さて、本ブログで注目の「三田用水」。エリア内での今の姿を写真を中心に紹介したい、と。起点から行きますよおおおおお!
写真は北沢5丁目、旧玉川上水緑道に中野通り五條橋交差点付近から入った付近。この辺りの家並みは次の写真のように石組みの土台で少し高くなっています。ねえ、以前に用水が在った感じがするでしょ。
ところが、それまでの情報、Google Map上でこの辺り、と指示があり、地勢的にもtokyoboyが玉川上水から三田用水への取水口のロケーションと考えていたこの地点。辺りを歩き回り、塀越しにその先の空き地を覗き込んだり;;と(しかも2回に渡り!)頑張ったんですが、取水口そのものも目黒区HPに記載されている「石碑と弁天堂」とかそういった証跡も無い!
まさか、でHPなどの情報をもう一回チェックすると、左写真のところ、笹塚橋のところから取水された、とか。ここは前から気が付いているポイントです。
写真では草が生い茂っていて明確ではありませんが、正面(下流方向です)、玉川上水が地下化する鉄柵の右側の部分に取水口があるのだとか。資料的には”三尺四方”っていう奴でしょうか。その先、ちょいと行った次の写真、左側家に向かう下から北沢5丁目商店街の方に暗渠化した三田用水が存在したようです。ここだけ玉川上水跡緑道の幅が広がっているのお分かり頂けますか…そこからいきなり人家になってしまうのはビックリなんですが、tokyoboyの見立てでは後は北沢5丁目商店街の通りが暗渠ではなかろうか、と。
とはいえ、ここまでは”足と目”での情報ではないので、前述の”その近くに建つ石碑と弁天堂”というのはいずれやっつけないとメ
その後は、次の写真、ルート的には北沢5丁目商店街から井の頭通りを渡って、その次の北沢小学校横の左右ががっちり石造りの壁で出来ている小道に入るのは地形的にも、遺構らしき石組みからも間違いないんですけどねえ…
ここから次の写真ポイントまでは道沿いに暗渠があると仮定すると結構クネクネしていますが、時折残る石組みを追っていくと…
最初の写真は茶沢通り、起点から直ぐ、左側の公園を超えた次の角ですが、ここから東北沢の駅に向かい、その次のように小田急線を越えて南側へ。
幾つかの資料では小田急線の線路の下に管路が埋められていた、と記されています。2枚めの写真を逆方向に1ブロック行くと、昔SMAPのキムタクが住んでいた、と言われるマンション前となり、そこから再びクネクネした道を行って(まあ、これも前述のように今の道也に用水が存在していたのであれば、という仮定前提ですが…)、次のポイントへ。
最初の写真は松蔭学園テニスコートの横道ですが、このルートには正面に見えるような石組みが道也にあって、どれも濡れたというか水が奥まで浸み込んでいる感じがしているんです。
そして、最後の写真、三角橋に到着です。
この後、山手通りまで足を運ぶと、ルートは東大駒場の敷地内になるんですが、こんなHPを発見しました。へえ、東大駒場の山手通り沿いのコンクリートの壁、確かに昔から下部だけ大きく角張っているんですが、あれが三田用水だったんだ!と判明。納得です。
車で走って見てみると、一部を残して現在の首都高工事で破壊されています。東大敷地から水路が山手通り沿いに出て来るポイントの構造物とそこから15m位かなあ、の角状ブロックは残っていますから、写真を撮り次第アップします。
もうこうなると興味という”病”は膏盲に至り、先を急ぎます…が、続きリポートは別記事(Vol3)で。次は勝手にオリジナルの発見、と信じ込んでいる”驚愕の事実”を証拠写真付きでお伝えします^^
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