これぞ亜米利加の国民音樂!と叫びたくなるやうな素晴らしい曲と演奏だ。ガーシュインの自作自演を愉しむつもりで購入したCDの中に収められた1トラック。これがなんとも期待以上の名演奏なのだ。 . . . 本文を読む
ワルター・ダムロッシュは一家転住で1871年に亜米利加に渡った。ブラームスより1歳年上の父、レオポルドは高名な指揮者で、紐育交響樂團の創設やオペラ劇場の運営などに貢献したやうで、過労がたたって53歳で亡くなってゐる。ブラームスの第1交響曲を初演から数年後に亜米利加に紹介したのも父レオポルドだった。
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ロベルト・シューマンのホルン協奏曲を聴いてゐて、クララの作品を久々に聴きたくなった。この作品も忘れられてしまふには惜しい曲だ。どのくらい惜しいかと言ふと、先のホルン協奏曲の3倍くらいだ。 . . . 本文を読む
世の中には知らなくてもよい曲と、知らずにいると「幸せがひとつ足りない」といふ曲がある。ここにホルンと大オーケストラの為の小協奏曲といふ珍しい作品のレコヲドがある。演奏してゐるのは現代の人で、SPレコヲドとは無縁だが、最近、忘れられた作品を偲ぶこのコーナー(カテゴリ)も充実させたいと思ふやうになり、割り込ませてもらった。 . . . 本文を読む
パウル・パブストは1854年にケーニヒスブルグに生まれた洋琴弾きで、9歳でデビュー後、リストの弟子となった。1878年にはニコライ・ルビンシュタインに呼ばれ、24歳で露西亜の音楽院の教授となる。チャイコフスキーはこのとき和声学の教授として在任しており、交流があったはずである。
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英國に活動の拠点を置き、つい最近まで現役で演奏活動をしてゐたイダ・ヘンデルの演奏は親父が倫敦で聴いてゐる。けばけばしいいでたちで現れて派手なパフォーマンスを演じたといふ話を聞いた。積極的にコンサートライブなどをFM放送で流してゐたやうで、親父が倫敦滞在の2年間に録音したカセットテープの中にもイダ・ヘンデルのライブが含まれてゐた。 . . . 本文を読む
10歳台の若きフルトヴェングラーが歌曲を作った。とてもロマンティックな作品が幾つもある。独逸語のお勉強は嫌になって途中で止めてしまったので意味が分からない。残念だ。フルトヴェングラー晩年の難解な管絃樂作品とは違って非常に聴きやすい。 . . . 本文を読む
提琴家フリッツ・クライスラーが提琴の為の小品を数多く残してゐることは今さら書き立てるほどのこともない。しかし、弦楽四重奏曲といった大きな作品もあって、その作風は愛らしい小品とは少々趣を異にしてゐる。クライスラーの作曲家としての本格的な活動を垣間見ることのできるレコヲドがある。 . . . 本文を読む
ピアノを少し習った人なら一度は弾いたことのあるバッハの2声のインヴェンションだが、ピアノから遠ざかってしまった今、音楽として聴いて、実によくできた作品だと感心してゐる。また、チェンバロで聴くと2声部しかないとは思えないほど華やかに聴こえる。 . . . 本文を読む
レコヲドによって出来不出来の差が大きいことで有名な倫敦交響樂團の演奏でシベリウスの「カレリヤ」を聴いてゐる。レコヲドには間奏曲と行進曲風の2曲しかないが、特に行進曲風の方は「ええもん、安いのはイズミヤ」の歌詞で有名である。カヤヌスの演奏は終始速い目のテンポ設定で写真の表情どおり厳しい表現である。 . . . 本文を読む
学生時代の友人Tは医学生だったが提琴を嗜み、ハイフェッツを愛する音楽愛好家でもあった。今頃はどこかの病院で人様の命を預かってゐるのだらう。当時音楽学生で、人様の命を危うくする仕事をしてゐる僕とは大違いだ。コルンゴールドといふ作曲家を知ったのは、友人Tから借りたハイフェッツ全集のLPアルバムを聴いたときだ。 . . . 本文を読む
1975年のある日、FM放送でチェルビダッケとアルゲリッヒのシューマンの協奏曲をやるといふことで、留守録音をお袋に頼んだ。ラヴェル「道化師」、プロコフィエフ「ロメオ」が同じ日のプログラムに取り上げられていて、併せて放送された。しかし、帰宅するなり冒頭部が録音できなかった、といふショッキングなことを聞かされ、僕は暴れた。 . . . 本文を読む
週末に別宅に遊んだ際、フロトーの歌劇「マルタ」を聴いた。エルナ・ベルガーが好きで聴いたやうなものだが、この曲はなかなか聴きやすくて、僕のやうなオペラ素人でも愉しむことができる。 . . . 本文を読む