天然居士のとっておきの話

実生活には役に立たないけど、知っていると人生が豊かになるような話を綴りたいと思います。

ナポレオンを国内に広めた人

2021-06-03 | Weblog
 先日、岩下哲典さんの「江戸のナポレオン伝説」と言う本を読みました。
 江戸時代後期に日本に伝わってきたナポレオン情報を軸に、
 当時の日本の海外からの情報の伝播の仕方などを述べた歴史書です。
 その中で、ナポレオンを国内に広めた人が、
 頼山陽だったとの事に、驚きました。

 頼山陽は、1781年1月21日(安永9年12月27日)に大阪で生まれた、
 江戸時代後期の歴史家、思想家、漢詩人、文人です。
 主著に『日本外史』があり、幕末の尊皇攘夷運動に大きな影響を与えました。

 ナポレオンの事が初めて日本に入ったのは、
 1813年頃の事だと岩下さんは考えています。
 1811年、北太平洋の測量のため、ロシア海軍ディアナ号艦長ゴロウニンが、
 国後島に少人数で上陸したところを幕府側に捕縛され、松前に監禁された、
 ゴロウニン幽囚事件が発端のようです。
 ディアナ号に残った副艦長リゴルドは報復措置として、
 幕府御用商人高田屋嘉兵衛を捕え、
 後に、双方の人質交換が成立して、1813 年この一件は決着しました。
 その辺の交渉過程の中で、ナポレオンの名あるいは存在が話題になったようです。
 しかし、それは幕閣の一部の人の知識でした。

 1818年(文政元年)、頼山陽は九州に行きます。
 特に目的があった訳ではなく、
 岩下さんは、「書画骨董でもあさってあわよくば一儲けしょう」と書いています。
 長崎で、ナポレオンのロシア遠征に参加した従軍医であった
 出島のオランダ商館の医師から、ナポレオンの事績を聞きました。
 この時に、オランダ商館付き医官としてクラッセ・ハーヘンの名前がありますが、
 山陽が直接彼から聞いたのかどうかは確証がないとの事です。

 話を聞いた山陽は、とても感動してしまったようで、
 「仏郎王歌(ふらんすおうのうた)」との詩を詠みました。

 以下、上記書に記されていた詩を書き写しました。

「仏郎王歌」
 沸郎王
 王は何れの處より起こる 大西洋
 太白 精を集めて 眼に碧光あり
 天 韜略を付して 其の腸を鋳る
 欧邏を餐食して 東に疆を拓き
 誓いて崑崙を以って中央を為さんとす
 国内の游手収めて編行し
 兵に妻子無く 武趪趪たり
 挺を縮めて銃と為し 伸して槍と為し
 銃退けば 鎗進み 互に撞搪す 
 向う所前無く 血玄黄たり
 独り卾羅有り 相頡頏す 
 潜に謀賊を遣して 剣鋩を懐にせしむ
 王覚りて 故に之と翺翔す
 能く刺せ 我を刺すも 亡ぐる能わず
 汝が主 何ぞ旗鼓もて当たらざるや
 客を遣り 即ち発する 陣堂々たり
 絨旗 天を蔽いて日に芒無し
 五戦して国に及び 我が武楊り
 卾羅は魚の釜湯に泣くが如し
 何ぞ料らん 大雪 平地に一丈強なるを
 王馬八千 凍え且つ僵る   
 運路梗塞して望むべからず
 馬肉 方寸 日に糧に充つ
 王曰く 天は仏郎を右けず
 我吾が衆を活かさん 降るも何ぞ妨げあらんと
 単騎敵に降れば 敵敢て戕わず
 之を阿墨に放ちて 君臣慶す       
 戌寅の歳に 吾れ碕陽に遊び 
 蛮医に遭逢して 其の詳を聞けり
 自ら言う 陣に在りて金創を療す
 馬を食いて 死を免がれしことを今に忘れずと 
 君見ずや 何の国か 貪ること狼の如き有る蔑けん
 勇夫は重閉して 預防を貴ぶ   
 又見ずや 禍福は縄の如くして 何ぞ常なるべけん
 窮兵は黷武して 自殃を毎にす
 方今 五洲 奪攘を休むるも
 何ぞ知らん 殺運の西荒を被うを  
 詩を作り 異を記して 故郷に伝う
 猶お覚ゆ 殺気 奚嚢より迸しるを


 山陽の詩は、多くの若者の心を捉え、
 一挙にナポレオンの名前が国内に広まりました。
 そしてその影響を受けた人の中には有名な人もいました。
 長くなるので、その話は次回書きたいと思います。


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3 コメント

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Unknown (井頭山人(魯鈍斎))
2021-06-07 09:28:45
いろんな逸話がある物ですね。山陽がね~?海外情報に飢えていたのでしょうか。
有難うございました。 (天然居士)
2021-06-19 16:22:04
井頭山人さん コメント有難うございました。

岩下さんの書き方によると、山陽が長崎に行った目的は一山当てようと言う位の、決して真面目な目的ではなかったようです。
たまたまナポレオンの話を聞いたと言う事のようです。
Unknown (井頭山人(魯鈍斎))
2021-06-21 08:58:35
こう言う人の噂や逸話と言う物は、中々のものでして、以外に本質を鋭く示唆している事がかなりあると思いますよ。

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