*中目黒駅から徒歩3分、色気のある中目黒の路地裏でお待ちしております。とAgradのサイトにはguidしてあるが、どこに目をやればこの通りに色気がアルノかわからない、ナカメ裏銀座と命名したのは、ボクであるが、今では裏ウラ銀座が出来ていて、ウラ角の、フレンチは予約しなければ入れなほど賑わっている、そのトナリがイアタリアン、昼飯時はここもイッパイ、裏ウラはレストラン通り、
*このBarの隣のトナリが洋食やパンチで、開店以来38年間、ボクの家は付き合っている、最初は出前専門であった、子供たちが3人いたから、ハンバーグや超デカのエビフライやら、タクサン世話になった、今は出前はしない、おじいちゃんから3世代が働いている、おじいちゃんといっても70代後半?
*ここのハンバーグはソフトである、ソースに馴染む、シニアにはウレシイ食べごろである、半分食べて、半分は彼女に持って帰る習いである、となりは商売をシテイナイ空間で、自転車置き場?だから、Agradは実質オトナリ、とにかくsome night、このBARのカウンターにボクは腰掛けていた、多分、パンチの帰り、運命的な偶然、logical meeting!ボクは86才であった、だから、5年前、あのころのAgradは活況であった、sutrum und drangの最中のようであった、カウンターの向こう側には、絵描きがいた、rapperを目指す20代ハジメの若者がいた、acterであり、映画監督を目指す30才になったばかりの青年がいた、キャリアの女性たちが仲間で来ていた、ボクは2度目の青春を再生する為にソコで蘇ったかのようである、
*だが、実際はあの頃は地獄であったのかも知れない、彼女は圧迫骨折で入院し、3ケ月病院で治療、4ケ月、麻布一の橋の老人健保で過ごした、ボクはその間1日も休まず、病院と健保へ出掛けて、昼食を介護していた、ナカメから茶屋坂を通り、巨大なマッシロイ煙突を過ぎて病院へ通った、ボクは、煙突をシロナガスクジラのpenisと名付けた、彼女は治療中のゼッタイ安静の6ケ月で、骨折は治ったが、ハシも使えない、排便もできない、廃人化の過程を経由していた、ドーシタライイノ、と呟きながら坂を下って、家へ辿り着いていた、
*Agradはスペイン語で、”よろこび”である、
*ノブ オバタ、現在のAgradの店長である、出合った頃は電通系の会社にいた、青森?秋田?の旧家の出身である、
*俳優の新井君、歌舞伎座で1ケ月、付け人で働いていたという、彼が猫役を演じた芝居を中のの劇場へ見に行った、彼は1.80m近くあるから、大きな猫役であった、BigCat!オカシミがあった、
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*渡辺君、一番新しい、知り合って2度目、最初は、1週間前の木曜日?最初会った夜に、ケアのハナシをした、ケアのヨロコビは状況を支配するチカラの感覚だと言った、チョット間をおいて、彼は、アア、ソーカ、といったと思う、今となると、そんなにケアの状況はカンタンではない、そこへゆくまでには、いろんなサテツがある、だが、その時のヤリトリのvividな感覚がボクには印象的であった、論理的な感覚が深くて広い、ボクは帰宅してすぐAgradにcall、店長のノブが電話にでた、彼はイイ顔をしてる、名前はwho?ワタナベ君という、自分を大切にしろ、と伝えてくれ、という、ノブはwhat?という、自分をブタヤロウなんていうな、ということ、という、ノブは電話口で、ハッツ、といって笑ったように聞こえたが、わかりました、という、ノブへの伝言であり、ワタナベ君への呼び掛けでもあった、