AKB48 チームBのファンより

鈴木紫帆里さんを中心にAKB48 チームB について語るサイトです。

武藤貴也の基本的人権の尊重主犯説と、AKB48恋愛禁止条例、パロディです(ナッキー)

2015-08-03 08:32:57 | アイドル論
武藤貴也の基本的人権の尊重主犯説と、AKB48恋愛禁止条例、パロディです(ナッキー)

次に「恋愛禁止条例」について。
私はこれがアイドル鑑賞精神を破壊した「主犯」だと考えているが、この「恋愛禁止条例」は、AKB48前は制限されて当たり前だと考えられていた。
全てのアイドルは、基本的人権があり、恋愛の自由があり、プライバシーがあり、その中で生きている。
基本的人権が滅ぼされてしまったら、当然その国のアイドルも滅びてしまう

従って、アイドルの目標やファンの願望を守るためには恋愛禁止条例は、例え「アイドル批判権」であっても制限されるものだというのがいわば「常識」であった。
もちろんその根底には「アイドルの基本的人権を守る」という「ファン精神」があったことは言うまでも無い。
だからこそ第二次世界大戦時にアイドルを守る為にアイドルファンは命を捧げたのである。
しかし、戦後AKB48によってもたらされたこの「恋愛禁止条例」という思想によって「アイドルの基本的人権」の概念は破壊されてしまった。
「恋愛禁止条例」という言葉に表された思想の根底には、アイドル本人がどうなろうと、アイドルシーンがどうなろうと自分の「アイドルは処女であるという願望」は守られるべきだという、身勝手な「ファン至上主義」が存在している
従って、ファンはアイドルシーン全体の利益に奉仕することをしなくなり、その身勝手な願望主義に基づく投票行動がアイドルシーンを衆愚政治に向かわせ、秋元康プロデューサーは大衆迎合するようになっていった。
それは言うまでも無く「アイドルの処女性が第一」を高らかに叫ぶ今の柏木由紀批判に如実に表れている


パロディの元は、自民党衆院議員武藤貴也ブログ、滋賀四区 http://ameblo.jp/mutou-takaya/entry-11937106202.html
 次に「基本的人権の尊重」について。私はこれが日本精神を破壊した「主犯」だと考えているが、この「基本的人権」は、戦前は制限されて当たり前だと考えられていた。全ての国民は、国家があり、地域があり、家族があり、その中で生きている。国家が滅ぼされてしまったら、当然その国の国民も滅びてしまう。従って、国家や地域を守るためには基本的人権は、例え「生存権」であっても制限されるものだというのがいわば「常識」であった。もちろんその根底には「滅私奉公」という「日本精神」があったことは言うまでも無い。だからこそ第二次世界大戦時に国を守る為に日本国民は命を捧げたのである。しかし、戦後憲法によってもたらされたこの「基本的人権の尊重」という思想によって「滅私奉公」の概念は破壊されてしまった。「基本的人権の尊重」という言葉に表された思想の根底には、国家がどうなろうと社会がどうなろうと自分の「基本的人権」は守られるべきだという、身勝手な「個人主義」が存在している。従って、国民は国家や社会に奉仕することをしなくなり、その身勝手な個人主義に基づく投票行動が政治を衆愚政治に向かわせ、政治は大衆迎合するようになっていった。それは言うまでも無く「国民の生活が第一」を高らかに叫ぶ今の政治に如実に表れている。

感想、
アイドルの恋愛禁止がよいのか、やめるべきなのかを議論する基本的人権は確保しておきたいものだ。
戦前の国家至上主義は江戸川乱歩の小説でさえ発禁にした。
基本的人権がなければ、アイドル鑑賞が国家により禁止される。

アイドルこそ、国民に厭戦気分を蔓延させる文化。

武藤貴也氏が鋭いのは、
国家がどうなろうと社会がどうなろうと自分の「アイドル鑑賞権」は守られるべきだ、とアイドルファンの本能を喚起したこと。

ナッキー
コメント (2)
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