シンディがブログで
「男女間の友情は成り立つか」について論じている。懐かしく、青臭いテーマだ。十代の頃、誰しも一度は論じたことがあるのではないか。
これまでも、 「初恋は成就しないか」、「都会に出て行った恋人は心変わりするか」という命題を、過去の楽曲を紐解くことで検証してきた。「男女間の友情は成り立つか」は、ややマニアックなテーマだけに、男性アイドルの曲や、アルバム曲なども入ることをご容赦いただきたい。
恋愛感情を抱いているが、まだ恋人にはなっていない段階の「友達」は、シンディの条件には合致しないだろう。
榊原郁恵『友達から恋人へ』(ホリプロスカウトキャラバンのテーマ曲)は「友達から恋人へ変わるのよ私たち」と、友達からの脱却の決意を歌う。
南沙織『ともだち』では「妹か恋人かともだちになりたいの」と歌う。「ともだち」はあくまで第三希望だ。妹が第一希望というのが、よくわからないが。
郷ひろみの名曲『よろしく哀愁』では、「友達と恋人の境を決めた以上 もう泣くのも平気」と、明確に境界線を定義している。友達の女の子を泣かすのは気が引けるが、恋人なら遠慮は無用ということか。ちょっとDV系か。
なお、一旦恋人になってしまったら、友達にはもう戻れない。友達から恋人へは一方通行なのだ。岡田有希子『哀しい予感』は「心と心離れたら 友達でさえもいられない」と歌う。
恋人までの、経過的な存在の「友達」ではなく、恋人に発展しない恒久的な「友達」関係を歌った楽曲もある。これらはシンディの条件に合っているだろう。
芳本美代子の『失恋ボーイフレンド』(アルバム「ミスロンリーハート」収録)。失恋する度にボーイフレンドを呼び出し、今回は第三京浜から横浜横須賀道路を通り、夜の海を見にドライブしている。彼の方は恋愛感情を抱いているようだが、黙って彼女に付き合っている。彼女もそんな彼の気持ちにようやく気づき「曖昧な関係に甘えていてごめん」と歌う。微妙なバランスの上に成り立っていた「友情」は恋愛関係に変化していく。ドライブの進行と気持ちの揺らぎがシンクロして描かれた名曲。
以前、 『ビーチサンダル』の記事でも引用した、酒井法子の『友情キッス』(アルバム「ホワイトガール」収録)。「もし私あの夜にソファでイヤリング外したら 大切なこの友情なかったのね」。かつて一線を越えなかったことが幸いして友達関係が続いている二人。でも彼女は今も彼のことが好きで、失恋して落ち込む彼を励まし、「複雑だわ 君が振られて」と歌う。この二人もやがて恋人になる気配がある。
河田純子『シ・ン・ユ・ウ』。失恋した彼女に付き合って、最終電車まで遊ぶ彼。「恋人同士に見えるだろうね 僕なら気にしないけど」。むしろ恋人になりたいと密かに思っているのだろうが、口に出せない切ない思い。この二人には後日談があり、『シ・ン・ユ・ウ2』では、何年後かのクリスマスにも「大好きさ本当さ親友さ 素敵な今を 特別な日を ずっと忘れずにいようね」と歌っており、恋愛には発展していないようだ。
そしてAKB48の『Only today』。元カノで今は友達の恋人である彼女を、1日だけ呼びだして海辺で過ごす歌。切ないひととき。この二人がどうして別れたかは不明だが、喧嘩別れではなく、友達関係は続いているようだ。しかし彼は、「今更気づいた 大切な宝って後から見えて来る」と未練もいっぱい。「2人は今日だけ 明日になれば友達の3人に戻るだけさ」と懸命に言い聞かせているが、こんな時、夕立など降ってきて、駆け込んだバス停で見つめあったりすれば、本当に意思を強く持って、友達の関係を維持できるのだろうか。
結論。男女間の友情は、稀に成り立つ場合もある。とりわけ、一方に別の恋人がいる(いた)場合。ただし、その別の恋人と別れたら、友情は恋愛に変わる可能性が高い。
青臭い議論を、臆面もなくファンに仕掛けるシンディは、とても心が若いんだと思う。もしお互い十代の頃出逢えたら、兄妹や恋人は無理でも、いい友達にはなれたかもしれない。
蛇足。
私が古い楽曲のことを思い出して書くのは、ただ薀蓄を披露するためではない。過去の優れた楽曲を紹介したい、そしてそうした過去からの作品の蓄積の延長線上に現在の作品もあることを論じたいからだ。和歌や歌舞伎が伝統文化として根付いているように、アイドルポップも伝統文化となるためには、優れた楽曲、パフォーマンスも孤立したものであっては足りないと思うからだ。
そして、原則、好きな曲、または印象に残っている曲しか引用しない。あやふやな記憶を資料で確認はするが、引用のために資料をひっくり返して捜すことは極力避けている。
そうしないと、自分自身の「ときめき」を表現するという、本来の目的からかけ離れた文章になってしまうから。
これまでも、 「初恋は成就しないか」、「都会に出て行った恋人は心変わりするか」という命題を、過去の楽曲を紐解くことで検証してきた。「男女間の友情は成り立つか」は、ややマニアックなテーマだけに、男性アイドルの曲や、アルバム曲なども入ることをご容赦いただきたい。
恋愛感情を抱いているが、まだ恋人にはなっていない段階の「友達」は、シンディの条件には合致しないだろう。
榊原郁恵『友達から恋人へ』(ホリプロスカウトキャラバンのテーマ曲)は「友達から恋人へ変わるのよ私たち」と、友達からの脱却の決意を歌う。
南沙織『ともだち』では「妹か恋人かともだちになりたいの」と歌う。「ともだち」はあくまで第三希望だ。妹が第一希望というのが、よくわからないが。
郷ひろみの名曲『よろしく哀愁』では、「友達と恋人の境を決めた以上 もう泣くのも平気」と、明確に境界線を定義している。友達の女の子を泣かすのは気が引けるが、恋人なら遠慮は無用ということか。ちょっとDV系か。
なお、一旦恋人になってしまったら、友達にはもう戻れない。友達から恋人へは一方通行なのだ。岡田有希子『哀しい予感』は「心と心離れたら 友達でさえもいられない」と歌う。
恋人までの、経過的な存在の「友達」ではなく、恋人に発展しない恒久的な「友達」関係を歌った楽曲もある。これらはシンディの条件に合っているだろう。
芳本美代子の『失恋ボーイフレンド』(アルバム「ミスロンリーハート」収録)。失恋する度にボーイフレンドを呼び出し、今回は第三京浜から横浜横須賀道路を通り、夜の海を見にドライブしている。彼の方は恋愛感情を抱いているようだが、黙って彼女に付き合っている。彼女もそんな彼の気持ちにようやく気づき「曖昧な関係に甘えていてごめん」と歌う。微妙なバランスの上に成り立っていた「友情」は恋愛関係に変化していく。ドライブの進行と気持ちの揺らぎがシンクロして描かれた名曲。
以前、 『ビーチサンダル』の記事でも引用した、酒井法子の『友情キッス』(アルバム「ホワイトガール」収録)。「もし私あの夜にソファでイヤリング外したら 大切なこの友情なかったのね」。かつて一線を越えなかったことが幸いして友達関係が続いている二人。でも彼女は今も彼のことが好きで、失恋して落ち込む彼を励まし、「複雑だわ 君が振られて」と歌う。この二人もやがて恋人になる気配がある。
河田純子『シ・ン・ユ・ウ』。失恋した彼女に付き合って、最終電車まで遊ぶ彼。「恋人同士に見えるだろうね 僕なら気にしないけど」。むしろ恋人になりたいと密かに思っているのだろうが、口に出せない切ない思い。この二人には後日談があり、『シ・ン・ユ・ウ2』では、何年後かのクリスマスにも「大好きさ本当さ親友さ 素敵な今を 特別な日を ずっと忘れずにいようね」と歌っており、恋愛には発展していないようだ。
そしてAKB48の『Only today』。元カノで今は友達の恋人である彼女を、1日だけ呼びだして海辺で過ごす歌。切ないひととき。この二人がどうして別れたかは不明だが、喧嘩別れではなく、友達関係は続いているようだ。しかし彼は、「今更気づいた 大切な宝って後から見えて来る」と未練もいっぱい。「2人は今日だけ 明日になれば友達の3人に戻るだけさ」と懸命に言い聞かせているが、こんな時、夕立など降ってきて、駆け込んだバス停で見つめあったりすれば、本当に意思を強く持って、友達の関係を維持できるのだろうか。
結論。男女間の友情は、稀に成り立つ場合もある。とりわけ、一方に別の恋人がいる(いた)場合。ただし、その別の恋人と別れたら、友情は恋愛に変わる可能性が高い。
青臭い議論を、臆面もなくファンに仕掛けるシンディは、とても心が若いんだと思う。もしお互い十代の頃出逢えたら、兄妹や恋人は無理でも、いい友達にはなれたかもしれない。
蛇足。
私が古い楽曲のことを思い出して書くのは、ただ薀蓄を披露するためではない。過去の優れた楽曲を紹介したい、そしてそうした過去からの作品の蓄積の延長線上に現在の作品もあることを論じたいからだ。和歌や歌舞伎が伝統文化として根付いているように、アイドルポップも伝統文化となるためには、優れた楽曲、パフォーマンスも孤立したものであっては足りないと思うからだ。
そして、原則、好きな曲、または印象に残っている曲しか引用しない。あやふやな記憶を資料で確認はするが、引用のために資料をひっくり返して捜すことは極力避けている。
そうしないと、自分自身の「ときめき」を表現するという、本来の目的からかけ離れた文章になってしまうから。