tokotoko花日記

富山発 我が家のガーデニング便り
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長岡戦跡めぐり

2019-08-09 | ブログ2019
昨日、coopとやまの「平和のつどいバスハイク」に参加しました。
今年の見学先は、「長岡戦災資料館」と「山本五十六記念館」でした。



長岡は富山と同じ日に空襲に遭いました。
長岡戦災資料館で、ボランティアさんのお話を聞いたりビデオを見て、アメリカが如何に用意周到に空爆したかを知り愕然としました。
長岡戦災資料館では、空襲で命を落とされた方々の遺影を集めたり、被害に遭った家と難を逃れた家を地図で色分けして資料を残しておられました。
爆弾の模型、召集令状 赤紙の実物、実際に使っていた防空頭巾、千人針・・・
見ているだけで、目頭が熱くなりました。
二度とこのような過ちを犯してはならない・・・と深く感じました。
広島の原爆資料館にも以前行った事がありますが、どこか遠い出来事の様な気がしていましたが、今回眼の辺りにしたものは、現実に自分の両親が体験した事なのだと実感しました。

私の父は、終戦の直前に赤紙が届き、戦争は終わったけれど、お咎めがあってはいけないと思い、取りあえず石川県の小松基地に出向いたものの、帰って良いと言われ、即刻帰されたと聞いています。
富山空襲の日、私の母は大沢野に住んでいたので、被害には逢いませんでした。
富山市内の空が赤々と燃えあがり、事の重大さも分からず、綺麗だ・・・と眺めていたとの事です。
姑は、大泉に住んでいたので、空襲で家が燃えてしまいました。
前に流れるいたち川に入り、惨劇が静まるのを待ったそうです。

空襲に遭った8月1日には、慰霊の花火大会が開催されます。
その花火大会に慰霊の意味が込められている事を知らない人が増えてきているそうです。
富山でも、このような資料館を作り、戦災に遭われた方々の言葉や残っている資料を大切に保管し、後世に伝えて行く必要があるのでは・・・と感じました。

お昼は、名物のへぎ蕎麦を食べました。





午後からは、山本五十六記念館へ



戦争にはあくまで反対だったものの、その意に反し連合艦隊司令長官として戦争の指揮を執った山本五十六の人間性を伝えるための記念館でした。
素晴らしい達筆に驚き、生きる時代が違えば、別の立派な功績を残されたに違いないと感じました。
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