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「成院と患者」10

2019年07月12日 | T.B.2002年


「医師様」

 彼は、彼女を見る。

 彼女の手元に、

 いつも握られていた、針と糸は、ない。

 離れ家は、静かだ。

 彼は云う。

「君に、あの薬を使うことはなくなったよ」
 彼女は目を見開く。
「まさか、」
「本当だ」
「……でも」

 これから、君は……。

 彼は、云おうかどうか迷う。

 迷って、

 口を開く。

「君は、これから、どう生きていく?」
「え?」

 彼女は、彼を見る。

「これからも、ここで、」
「ええ」
「その、……お腹の子どもと」

「…………」

 彼女は答えない。

 彼は、首を振る。

 この彼女と次期宗主の間に、いったい何があったのか
 自分は、知ることもないのだろうけれど

 ただ、

 彼女の表情は、哀しそうだった。

「いろいろと、私のために、ありがとうございました」

 彼女は、頭を下げる。
 そして、晴れの日の衣装を取り出す。

「医師様のおかげで、これを完成させることが出来ました」
「出来たの?」
 彼は、少し笑う。
「よかったね」

 彼女の手には、男物と女物の衣装がある。

「じゃあ、……行くよ」

「医師様」

 行こうとした彼を、彼女は呼び止める。

「これを」

 彼女は、それらを差し出す。

「これをどうぞ、お使いになってください」
「え? でも」
「医師様の晴れの日に、使っていただければ」
 彼女が云う。
「上物の布と糸です。喜んでいただけるかと」

 彼はそれらを見る。

 恋人が、喜ぶ……。

「……ありがとう」

 彼はそれらを受け取る。

「いいえ」
 彼女は首を振る。
「感謝を申し上げるのは、私なのです」

 彼は、彼女を見る。

「また何かあったら」

 そう云って、彼は、口ごもる。

 今後、彼女に会えるかどうかは、判らない。

 彼は、少しうつむく。

「さようなら」

 彼女が云う。

 彼は、彼女が作った晴れの日の衣装を持ち直す。

「これ。本当に、ありがとう」

 彼女に、頭を下げる。

 部屋をあとにする。

 ――私がそれを使うことは、本当になくなってしまいましたから。

 彼女が、そうつぶやいたことを、彼は知るよしもない。





2002年 東一族の村にて



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