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天然居士のとっておきの話

実生活には役に立たないけど、知っていると人生が豊かになるような話を綴りたいと思います。

無量大数・涅槃寂静

2016-04-07 | Weblog
 表題の2語、ご存知の方も多いと思いますが、
 漢字で表した数の単位で、無量大数は最大、涅槃寂静は最小です。

 大きい数の方は、
 一、十、百、千、万、億、兆、京(けい)、垓(がい)、𥝱(秭)(じょ)、穣(じょう)、
 溝(こう)、澗(かん)、正(せい)、載(さい)、極(ごく)、恒河沙(こうがしゃ)、
 阿僧祇(あそうぎ)、那由他(なゆた)、不可思議(ふかしぎ)、
 そして無量大数(むりょうだいすう)となり、21単位あります。

 次の単位への上がり方について、
 時代によって万で進む場合と万万で進む場合がありましたが、
 現在は万進方で落ち着いています。
 1無量大数は、10の68乗となります。
 0を68個書かなければならないのですが、長くなりますから止めておきます^^
 具体的な例として使うと、
 太陽の質量は、約198穣kg、天の川銀河の直径は約9垓4600京mになります。

 小さい方の数は、
 分、厘、毛、糸、忽(こつ)、微(び)、繊(せん)、沙(しゃ)、塵(じん)、埃(あい)、
 渺(びょう)、漠(ばく)、模糊(もこ)、逡巡(しゅんじゅう)、須臾(しゅせ)、
 瞬息(しゅんそく)、弾指(だんし)、刹那(せつな)、六徳(りっとく)、虚空(こくう)、
 清浄(せいじょう)、阿頼耶(あらや)、阿摩羅(あまら)、
 そして涅槃寂静(ねはんじゃくじょう)となり、24単位あります。

 次の単位への下がり方は、それぞれ0.1倍ですので、
 1涅槃寂静は、10のマイナス24乗になります。
 小数点以下、0を23個書かなくてはいけないので、これも省略します。
 具体的には、
 ウィルスの大きさは約2沙m、中性子の直径は約1須臾7瞬息mとなります。

 望遠鏡も顕微鏡もなく、宇宙や物質の世界の知識もない時代に、
 このような単位を考えた人の壮大な想像力を思うと、感嘆せずにはいられません。

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8 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (井頭山人(時代錯誤))
2016-04-09 19:15:39
驚きました。仰るように単位の意味は世界認識の基礎になりますね。無量大数から涅槃寂静まで、私たちの次元でのスケールと始点として、世界はこの中で構成されている訳です。このスケールの各次元での構成の原理を求める為に数学や物理学があるみたいですね。ところでこの単位は仏教の世界観を背景としているとおもいます。特に説一切有部や唯識の世界観がこのような単位と結びついているのかも知れませんね。単位はこの構成の次元が存在しますので。原子的スケール、分子的スケール、生命的スケール(バクテリオファージ~シロナガスクジラまで)、太陽系惑星スケール、銀河系スケール、超銀河団スケール、それよりも大きいスケール?、小さな方は、原子以下クオークの段階か?どうもいま最小単位としてのはプランクの長さ(10の-34乗cm)のスケールが涅槃寂静でしょうか。それにしてもこのスケールを思うと溜息しか出ません。涅槃寂静を知りませんでした。お教えいただき有難うご遭いました。唯識で人間の心の最深部を阿頼耶識と云いますが、小さい単位の「阿頼耶」であったのですね。そうか、唯識では、そんなに小さい部分を云っていたのですね。
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有難うございました (天然居士)
2016-04-21 18:16:02
大きい方の単位は何となく知っていたのですが、小さい方にも漢語があったのに驚いてしまいました。
多分中国の人が付けたのだと思いますが、
壮大な感覚の持ち主だったのかも知れませんね。
最後が涅槃寂静なのも仏教の世界観なのでしょうね。
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Unknown (井頭山人(時代錯誤))
2016-04-22 23:30:57
おそらく、このような単位の源流はインドに始まると思います。シナ仏教は、それを翻訳したに過ぎないかも知れません。つまりサンスクリット語やパーリ語からの音を漢字の呉音に対応させたのだと思います。仏教以前に6師外道と云われた、釈迦仏教以前の自然探求の資産が有りますから、その辺の自然哲学の影響が、大乗の意識分析、存在分析、を形作った。それに付随して単位がつくられた。世界認識には、存在のスケールである単位は、不可欠の存在ですので。しかし、凄いですよね、インド思想は紀元前2000年くらいまで辿れますが、人間の文明を考える時、紀元前500年から紀元前100年くらい間でのあいだに、人間の文明の基礎が築かれている。この時期と云うのは、いったい何なのでしょうね。どうして、その様な事が可能だったのでしょうか。その条件とは何なのでしょうね?
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有難うございました (天然居士)
2016-05-09 17:46:32
井頭山人さん コメント有難うございました。

なるほど。
確かに発祥の地はインドだったかも知れませんね。
そのようなスケールの大きさを感じます。

釈迦も孔子もソクラテスも紀元前500年から400年位の間の人だったと思います。
人類の知能は、その頃が最高でそれ以降は進歩がない、
あるいは若干低下しているのではないかと聞いた事があります。
知識が増え過ぎているのかも知れませんね。
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Unknown (井頭山人)
2019-12-21 15:28:56
現代的な見地から判断すると、人間に好奇心が欠如しつつあるのではないでしょうか。哲学や数学は腹減って居る者の腹を満たす事は出来ません。しかし腹を減らして居る人間は少なく成りつつあります。腹が満腹ですと、人は好奇心を失う様ですから知能の発展も期待できない所でしょう。特に精神的な飢えは大切です。自分がやせて居たせいか「太った豚より痩せたソクラテス」という事を卒業生に言ったどこかの左巻の総長が居ましたが、知的な飢えは最も必要な物でしょう。
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有難うございました (天然居士)
2019-12-26 17:35:07
井頭山人さん コメント有難うございました。

なるほど。
人間満腹だと、好奇心を失うのかも知れませんね。
ハングリー精神と言いますが、向上を目指すためには、ある程度の空腹は必要なのかも知れません。
現代のような情報過多の時代には、
ネットで簡単に調べられるので、それ以上進まないようにも感じています。
本当に調べるのには、やはり書物でないとダメかなとも思っています。
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Unknown (板目)
2020-12-18 12:55:22
1涅槃寂静gと原子の重さがほとんど同じだそうですね。
人間って分かっているもんなんですかね。
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有難うございました。 (天然居士)
2020-12-20 13:47:12
板目さん 初めまして。コメント有難うございました。

そうでしたか。
そこまで考えてみませんでしたが、やはり人間の英知なのでしょうかね。
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