天然居士のとっておきの話

実生活には役に立たないけど、知っていると人生が豊かになるような話を綴りたいと思います。

赤い恋

2018-01-07 | Weblog
 アレクサンドラ・ミハイロヴナ・コロンタイは、ロシアの女性革命家です。
 ソビエト政権樹立後は、
 1919年に政治家としてヨーロッパ最初の女性閣僚(人民委員)となった人です。
 また、世界最初の女性大使として、1923年駐ノルウェー大使に任命され、
 以後、メキシコ、スウェーデン大使や国際連盟代表部部員を歴任しています。
 数か国語に精通した雄弁家として人気を博し、
 多くの著作を発表して、ブルジョア的性道徳を徹底的に攻撃し、
 女性解放運動の理念と実践に足跡を残しています。
 「赤い恋」「三代の恋」「姉妹」からなる小説集『働き蜂(ばち)の恋』(1923)や、
 長編小説『偉大な恋』(1927)を通して、
 「性的欲望や恋愛の満足は、一杯の水を飲むようなものだ」として、
 性の自由を説く「水一杯理論」が、コロンタイズムとよばれて世界に広まりました。
 野上弥生子の『真知子』でも知られるように、
 日本でも昭和初期の左翼運動のなかで「赤い恋」が流行しました。

 1929年(昭和4年)に大ヒットした歌謡曲に『東京行進曲』があります。
 菊池寛の同名の小説を溝口健二監督により映画化され、
 その主題歌を佐藤千夜子が歌ったもので、
 作詞は西條八十、作曲は中山晋平でした。

  昔恋しい銀座の柳
  仇な年増を誰が知ろ
  ジヤヅで をどつてリキユルで更けて
  あけりや彼女のなみだあめ

  恋の丸ビルあの窓あたり
  泣いて文かく人もある
  ラツシユアワーに拾つたばらを
  せめてあの娘の思ひ出に

  広い東京恋故せまい
  いきな浅草忍び逢ひ
  あなた地下鉄私はバスよ
  恋のストツプまゝならぬ

  シネマ見ませうかお茶のみませうか
  いつそ小田急で逃げませうか
  変る新宿あの武蔵野の
  月もデパートの屋根に出る

 佐藤千夜子の歌がYouTubeにありましたので、宜しければお聴き下さい。
 https://www.youtube.com/watch?v=gY9u5FPyAis

 この歌詞の内、4番は書き替えられたもので、原作は下記の通りでした。

  長い髪してマルクス・ボーイ
  今日も抱へる「赤い恋」
  プロの新宿あの武蔵野の
  月もシネマの屋根に出る

 この歌詞の中に出て来る「赤い恋」はコロンタイの小説です。
 歌謡曲で歌われるほど有名だったのでしょうね。
 しかし、1929年は悪名高い治安維持法が成立した年でした。
 レコーディング当日に、ビクター・レコードの文芸部長から書き換えを依頼され、
 西條八十が即座に書き換えて、現在伝わる歌詞になりました。

 ロシアは風刺小咄の国です。
 コロンタイズムが喧伝されていた当時、次のような小咄が生まれました。

 女たちが集まり、男女の性的な平等も良いが、
 何としても不公正は女性の出産時におけるあの苦痛です。
 そこで彼女達は神様の許を訪れ、
 あの苦しみこそは父たる夫にも味合わせて欲しいと懇願しました。
 神様は、宜しい引き受けたと言ってくれました。
 皆、大喜びで帰って来ましたが、間もなく妙な事が起こり出しました。
 アパート住まいの妻たちが産気づくと、亭主はケロリとしているのに、
 隣家の旦那がウンウン苦しみ出すのです。
 同様の事があちこちで起こり、家庭争議が頻発しました。
 これには女たちも驚き、改めて神様にお願いし、
 元に戻してもらったという話です。
 小咄は、淮陰生の「一月一話」に載っていた話です。

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