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今日の筆洗

2020年08月04日 | Weblog
 歌人の斎藤茂吉は大正、昭和の人気力士、出羽ケ嶽の熱狂的なファンだった。茂吉の父親が十一歳の出羽ケ嶽を引き取り、面倒を見ていたというからファンというより年の離れた兄弟のような関係だったのだろう▼<床に入りて相撲の番附(ばんづけ)を見てゐたり出羽ケ嶽の名も大きくなりて><わが家にかつて育ちし出羽ケ嶽の勝ちたる日こそ嬉(うれ)しかりけれ>。順調な出世が茂吉の歌で分かる▼やがて歌は沈うつの色を帯びる。<番附もくだりくだりて弱くなりし出羽ケ嶽見に来て黙(もだ)しけり><五(いつ)とせあまりのうちにかく弱くなりし力士の出羽ケ嶽はや>。関脇に昇進したが、病気やけがで三段目まで落ち、その後、引退した▼茂吉の歌でいえば<くだりくだりて>から歯を食いしばり、もう一度、<嬉しかりけれ>や<大きくなりて>まで戻ったのである。大相撲七月場所で優勝した照ノ富士。やはり病気とけがに泣き、大関から一時は序二段まで下がりながらもつかんだ賜杯。ひときわ輝く▼せっかく登った山から転落した。それでも立ち上がり、再び高き山を目指した。最初の苦労を知る分、ひるみたくもなっただろう。あきらめても誰も文句は言えぬ過酷な状況にもその人は登り続けた。そして、戻った▼コロナ禍の日本を千秋楽の寄り切りが励ますようである。疫病退散の妖怪アマビエに並べて、不屈の力士の手形を飾りたくなる。巨体で支えた相撲人気… 
出羽ケ嶽の孤独

 


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