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歌舞伎とアイドル「様式美と呼ばれるデフォルメ」「まことらしいうそ」(ナッキー)

2014-11-21 00:13:38 | アイドル論
歌舞伎とアイドル「様式美と呼ばれるデフォルメ」「まことらしいうそ」(ナッキー)

「歌舞伎を救ったアメリカ人」岡本嗣郎著を読んだ。
第二次世界大戦後、GHQに多くの演目を禁止された歌舞伎が、どのように復活したかというルポルタージュ。歌舞伎を愛好するパワーズというマッカーサーの副官が主人公。

アイドルが、歌舞伎のように、日本の伝統文化になることができるのか、いくつかのヒント。「 」が引用で、< >がナッキーによる、なぞらえ。

「シェークスピアの『ハムレット』に『芝居は世をうつす鏡』というせりふがある。欧米では誇張した不自然な演技をいましめ、舞台ではあくまで現実を再現しようと試みる」

欧米では歌唱力の不足をいましめ、歌唱はあくまで音程を合わせ、大きな声量を試みる

「欧米では、演劇は現実の忠実な再現であって、自然主義的リアリズムが主流」「歌舞伎はこの対極にある。表現形式はリアリズムではなく、様式美と呼ばれるデフォルメ(変形)を基本としている。」

欧米では歌唱力至上主義が主流。アイドルはその対極にある歌唱力不足というデフォルメ(変形)が主流であり、様式美となっている。様式にあわず歌唱力を備えたアイドルも出現するが、様式を崩しても尚アイドルという美を体現していないとアイドルたりえない。>

「近松門左衛門は『虚実皮膜の間』と言った。歌舞伎の芸は決して本来のリアリズムではないが、その根底にある役者の心は写実の心でなければならない。その場合、あまりにも虚をついたうそであってもいけないし、あまりに実つまり写実であってもいけない。『まことらしいうそ』が、芸の神髄なのだ。」

アイドルの芸は、その根底にある恋愛禁止でなければならい。あまりに虚をついたうそ、本人の実態とかけはなれたキャラであってもいけないし、あまりに実つまり本人そもものであってもいけない。『本当の○○ちゃんはこういう女の子であるとファンに勝手に思い描かせる、まことらしいうそ』が芸の神髄なのだ。>

補足:恋愛禁止という世に広まっている用語をつかったが、プラトニックな恋愛はアイドルでも否定されていないので、厳密に定義すると性行為未経験。
アイドルも「まことらしいうそ」が芸の神髄と、私は考えるのだが、指原莉乃「逆転力」を評した濱野智史(11月16日朝日新聞)によると、ネット時代のアイドルはうそを構築しないで成功した。

「指原莉乃は『逆転力』で、自分でキャラを作ろうとせず、他人から与えられたキャラはひたすら受け入れるべしと主張する。要は「自分なんて捨てろ」と言っているわけで、常識的に考えれば驚くような主張だ。
 しかし、これこそがネット時代のアイドルの適応形態なのだ。いくらメディア越しに自分のキャラを作り上げても、AKB48グループのように握手会で「会いに行けるアイドル」である限り、嘘で塗り固めた自分の姿はすぐファンにバレる。ボロが出たら即座にネットで書かれてしまう。それなら、自分なんて下手に作らないほうがいい。筆者はここに、ネット時代における新たな「無我の境地」を見る。
 つまりネット時代の今日、もはやアイドルは「偶像」ではありえない。それはいま、メディア環境の変化に最前線で晒(さら)されている、リアルな「具体像」として存在しているのである。」

ナッキー
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