完全な再現は不可能なオペラのカストラート とアイドルの恋愛禁止 (ナッキー)
18世紀の音楽家ハッセと、現代のアイドルには共通するものがある。の続編です。
ハッセの曲が、現代では再現不可能なカストラートの歌唱に支えられていた。
そのカストラートとは、声帯が成長しないように去勢された男性歌手のこと。
「現在では人道的な見地からもこのカストラートは存在しませんが、当時は絶対的な人気と権勢を誇った存在でした。」カストラートの去勢とは、睾丸の切除で、陰茎の切除ではなかったようです。(ネット解説より)
これを読んで、連想したのが、アイドルの恋愛禁止。
18世紀では、当たり前のように、行われていた、歌手になるための去勢が、現代では禁止。
20-21世紀では、当たり前のように、行われている、アイドルのなるための恋愛禁止が、そう遠くない将来に、自由になる。
恋愛自由になった後のアイドルは、後世において、
「恋愛禁止が当たり前だった頃のアイドルは、本当の意味でアイドルであった。
人道的見地から、恋愛自由になってからのアイドルは、恋愛禁止時代の純粋なアイドルを再現できない。」
と言われるようになる、と予想。
カストラートのネット解説で、1970年から現代のアイドルに通じる箇所を引用します。< >が私のコメント。
カストラートを目指す子供の音楽院での生活は過酷なものであったし、その環境が必ずしもベストのものであったかどうか疑問の余地もあり議論の対象になっているが、その中でもやはりカストラート達は比較的優遇されていた。最も、反面商品価値が下がらないように厳しい監督下に置かれているといった側面はあるが。<アイドルも商品価値が下がらないように管理されている>
またその期間は6年から10年にも及んだ。その期間に絶え間なく施された教育と訓練は主に呼吸法に重点が置かれたものであった。
技巧を完璧なまでに身に付けられるように日々訓練を重ねた。しかし、実際は全てのカストラートを目指す子供達がこれを習得し得るはずも無かった。
カストラートに限らないが、当時の人気歌手はニックネームを持っているのが普通であった。それは、彼らが演じた役の名前であったり、出身地であったり、または彼らの師の名にちなんだものであったりした。名づけるのは彼ら自身であったり、観客であったりしたが彼らはことのほかこのネックネームを大切に愛したようで生涯にわたって使用した。<アイドルもニックネームで呼ばれる。小泉今日子がキョンキョン、島崎遥香がぱるる。>
一般的に彼らのデビューは驚くほど若い、12歳でデビューしたニコリーノを始め20歳以前でデビューすることが当たり前であった。
彼らは舞台に上がる前には必ず教会でのデビューを終えていて、舞台でのデビューはその直後ということが多かった。<研究生としてデビューしてからチームに昇格>
当時のイタリアなどの国に於けるカストラートに対する女性の熱狂については想像を絶するものがあったようである。殆ど集団的なヒステリー状態と言っても良かった。
1798年教皇はそれまで禁じていた領内の劇場での女性歌手の舞台登場を許した。これは必然的にカストラートと女性歌手の競争生むことになった。<女性歌手の登場が、恋愛自由アイドルのメタフェア>
世間一般のカストラート礼賛は依然続いていたが、それまで近寄りがたいほどの光輝に充ちていたカストラートが地上に引きずり降ろされたことには変わりが無かった。
ナッキー
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AKB48活性化のために、恋愛禁止が必要 中国共産党のように二律背反の秋元康(KC)
ネット解説を引用。
Wiki
男性を去勢することにより男性ホルモンの分泌を抑制し、男性の第二次性徴期に顕著な声帯の成長を人為的に妨げ、変声期(いわゆる「声変わり」)をなくし、ボーイ・ソプラノ時の声質や音域をできうる限り持続させようとしたもの。一方で成長ホルモンは分泌されるため、身長や胸郭は通常どおり成長し、胸郭をはじめとする骨格や肺活量の成長などは成人男性とほとんど変わらず、声のトーンや歌声の持続力は未成年や女性歌手では再現できないといわれる。 彼らの声は甘く、野性的でそれでいてとても官能的だったと言われる。
去勢の結果、感情的にはやや不安定になる傾向にあるが、それが歌唱の際の感情表現に役立つという説もあり、また、脂肪が多くなり小太りになりやすい傾向は、歌う際の声質に有利に働くとの説もある。一方、現在のソプラノ歌手の歌唱や声量などについての議論も含め、体型や情緒面などと実際の歌唱との関係には不明な点や疑問点も多い。
その音域や声質により「ソプラノ・カストラート」や「アルト・カストラート」などに分かれていた。現在は人道的理由から存在しないため、当時のオペラなどのこのパートを再現する場合には、ソプラノやアルトなどの女性歌手、あるいはボーイ・ソプラノ、成人男性であればカウンターテナーとソプラニスタで代用される。しかしながら、当時意図的に存在させた理由があるように、既成のパートではそれぞれの特色面でこれに欠ける点があり、完全な再現は不可能といわれる。つまり、ボーイ・ソプラノは声質や音域には問題がないが声量や持続力など体力的に難があり、カウンターテナーはファルセットのために高音部の声質に難があり、女声は声質自体が異なり軽く細い傾向にあるという点などである。
Wiki引用 映画
映画なので主役ファリネッリの演技は役者が口パクをしたものを撮影し、裏で本職の歌手が声を当てるのだが、本物のファリネッリがレパートリーとしていた曲は、現在のカウンターテナーには声の高さと声質の問題で歌えない。そこでその歌を2分割して、高音域は女声のソプラノ歌手、低音域は男声のカウンターテナーが担当して、2パート分の録音を用意した。その後IRCAMが音声変換を担当して、女声ソプラノの部分の音声フォルマントを男声歌手の声質に近づけ、映画の画面と合成した。これによって映画では、あたかも男の声で超高音域が歌われているかのように聞くことができる。
こちらの解説が詳しくて面白かったです。以下部分引用。AKB48を連想させる箇所を引用済。
実際、もっぱら音楽を目的に行われたのは、スペインにおいてである。12世紀頃にモサラべ文化によってもたらされたカストラートは、次第にスペインのカトリックの典礼においてその地位を確立し16世紀には頂点に達する。
時のローマ教会は、去勢という行為を非難しながらも、次々に有能なカストラートを身内に加える矛盾を行っていた。
17世紀に入ってイタリアに広まり始めた去勢手術は18世紀に頂点を極める。クレメンス8世は「神の栄光を讃える」ための去勢を許可した。これによって教会が主導する形で広まっていく。また、間接的ながら、教皇領内の劇場の舞台に女性をあげることを禁じたインノケンティウス11世の布告があった。クレメンス8世のように一端、カストラートの声を聴いてしまった聴衆の熱狂は凄まじいものがあった。したがってこれを見た男児をも親たちは息子の将来と自分達の老後を考えて去勢手術を受けさせようとするものまで現れてくる。実際、カストラートを目指す子供の家庭は極めて貧しい場合が殆どである。
これらの音楽院での生活は過酷なものであったし、その環境が必ずしもベストのものであったかどうか疑問の余地もあり議論の対象になっているが、その中でもやはりカストラート達は比較的優遇されていた(最も、反面商品価値が下がらないように厳しい監督下に置かれているといった側面はあるが)。
またその期間は6年から10年にも及んだ。その期間に絶え間なく施された教育と訓練は主に呼吸法に重点が置かれたものであった。この呼吸法の修練こそが、カストラートの驚異的な声の基礎となった。また、この基礎の上に各種の装飾技法が施される。走狗、連続トリル、メッサ・ディ・ヴォーチェ、アジリタ・マルテッラータ、ゴルゲッジオ、モルデント、アッポジャトゥーラなどの技巧を完璧なまでに身に付けられるように日々訓練を重ねた。しかし、実際は全てのカストラートを目指す子供達がこれを習得し得るはずも無かった。
カストラートに限らないが、当時の人気歌手はニックネームを持っているのが普通であった。それは、彼らが演じた役の名前であったり、出身地であったり、または彼らの師の名にちなんだものであったりした。名づけるのは彼ら自身であったり、観客であったりしたが彼らはことのほかこのネックネームを大切に愛したようで生涯にわたって使用した。
一般的に彼らのデビューは驚くほど若い、12歳でデビューしたニコリーノを始め20歳以前でデビューすることが当たり前であった。彼らは舞台に上がる前には必ず教会でのデビューを終えていて、舞台でのデビューはその直後ということが多かった。
当時のイタリアなどの国に於けるカストラートに対する女性の熱狂については想像を絶するものがあったようである。この点において冷静だったのはフランスぐらいなもので殆ど集団的なヒステリー状態と言っても良かった。
生殖機能を失った彼らカストラートではあるが、去勢していない男性に比べれば劣っていたとは言え、性欲は正常にあったし、性行為は正常に営むことが出来た。むしろこのことは当時の女性に関して言えばリスクの無いお遊びには好都合であった。カストラートの相手となったのは、いわゆる貴族階級の貴婦人で、これにはそれなりに必然性がある。カストラートは貴族の邸宅や宮廷に招かれてその声を披露する機会が相当に多かった。彼らはそこで政略結婚やら倦怠期に沈んだ貴婦人達に純粋な恋愛の喜びを与えうる存在となった。
■啓蒙主義の名の下に
イタリアからヨーロッパへ広まったカストラート達の活躍だったが、18世紀の終わりと共に急速にその栄光は影を潜めるようになっていく。そして19世紀に入るともはや激しい攻撃の対象になっていってしまう。最初はフランスが急先鋒ではあったが、ヴォルテールなどの啓蒙主義者の非難は理性的側面に訴えるものであり、その啓蒙主義的な発言が勢力を強めていくことになった。この矛先は実はフランス啓蒙主義のイタリア音楽全体に対する攻撃であったが、カストラートという不道徳な存在が格好の攻撃の対象となりえたことは間違いがない。実際、フランスのこの攻撃に対してイタリア国内の世論も大きく影響を受けることになり、問題はもっぱらその道徳的な側面に向けられるようになる。ローマ教会のベネディクトゥス14世は『司教会議』のなかで医学的な必要性の無い去勢を禁じる宣言をした。これらの内外の圧力に屈するようにナポリの音楽院はひとつまたひとつと姿を消していくことになる。この様にしてカストラート教育の殿堂ともいうべきナポリの音楽院は姿を消していったことは、歌唱技術の教育の衰退を意味した。この時代はフランス革命とナポレオンによってもたらされた思想もイタリアに於ける声楽の伝統に致命傷を与えることになった。貴族的な趣味から市民の文化への流れはカストラートのような軟弱な男性を受け容れる社会では無かった。
■去勢の禁止とカストラート追放
1798年教皇はそれまで禁じていた領内の劇場での女性歌手の舞台登場を許した。これは必然的にカストラートと女性歌手の競争生むことになった。ナポレオンやその兄であるナポリ王のジョゼフは去勢行為の徹底的な廃絶を目指した。ジョゼフは去勢した子供を音楽院に入学させる事を具体的に禁じた。ナポレオンらのこの措置に呼応する形で1817年ロンバルド=ヴェネト王国フランチェスコ1世が今度はカストラートを舞台から追放する。実際はこれは有名無実化するし、世間一般のカストラート礼賛は依然続いていたが、それまで近寄りがたいほどの光輝に充ちていたカストラートが地上に引きづり降ろされたことには変わりが無かった。
以上
18世紀の音楽家ハッセと、現代のアイドルには共通するものがある。の続編です。
ハッセの曲が、現代では再現不可能なカストラートの歌唱に支えられていた。
そのカストラートとは、声帯が成長しないように去勢された男性歌手のこと。
「現在では人道的な見地からもこのカストラートは存在しませんが、当時は絶対的な人気と権勢を誇った存在でした。」カストラートの去勢とは、睾丸の切除で、陰茎の切除ではなかったようです。(ネット解説より)
これを読んで、連想したのが、アイドルの恋愛禁止。
18世紀では、当たり前のように、行われていた、歌手になるための去勢が、現代では禁止。
20-21世紀では、当たり前のように、行われている、アイドルのなるための恋愛禁止が、そう遠くない将来に、自由になる。
恋愛自由になった後のアイドルは、後世において、
「恋愛禁止が当たり前だった頃のアイドルは、本当の意味でアイドルであった。
人道的見地から、恋愛自由になってからのアイドルは、恋愛禁止時代の純粋なアイドルを再現できない。」
と言われるようになる、と予想。
カストラートのネット解説で、1970年から現代のアイドルに通じる箇所を引用します。< >が私のコメント。
カストラートを目指す子供の音楽院での生活は過酷なものであったし、その環境が必ずしもベストのものであったかどうか疑問の余地もあり議論の対象になっているが、その中でもやはりカストラート達は比較的優遇されていた。最も、反面商品価値が下がらないように厳しい監督下に置かれているといった側面はあるが。<アイドルも商品価値が下がらないように管理されている>
またその期間は6年から10年にも及んだ。その期間に絶え間なく施された教育と訓練は主に呼吸法に重点が置かれたものであった。
技巧を完璧なまでに身に付けられるように日々訓練を重ねた。しかし、実際は全てのカストラートを目指す子供達がこれを習得し得るはずも無かった。
カストラートに限らないが、当時の人気歌手はニックネームを持っているのが普通であった。それは、彼らが演じた役の名前であったり、出身地であったり、または彼らの師の名にちなんだものであったりした。名づけるのは彼ら自身であったり、観客であったりしたが彼らはことのほかこのネックネームを大切に愛したようで生涯にわたって使用した。<アイドルもニックネームで呼ばれる。小泉今日子がキョンキョン、島崎遥香がぱるる。>
一般的に彼らのデビューは驚くほど若い、12歳でデビューしたニコリーノを始め20歳以前でデビューすることが当たり前であった。
彼らは舞台に上がる前には必ず教会でのデビューを終えていて、舞台でのデビューはその直後ということが多かった。<研究生としてデビューしてからチームに昇格>
当時のイタリアなどの国に於けるカストラートに対する女性の熱狂については想像を絶するものがあったようである。殆ど集団的なヒステリー状態と言っても良かった。
1798年教皇はそれまで禁じていた領内の劇場での女性歌手の舞台登場を許した。これは必然的にカストラートと女性歌手の競争生むことになった。<女性歌手の登場が、恋愛自由アイドルのメタフェア>
世間一般のカストラート礼賛は依然続いていたが、それまで近寄りがたいほどの光輝に充ちていたカストラートが地上に引きずり降ろされたことには変わりが無かった。
ナッキー
関連記事をリンク
ドイツ・ハンブルグでの研究生公演(ナッキー)
18世紀の音楽家ハッセと、現代のアイドルには共通するものがある。 (ナッキー)
党議拘束、恋愛禁止、やめた方がダイナミックになる(ナッキー)
AKB48活性化のために、恋愛禁止が必要 中国共産党のように二律背反の秋元康(KC)
ネット解説を引用。
Wiki
男性を去勢することにより男性ホルモンの分泌を抑制し、男性の第二次性徴期に顕著な声帯の成長を人為的に妨げ、変声期(いわゆる「声変わり」)をなくし、ボーイ・ソプラノ時の声質や音域をできうる限り持続させようとしたもの。一方で成長ホルモンは分泌されるため、身長や胸郭は通常どおり成長し、胸郭をはじめとする骨格や肺活量の成長などは成人男性とほとんど変わらず、声のトーンや歌声の持続力は未成年や女性歌手では再現できないといわれる。 彼らの声は甘く、野性的でそれでいてとても官能的だったと言われる。
去勢の結果、感情的にはやや不安定になる傾向にあるが、それが歌唱の際の感情表現に役立つという説もあり、また、脂肪が多くなり小太りになりやすい傾向は、歌う際の声質に有利に働くとの説もある。一方、現在のソプラノ歌手の歌唱や声量などについての議論も含め、体型や情緒面などと実際の歌唱との関係には不明な点や疑問点も多い。
その音域や声質により「ソプラノ・カストラート」や「アルト・カストラート」などに分かれていた。現在は人道的理由から存在しないため、当時のオペラなどのこのパートを再現する場合には、ソプラノやアルトなどの女性歌手、あるいはボーイ・ソプラノ、成人男性であればカウンターテナーとソプラニスタで代用される。しかしながら、当時意図的に存在させた理由があるように、既成のパートではそれぞれの特色面でこれに欠ける点があり、完全な再現は不可能といわれる。つまり、ボーイ・ソプラノは声質や音域には問題がないが声量や持続力など体力的に難があり、カウンターテナーはファルセットのために高音部の声質に難があり、女声は声質自体が異なり軽く細い傾向にあるという点などである。
Wiki引用 映画
映画なので主役ファリネッリの演技は役者が口パクをしたものを撮影し、裏で本職の歌手が声を当てるのだが、本物のファリネッリがレパートリーとしていた曲は、現在のカウンターテナーには声の高さと声質の問題で歌えない。そこでその歌を2分割して、高音域は女声のソプラノ歌手、低音域は男声のカウンターテナーが担当して、2パート分の録音を用意した。その後IRCAMが音声変換を担当して、女声ソプラノの部分の音声フォルマントを男声歌手の声質に近づけ、映画の画面と合成した。これによって映画では、あたかも男の声で超高音域が歌われているかのように聞くことができる。
こちらの解説が詳しくて面白かったです。以下部分引用。AKB48を連想させる箇所を引用済。
実際、もっぱら音楽を目的に行われたのは、スペインにおいてである。12世紀頃にモサラべ文化によってもたらされたカストラートは、次第にスペインのカトリックの典礼においてその地位を確立し16世紀には頂点に達する。
時のローマ教会は、去勢という行為を非難しながらも、次々に有能なカストラートを身内に加える矛盾を行っていた。
17世紀に入ってイタリアに広まり始めた去勢手術は18世紀に頂点を極める。クレメンス8世は「神の栄光を讃える」ための去勢を許可した。これによって教会が主導する形で広まっていく。また、間接的ながら、教皇領内の劇場の舞台に女性をあげることを禁じたインノケンティウス11世の布告があった。クレメンス8世のように一端、カストラートの声を聴いてしまった聴衆の熱狂は凄まじいものがあった。したがってこれを見た男児をも親たちは息子の将来と自分達の老後を考えて去勢手術を受けさせようとするものまで現れてくる。実際、カストラートを目指す子供の家庭は極めて貧しい場合が殆どである。
これらの音楽院での生活は過酷なものであったし、その環境が必ずしもベストのものであったかどうか疑問の余地もあり議論の対象になっているが、その中でもやはりカストラート達は比較的優遇されていた(最も、反面商品価値が下がらないように厳しい監督下に置かれているといった側面はあるが)。
またその期間は6年から10年にも及んだ。その期間に絶え間なく施された教育と訓練は主に呼吸法に重点が置かれたものであった。この呼吸法の修練こそが、カストラートの驚異的な声の基礎となった。また、この基礎の上に各種の装飾技法が施される。走狗、連続トリル、メッサ・ディ・ヴォーチェ、アジリタ・マルテッラータ、ゴルゲッジオ、モルデント、アッポジャトゥーラなどの技巧を完璧なまでに身に付けられるように日々訓練を重ねた。しかし、実際は全てのカストラートを目指す子供達がこれを習得し得るはずも無かった。
カストラートに限らないが、当時の人気歌手はニックネームを持っているのが普通であった。それは、彼らが演じた役の名前であったり、出身地であったり、または彼らの師の名にちなんだものであったりした。名づけるのは彼ら自身であったり、観客であったりしたが彼らはことのほかこのネックネームを大切に愛したようで生涯にわたって使用した。
一般的に彼らのデビューは驚くほど若い、12歳でデビューしたニコリーノを始め20歳以前でデビューすることが当たり前であった。彼らは舞台に上がる前には必ず教会でのデビューを終えていて、舞台でのデビューはその直後ということが多かった。
当時のイタリアなどの国に於けるカストラートに対する女性の熱狂については想像を絶するものがあったようである。この点において冷静だったのはフランスぐらいなもので殆ど集団的なヒステリー状態と言っても良かった。
生殖機能を失った彼らカストラートではあるが、去勢していない男性に比べれば劣っていたとは言え、性欲は正常にあったし、性行為は正常に営むことが出来た。むしろこのことは当時の女性に関して言えばリスクの無いお遊びには好都合であった。カストラートの相手となったのは、いわゆる貴族階級の貴婦人で、これにはそれなりに必然性がある。カストラートは貴族の邸宅や宮廷に招かれてその声を披露する機会が相当に多かった。彼らはそこで政略結婚やら倦怠期に沈んだ貴婦人達に純粋な恋愛の喜びを与えうる存在となった。
■啓蒙主義の名の下に
イタリアからヨーロッパへ広まったカストラート達の活躍だったが、18世紀の終わりと共に急速にその栄光は影を潜めるようになっていく。そして19世紀に入るともはや激しい攻撃の対象になっていってしまう。最初はフランスが急先鋒ではあったが、ヴォルテールなどの啓蒙主義者の非難は理性的側面に訴えるものであり、その啓蒙主義的な発言が勢力を強めていくことになった。この矛先は実はフランス啓蒙主義のイタリア音楽全体に対する攻撃であったが、カストラートという不道徳な存在が格好の攻撃の対象となりえたことは間違いがない。実際、フランスのこの攻撃に対してイタリア国内の世論も大きく影響を受けることになり、問題はもっぱらその道徳的な側面に向けられるようになる。ローマ教会のベネディクトゥス14世は『司教会議』のなかで医学的な必要性の無い去勢を禁じる宣言をした。これらの内外の圧力に屈するようにナポリの音楽院はひとつまたひとつと姿を消していくことになる。この様にしてカストラート教育の殿堂ともいうべきナポリの音楽院は姿を消していったことは、歌唱技術の教育の衰退を意味した。この時代はフランス革命とナポレオンによってもたらされた思想もイタリアに於ける声楽の伝統に致命傷を与えることになった。貴族的な趣味から市民の文化への流れはカストラートのような軟弱な男性を受け容れる社会では無かった。
■去勢の禁止とカストラート追放
1798年教皇はそれまで禁じていた領内の劇場での女性歌手の舞台登場を許した。これは必然的にカストラートと女性歌手の競争生むことになった。ナポレオンやその兄であるナポリ王のジョゼフは去勢行為の徹底的な廃絶を目指した。ジョゼフは去勢した子供を音楽院に入学させる事を具体的に禁じた。ナポレオンらのこの措置に呼応する形で1817年ロンバルド=ヴェネト王国フランチェスコ1世が今度はカストラートを舞台から追放する。実際はこれは有名無実化するし、世間一般のカストラート礼賛は依然続いていたが、それまで近寄りがたいほどの光輝に充ちていたカストラートが地上に引きづり降ろされたことには変わりが無かった。
以上
イタリア系アメリカ人だったのかな? とにかく、20代の若手?小柄な方だった。ただ、その才能のせいで、大変だな...と思ったよ。
自分の声が変化してきていること,容赦ない指揮者の「天使の声」への要求,希少価値のプレッシャー,そういう手術も頭をよぎり,ステージ本番は、大成功で、関係者のみんなは、そら、喜んだんだけど...。その彼の舞台を降りた後の疲労した感じ、そういうのは、誰にも分からない、相談も出来ない。まるで、老人のような姿で、会場を後にする彼を見て、"この人、自殺するんじゃねぇか?"と思った。
なんて、孤独な職業なんだろう...って思った。