浪漫亭随想録「SPレコードの60年」

主に20世紀前半に活躍した演奏家の名演等を掘り起こし、現代に伝える

ショスタコーヴィッチ 洋琴協奏曲第1番の自作自演

2008年07月18日 | 自作自演
ショスタコーヴィッチの「らっぱと洋琴の為の協奏曲」はカペルのライブ盤を愛聴してきた。露西亜の作品をあまり好きでない僕にとって、ショスタコーヴィッチは政治的な色合いを感じる特に好きではない作家の一人だった。しかし、この奇妙な協奏曲を聴いてから、物珍しさもあってか興味を持つやうになった。

その後、クリュイタンス指揮仏蘭西国立管絃團との自作自演盤を聴いて、ショスタコーヴィッチの洋琴家としての卓越した一面を知ったのだが、今回聴いてみたサモスードとの協演の方が明らかに面白い。感動するとか音楽に酔うとかいふ表現はショスタコーヴィッチには相応しくない。僕にとっては面白いとしか表現できないのが残念だが、ショスタコーヴィッチは自作品をどうしてこのやうに速く弾くのだらう。とにかく洋琴のパッセージはやたらと速いため、管絃團がついていけなくなる。

神経質で皮肉たっぷりな表現の中にも浪漫的な楽想が想い出されるやうに顔を覗かせる。そのやうな部分で、サモスードは色気たっぷりに歌い上げる。ショスタコーヴィッチが加速すれば管絃團も負けじと追いまくる。作者自身の洋琴も愉しいが、今回は、このサムイル・サモスードといふ指揮者の力量の凄さを強く感じる機会となった。

音楽を破壊しきってしまふゴロヴァノフや味気ないガウク、やたらと金管にビヴラートつけたがるスヴェトラーノフなど、僕は露西亜の指揮者を無視し続けてきたが、サモスードは、グラズノフらが活躍した一昔前の露西亜の正当な音楽の継承者と信じて蒐集してみやうかと思い始めてゐる。

フルトヴェングラーと同時代を生きたサモスードの名演を探してみたいが、どなたかご存知の御仁がおられたら教えていただきたいものだ。

盤は、国籍不明のMonopoleのCD MONO009。


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