「さよならの向う側」の普遍性、映画「でーれーガールズ」劇中歌のネタバレあり(ナッキー)
とてもレベルの高いアイドル映画でした。
週末に渋谷で見ようと映画館に行ったけど満員で見られず、月曜日に見ました。
お目当ては、相撲の趣味から知ることになったタレント山根千佳と、小野寺ちゃんこと優希美青。
劇中に山口百恵の曲が4曲引用されていたけど、エンディングに、知らない曲が、知らない声で流れてきたので、「映画はよかったのに、テーマは、はやりの歌手(←アイドルではないアーティストという意味)かよ。」とネガティブな気分になっていたところ、
エンドロールにて、歌唱が、優希美青であると知る。
そう言えば、映画のテーマを歌って歌手デビューという記事を読んだことある、と思って検索したら、自分で書いていたのは恥ずかしい。しかし、知らないで(情報をすっかり忘れて)エンディングに驚くことができたので、アイドル鑑賞が高まった。一度読んだ推理小説の犯人を忘れて二度楽しめるような能力のおかげ。
映画もよかったけど、エンディングの優希美青の歌唱は秀逸でした。
アイドル史上、原田知世の「時をかける少女」に匹敵。
この歌唱を聴くだけのために、もう一度同じ映画を見たい。
主人公が山口百恵のファン、舞台が1980年という設定。劇中に4曲。
一曲目:転校初日の朝、制服に着替えるシーンで、「ロックンロール・ウィドー」 これはロックンローラーの大学生が恋人という設定より。娘が学校に行った後で、同じ歌を口ずさむ母親。
二曲目:自転車にのりながら通学。「ひと夏の経験」を口ずさむ。魚屋のおじさんが、大胆な女の子の歌詞に反応。
三曲目:仲良くなりたいと、あこがれていた足立梨花と親しくなった優希美青。ミュージカル的演出で、掃除をしながら、「プレイバック パートⅡ」を歌って踊る。注意をした後で、同じ歌を口ずさむ担任の先生。
四曲目:ラストシーンで、「さよなら」を言う前に、話したいことがあったのに、「さよなら」も言わずに、足立梨花と別れてしまった優希美青の心情を、山口百恵の歌唱で、「さよならの向う側」
劇中場面その1:足立梨花から「さようならも向う側」を買ったかと聞かれた優希美青が、「買ったけど、まだ聴いていない」
足立梨花に、「一緒に聴こうよ」と言われたけど、二人では聴いていないという設定。
劇中場面その2:ラジオから、「今日は山口百恵さんが惜しまれながら引退しました。百恵さんが引退コンサートで最後に歌った『さようならの向う側』をお聴きください」と流れると、ラジオを切る優希美青。これは、足立梨花とのわだかまりの心情より、この歌を聴きたくないという設定。
このブログで、ときめき研究家さんは、繰り返し、AKB48の歌の中で、
「AKBグループのメンバーの境遇を想起させるような歌詞」「楽屋落ち」「自己言及ソング」は好きではない。メンバーの境遇やAKBの物語などを背負っている歌は、純粋に楽曲として楽しめない。
と論じており、ナッキーは全面的に同じ意見です。歌っているアイドル本人を想起させる「私小説」は嫌いで、「虚構」のプラトニックラブや学園生活を歌うアイドルが好き。
しかし、これはAKB48だけではない。
「さよならの向う側」という曲が、山口百恵のラストコンサートのラストソングであり、引退する歌手山口百恵を想起せずには聴くことができない、という理由で、
デビューからの山口百恵ファンである私の、数少ない嫌いな曲で、CDで聴く時に飛ばす曲なのである。
「でーれーガールズ」のラストシーンで、山口百恵の歌唱を聴き、初めて、「さよならの向う側」が、山口百恵の物語を背負わない、普遍的な友情を歌った歌として、鑑賞することができた。
好きなアイドルの嫌いな曲が一曲減ったことに、映画「でーれーガールズ」に感謝。
でーれーガールズ 公式HP 予告編(映像)
でーれーガールズ 公式HP トップ
ナッキー
二回目鑑賞して訂正!
ひと夏の経験、魚屋ではなく八百屋
プレイバック、掃除ではなく体育の授業前
とてもレベルの高いアイドル映画でした。
週末に渋谷で見ようと映画館に行ったけど満員で見られず、月曜日に見ました。
お目当ては、相撲の趣味から知ることになったタレント山根千佳と、小野寺ちゃんこと優希美青。
劇中に山口百恵の曲が4曲引用されていたけど、エンディングに、知らない曲が、知らない声で流れてきたので、「映画はよかったのに、テーマは、はやりの歌手(←アイドルではないアーティストという意味)かよ。」とネガティブな気分になっていたところ、
エンドロールにて、歌唱が、優希美青であると知る。
そう言えば、映画のテーマを歌って歌手デビューという記事を読んだことある、と思って検索したら、自分で書いていたのは恥ずかしい。しかし、知らないで(情報をすっかり忘れて)エンディングに驚くことができたので、アイドル鑑賞が高まった。一度読んだ推理小説の犯人を忘れて二度楽しめるような能力のおかげ。
映画もよかったけど、エンディングの優希美青の歌唱は秀逸でした。
アイドル史上、原田知世の「時をかける少女」に匹敵。
この歌唱を聴くだけのために、もう一度同じ映画を見たい。
主人公が山口百恵のファン、舞台が1980年という設定。劇中に4曲。
一曲目:転校初日の朝、制服に着替えるシーンで、「ロックンロール・ウィドー」 これはロックンローラーの大学生が恋人という設定より。娘が学校に行った後で、同じ歌を口ずさむ母親。
二曲目:自転車にのりながら通学。「ひと夏の経験」を口ずさむ。魚屋のおじさんが、大胆な女の子の歌詞に反応。
三曲目:仲良くなりたいと、あこがれていた足立梨花と親しくなった優希美青。ミュージカル的演出で、掃除をしながら、「プレイバック パートⅡ」を歌って踊る。注意をした後で、同じ歌を口ずさむ担任の先生。
四曲目:ラストシーンで、「さよなら」を言う前に、話したいことがあったのに、「さよなら」も言わずに、足立梨花と別れてしまった優希美青の心情を、山口百恵の歌唱で、「さよならの向う側」
劇中場面その1:足立梨花から「さようならも向う側」を買ったかと聞かれた優希美青が、「買ったけど、まだ聴いていない」
足立梨花に、「一緒に聴こうよ」と言われたけど、二人では聴いていないという設定。
劇中場面その2:ラジオから、「今日は山口百恵さんが惜しまれながら引退しました。百恵さんが引退コンサートで最後に歌った『さようならの向う側』をお聴きください」と流れると、ラジオを切る優希美青。これは、足立梨花とのわだかまりの心情より、この歌を聴きたくないという設定。
このブログで、ときめき研究家さんは、繰り返し、AKB48の歌の中で、
「AKBグループのメンバーの境遇を想起させるような歌詞」「楽屋落ち」「自己言及ソング」は好きではない。メンバーの境遇やAKBの物語などを背負っている歌は、純粋に楽曲として楽しめない。
と論じており、ナッキーは全面的に同じ意見です。歌っているアイドル本人を想起させる「私小説」は嫌いで、「虚構」のプラトニックラブや学園生活を歌うアイドルが好き。
しかし、これはAKB48だけではない。
「さよならの向う側」という曲が、山口百恵のラストコンサートのラストソングであり、引退する歌手山口百恵を想起せずには聴くことができない、という理由で、
デビューからの山口百恵ファンである私の、数少ない嫌いな曲で、CDで聴く時に飛ばす曲なのである。
「でーれーガールズ」のラストシーンで、山口百恵の歌唱を聴き、初めて、「さよならの向う側」が、山口百恵の物語を背負わない、普遍的な友情を歌った歌として、鑑賞することができた。
好きなアイドルの嫌いな曲が一曲減ったことに、映画「でーれーガールズ」に感謝。
でーれーガールズ 公式HP 予告編(映像)
でーれーガールズ 公式HP トップ
ナッキー
二回目鑑賞して訂正!
ひと夏の経験、魚屋ではなく八百屋
プレイバック、掃除ではなく体育の授業前
確かにノスタルジックないい映画だと思いました。
優希美青のアイドル映画としては満点に近い。制服も、体操着も、パジャマ姿も、デート時の私服も、とても可愛い。
唐突感のあるバッドエンドが残念。