セザンヌは群像としての裸体図の大作を作っている、以下の3枚はその代表作でもある、だがここニ描かれている群像は、生物としての裸体ではなくて、地上に生えている流麗な茸のようである、性差異は一種の衝撃であり、パワーであり、スキャンダラスでもあるのだが、この水浴する群像には男性にも女性にもその衝撃がない、個人的な私性がない、4次元というよりも5次元の世界?4次元を濾過して透明な膜にくるまれているようなスベスベ感が強い、性に対する中立のスタイルを絵画に構築した、という思いがする、性差異を削除することが人間の群像を描く絵画の本質であるかのようでもある、印象派はそれを光と色彩の量に還元したとボクは考えるのだが、セザンヌの頭脳に住む人間の裸体像を最良の構図で群化した、環境と群像は複合化して映像化されたという感もする、ボクのこれまでの生涯にはこういった裸体の群像は全く存在していない、考えていることが輻輳してまとまらないが、日本は違うなあ、と言う思いが先立つ、すくなくとも、どうして人々のヌードがボクの生涯の前半において美の対象ではなかったのか、不思議である、恐ろしく遅れていたわけだ?ダカラ、今ごろ、目覚めている、幼児の頃、口にユビを入れてしゃぶった記憶がない、人はそうして体を知ってゆくはずなのに、セザンヌもそうだったのかな、という思いがある、
ポール・セザンヌ(Paul Cézanne、1839年1月19日 - 1906年10月22日はフランスの画家。当初はモネやルノワール等と共に印象派のグループの一員として活動していたが、1880年代からグループを離れ、伝統的な絵画の約束事にとらわれない独自の絵画様式を探求した。セザンヌはモネら印象派の画家たちと同時代の人物だが、ポスト印象派の画家として紹介されることが多く、キュビスムをはじめとする20世紀の美術に多大な影響を与えたことから、しばしば「近代絵画の父」として言及される。後進への手紙の中で「自然を円筒、球、円錐として捉えなさい」と書き、この言葉がのちのキュビスムの画家たちに大きな影響を与えた。
<横たわる少少年 1887年>. 1880年代以降のセザンヌは、パリに背を向け、故郷のエクスにこもって制作した孤高の画家と見なされてきました。しかし、実際には、1861年から晩年に至るまで、20回以上もパリと ...
この少年はボクは女性的、といううか性器の部分は全く女性の性器だと感じる、少年はチョット疲労感があり、after masterbationの状況にあるかにみえる、セザンヌは、去勢されて、女性に変化した性の感覚を表現したかったのではないかと思う、左足が短く、つったような感覚がある?少年の背景は木々の直線はエレクションであり、風景全体が陶酔感でゆれているようである、
セザンヌは4次元というか動く空間としての時間、時間の空間的な定着に心血を注いでいる、男性の水浴を女性の水浴と同様に画いているが、描かれている男性がボクには女性に見えてしようがない、女性も性的な女性にはあまりみえない、性に関してはピカソは、真っ向から胎内回帰感をもっていて、性のボディをいかに4次元、5次元で表現するかに苦闘している、割れ目もイッパイ描いている、修道僧に近い、セザンヌとの決定的な差異である、ボクもピカソの年齢に近く、ピカソの割れ目感がとてもよくわかる、だが表現するとなると大変である、