知られる人が九十六歳で亡くなった▼日米開戦前、白眼視もされつつ敵の言葉だった英語を学ぶ道に進んだ。戦後は一転、英語や西洋文化がもてはやされる。敵視や礼賛の一色に染まらず、旺盛に学び独自の思索を深めている▼アイデアを形にするには<頭の中の醸造所で、時間をかける…しばらく忘れるのである。“見つめるナベは煮えない”>−など。近代の思考に漬かった頭を刺激してはなるほどとうなずかせる論考の数々。『思考の整理学』や随筆で、晩年まで人を魅了した▼三河地方は愛知県寺津町、現在の西尾市に生まれた。家康を生んだ地方には、明治政府に冷遇された意識が残っていた。大きなものに頼らず、くみしない気風「三河の風」に吹かれてきたと自認する▼老境について、この先の世の中について、風にたなびく白い絹のような新鮮で色あせない言葉をもう少し聴きたかった。
終戦後も、使われたはずである。「慰霊」の「霊」は旧字体で「靈」と難しい。器をかたどっているらしいが、見れば、横一列に並ぶ「口」がある。慰霊に臨む時、人は今この世にいない人々が発する言葉に、耳を澄ますものかもしれない▼きょうは広島原爆忌。午前八時十五分の投下から、「草木も生えない」と言われた七十五年の月日がたって、迎える慰霊の日である▼<ピカは人が落(おと)さにゃ落ちてこん>。耳に響いてくる言葉があるとすれば、「原爆の図」の画家丸木位里さんの母スマさんの嘆きもその一つだろうか。<まるで地獄じゃ…鬼の姿が見えぬから、この世の事とわ思うたが>などの言葉とともに書き留められ語り継がれる▼人が落とすおそれが、この歳月にしてなお消えていない核兵器である。手を合わせながら七十五年の人の営みを問うなら、心にはさらにどんな言葉が返ってこよう▼史上初の核実験から七十五年を迎え、トランプ米大統領は先日、実験を「素晴らしい偉業」と語ったそうだ。地球上にいまだ一万発以上の核弾頭があって、保有国の米中は緊張の渦中にある。核兵器禁止条約は日本が参加せず、発効もしていない▼<しずかに耳を澄ませ/何かが近づいてきはしないか…午前八時一五分は/毎朝やってくる>。生誕百年を迎えた詩人石垣りんさんの『挨拶(あいさつ)』。聴くべきものが多い慰霊の日だろう。
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定年迫る身となって中学のときの「下敷き」を思い出すのは妙な話か。一九七〇年代半ばのことである▼透明のカード入れのような下敷きで、その中にあのころの少年少女は憧れの俳優や歌手の写真をよく忍ばせていた。授業中、ながめて時間を忘れる。知らないとは言わせない▼映画「小さな恋のメロディ」(七一年)のトレーシー・ハイドとマーク・レスターの二人も「女子」の下敷きによく見かけた。英国の映画監督アラン・パーカーさんが亡くなった。七十六歳。「ミッドナイト・エクスプレス」「アンジェラの灰」など数多くの傑作を手掛けた名監督だが、原作と脚本を担当した「小メロ」(当時そんな言い方をした)がまず頭に浮かぶ人もいるだろう▼生まれて初めて書いた脚本だそうだ。コピーライターとして勤めた広告会社が映画製作に進出することになり、突然、脚本を頼まれた。自分の子ども時代の思い出が浮かんだ。恋する少年と少女の物語−▼英国、米国では不入りだったが、なぜか日本からたくさんのファンレターが届く。それで日本で社会現象になるほどの大ヒットとなったと知る▼困難な状況にある主人公が希望へと向かう物語に持ち味があった監督である。あの映画の最後は二人がトロッコでどこかへと旅立つ場面だった。感謝と称賛の拍手の中、監督のトロッコが今、目的地に到着したようである。