天然居士のとっておきの話

実生活には役に立たないけど、知っていると人生が豊かになるような話を綴りたいと思います。

珍品五個

2020-04-24 | Weblog
 1921年(大正10年)3月の事です。
 当時は原敬内閣で、
 政友会と憲政会の間で激しい対立をしていて、
 かなり見苦しい政争が行われていました。
 この時、
 日本の三大船成金の一人として有名な、内田信也が、
 憲政会総裁加藤高明に政治献金を贈り、
 その自筆礼状まで所有していると言い出したことから、
 大騒ぎになりました。
 しかも、その文中に、「珍品五個領収致し候」とありました。
 ロッキード事件の際のピーナッツを思いだしますが、
 珍品一個は、1万とされていました。
 この五個は内田が加藤に当時憲政会内部で
 普通選挙運動の急先鋒だった、
 尾崎行雄ら島田三郎らの一派を抑える交換条件があったと、
 政友会が主張した事で政治問題となります。
 政友会幹事長広岡宇一郎は、
 内田から預かった例の書面を公開しました。
 そこには普選運動については書かれていませんでしたが、
 「小生大嫌いの尾崎、島田らの人物を後援致さず、
  時に貴下御直系の健全分子を補助するよう尽力致す所存」と
 書いてありました。
 内田は尾崎らが神戸の造船所で職工を煽動するので困ると、
 加藤に相談に及んだのがきっかけのようで、
 内田が政界入りを狙い、
 政友会への手土産として提供した暴露材料だったようです。

 内田信也は、1880年(明治13年)12月6日に生まれ、
 東京高等商業学校(現・一橋大学)卒業後、
 1905年(明治38年)に三井物産へ入社し、
 1914年(大正3年)に三井物産を退職して、
 同年12月に内田汽船を設立しました。
 第一次世界大戦の影響で造船需要が急激に高まっていたため、
 短期間で株式配当60割の億万長者となり、
 山下汽船の山下亀三郎、勝田汽船の勝田銀次郎とともに
 三大船成金と呼ばれました。
 1924年(大正13年)、政友会公認を得て
 第15回総選挙で当選して代議士となります。
 岡田啓介内閣で鉄道大臣をつとめ、
 その後宮城県の官選知事を務めたのち、
 1944年(昭和19年)2月19日に
 東條内閣の農商務大臣として入閣しました。
 戦後は公職追放にあいますが、
 追放解除後の1952年(昭和27年)に再び衆議院議員となり、
 第5次吉田内閣では農林大臣をつとめました。

 面白いエピソードがあります。
 1919年(大正8年)7月29日、
 東海道線垂井駅で、列車の転覆事故があった際に
 「おれは神戸の内田だ。
  金はいくらでも出す、助けてくれ。」と
 叫んだという話があります。
 いかにも成金らしい話として有名なりました。

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