*11/3、今日は祝日だそうであるが、なんの祝日だがわからない、だが、今日は、
Marvelous、Wonderful day!it's real!
*車椅子を滑るように落ちて、圧迫骨折となった彼女は、入院3ケ月、老健3ケ月で、ハシもてない、排便も分からない、ホトンド廃人に近い状態で退院してきた、病院の担当医で副院長は、車椅子の彼女をメで射して告げた、「これ以上よくなることはアリマセンからそのツモリで」、その医師はその病院にはもうイナイ、この医師は退院の際に、リハビリマッサージの承認を貰いたいと告げたときに、「私はハンは押せません」と答えた、老健の医師も同様に、退所の際に、リハビリマッサージのハンを押さなかった、彼ら2人に以下のダイアリーを見せてやりたい、ボクよりも、20才以上の年下の医師たちだから、ボクは告げる資格が在るハズである、君らのその否定のコトバはドコカラでてきたのだと、整形科の医師は認めないヒトが多い、とリハビリストは言う、患者の個性はその医師のサイドには存在していないないようである、それが問題なのだ、
*出てきてから、歩きながら、ネムリながら、キーボード叩きながら、ドシタライイノ?と、ヒャマンベンも呟いてきた、6ケ月の入院中、入所中も一日も休まずに、彼女の一日一回の食事のケアに訪れることを欠かさなかった、
*老人健保ではまるで監獄みたい?なことがあった、歯科の医師に見て貰って、歯磨きのやり方をヘルパーに教示してもらった、彼女は上下が差し歯であったからである、ところが、その手間がかるからといって、週2回のリハビリを一回に減らしたのである、リハビリストも折角:歩けるメドが見えてきたのでといってくれたが、言い出せる雰囲気がその老健にはなかった、自己負担だけで月に60万円程度を払っていた、一人部屋にしたのはボクの決定的なミスであった、”孤独は毒薬である”、当時のケアマネもspinoutした新米をボクが決めたのだから、自己をノロウしかかない!
*その健保にいた頃のことだが、彼女の部屋の入り口に70才前後だと記憶するが、女性が立っていた、見知らぬヒトが、頭を下げて、「あなたにお礼がいいたい、よく尽くしてくれています、アナタノヨウナjヒトはいません」、といって入り口から離れた、ボクは、ドシタライイノの最中にいたから、そうですか、という感じで受けていた、老健のヘルパーの諸君とはナジーしていた、と、今、振り返っても思う、タイヘンなworkだと同情していた,独語の、mitleidenである、ボクは領収書も整理して捨ててしまった、double foolish!
*排便は3回、イイべんでした、と、moreな説明があったが、自力でハイベンデキタ!なんてのは、
Wonderful Marvelous!
*彼女はネムリながら、右手の親指で三味線のバチを弾いている、長唄が歌う、”シテコイナ”声を掛けても声は返らない!
今夜、ケアされたお2人のヘルパーのよきガイドのタマモノであり、5年間規則正しく、確実に繰り返して、ケアされた、10人を超える人々のオカゲである、
*月曜日から金曜日、リハビリのよき生徒であり、同伴者であった彼女(多分一日もヤスンデイナイ!)にリハビリの承認を戴けた医師のオカゲである、老人ホームの青葉台「さくらえ園」、祐天寺の「世羅」に対して深い謝意を送りたい!
6年目の、ハジメテのmiracle dayへ、バンコクの思いを込めて祝いをささげたい、
”S wonderful, 's marvelous
You should care for me”
*「ス・ワンダフル」(原題:'S Wonderful)は、ガーシュウィン兄弟によるポピュラーソング。作詞アイラ・ガーシュウィン、作曲ジョージ・ガーシュウィン。1927年のブロードウェイ・ミュージカル『ファニー・フェイス』のために兄弟が書き下ろし、アデール・アステアとフレッド・アステアが初演、通算公演250回を記録し、彼らの代表作として知られるようになった。