この曲を聴いた感想や論評で、歌詞に言及したものを見たことがない。
テレビ番組でも「ダンスが難しい曲」とか「島崎のダンスが上手くなった」とか、ダンスに目を向けたコメントが多かったように思える。
確かに、この歌詞に「共感する」と素直に言うのは気恥ずかしいし、かと言って「所詮理想論だ」とネガティブに言うのも憚られる。コメントしにくい歌詞なのだ。
歌詞を改めて読むと、明らかに反戦歌である。
「憎しみの連鎖を断ち切ろう」「世界の涙の総量が決まっているなら分かち合おう」「君が思うより人はやさしい」「殴り合っても時間は解決しない」「ボタンの掛け違いの不幸は許し合おう」。
性善説に基づく、理想主義的なメッセージがこれでもかと続いている。
おそらく今年一番多く販売されたということになるCDが、こういう反戦歌であることと、世の中の動きにはギャップがあり過ぎて戸惑う。
もちろん多くの人が戦争より平和を望んでいるだろう。しかし世界中のどこかで、今も紛争が続いている。戦火が途絶えた時代はない。国内でもヘイトスピーチが溢れ、他国の脅威を心配する声も多い。理想と現実は違う。性善説を徹底して説く者は、時として揶揄され、疎んじられ、排除される。
しかし、歌なら、臆面もなく性善説、理想論を説くことができる。(昨年の紅白歌合戦の桑田圭佑が一部で批判されたのは、過激なパフォーマンスに対してであって、歌そのものが批判されたのではなかった。)
私もリアルタイムで経験した訳ではないが、かつて反戦フォークソングが盛んだったころ、若者はデモに行き、反戦平和を訴えた。しかし世の中は変わらなかった。その経験から「歌で世の中は変わらない」と人々は悟ってしまったのかのようだ。
歌は無力だ。だから、どんな歌でも臆面もなく歌うことができるのだ。何という皮肉だろう。
しかし、例え無力であっても、こういう歌がある世界とない世界では、ある世界の方が好ましい。
しかし、秋元康の真意は何なのだろう。
夏シングルとして、水着で踊るミュージックビデオの似合う曲(『Summer side』)を外してまで、この曲のメッセージを本気で世の中に問いたかったのか。それにより、世の中を変えようという野心があったのか。それとも世の中は変わらないということを再確認したかったのか。自分の思想とは無関係に、単に1つの考え方として提示しただけなのか。
本人は絶対に口にしないだろうが、その真意を知りたい。
刺激的な戦闘シーンを延々と続けた挙句、最後の最後に、島崎が振り上げた拳を下ろすことを躊躇しているとういうミュージックビデオも微妙だ。戦闘シーンに興奮させるだけさせといて、梯子を外すような演出の意図が測りかねる。徹底的に戦ってはじめてその空しさに気づくという寓意なのだろうか。
曲調は陰鬱な感じ。爽やかさや可愛らしさとは対極にある。本当にダンスのための曲なのだろう。
テレビ番組でも「ダンスが難しい曲」とか「島崎のダンスが上手くなった」とか、ダンスに目を向けたコメントが多かったように思える。
確かに、この歌詞に「共感する」と素直に言うのは気恥ずかしいし、かと言って「所詮理想論だ」とネガティブに言うのも憚られる。コメントしにくい歌詞なのだ。
歌詞を改めて読むと、明らかに反戦歌である。
「憎しみの連鎖を断ち切ろう」「世界の涙の総量が決まっているなら分かち合おう」「君が思うより人はやさしい」「殴り合っても時間は解決しない」「ボタンの掛け違いの不幸は許し合おう」。
性善説に基づく、理想主義的なメッセージがこれでもかと続いている。
おそらく今年一番多く販売されたということになるCDが、こういう反戦歌であることと、世の中の動きにはギャップがあり過ぎて戸惑う。
もちろん多くの人が戦争より平和を望んでいるだろう。しかし世界中のどこかで、今も紛争が続いている。戦火が途絶えた時代はない。国内でもヘイトスピーチが溢れ、他国の脅威を心配する声も多い。理想と現実は違う。性善説を徹底して説く者は、時として揶揄され、疎んじられ、排除される。
しかし、歌なら、臆面もなく性善説、理想論を説くことができる。(昨年の紅白歌合戦の桑田圭佑が一部で批判されたのは、過激なパフォーマンスに対してであって、歌そのものが批判されたのではなかった。)
私もリアルタイムで経験した訳ではないが、かつて反戦フォークソングが盛んだったころ、若者はデモに行き、反戦平和を訴えた。しかし世の中は変わらなかった。その経験から「歌で世の中は変わらない」と人々は悟ってしまったのかのようだ。
歌は無力だ。だから、どんな歌でも臆面もなく歌うことができるのだ。何という皮肉だろう。
しかし、例え無力であっても、こういう歌がある世界とない世界では、ある世界の方が好ましい。
しかし、秋元康の真意は何なのだろう。
夏シングルとして、水着で踊るミュージックビデオの似合う曲(『Summer side』)を外してまで、この曲のメッセージを本気で世の中に問いたかったのか。それにより、世の中を変えようという野心があったのか。それとも世の中は変わらないということを再確認したかったのか。自分の思想とは無関係に、単に1つの考え方として提示しただけなのか。
本人は絶対に口にしないだろうが、その真意を知りたい。
刺激的な戦闘シーンを延々と続けた挙句、最後の最後に、島崎が振り上げた拳を下ろすことを躊躇しているとういうミュージックビデオも微妙だ。戦闘シーンに興奮させるだけさせといて、梯子を外すような演出の意図が測りかねる。徹底的に戦ってはじめてその空しさに気づくという寓意なのだろうか。
曲調は陰鬱な感じ。爽やかさや可愛らしさとは対極にある。本当にダンスのための曲なのだろう。