特命大使の派遣

2011年09月20日 | 歴史を尋ねる

 明治8年の書契問題が決裂した直後に江華島事件(明治8年9月28日)が勃発した。外務省の森山茂、広津弘信はその11月に「特に大使を朝鮮国江華島に派し彼国隣誼に悖りたる罪を問ふの議」を外務卿に建議した。この中で、江華島砲撃事件だけが重大なことではなく、そもそも朝鮮が交渉の約束を破っていることが問題であって、雲楊号のことと同じ重大さであると述べ、朝鮮には、事件を謝罪し約束を守り、親睦を図って条約を結べばこのような事件が再び起こることを防ぐことが出来ることを説くべきとした。また、そのための特命大使を朝鮮の首都の入り口である江華府に直接派遣する事を提案した。江華島事件に対する日本側の対応も遅れたが、朝鮮側も政府から何の反応もなかった。 これを機に完全に断絶するとか、こういう事件があったとか、一言も何も言ってこないのである。その事を踏まえて日本側の方針は特命大使を派遣する事となり、明治8年12月9日に陸軍中将兼参議開拓長官である黒田清隆が特命全権弁理大臣として朝鮮に派遣する発令がなされた。

 明治9年2月11日午後1時、日朝両国の大臣会談が開かれた。まず朝鮮側から、日本の兵士2名が上陸の際に溺死事故があったことに驚きと共に各地方へ通達して遺体が発見された場合は日本へすぐに通知することを約した。日本側はそれを謝した。また朝鮮側も、日本人が勝手に遊歩しないよう要望したことを守っていることに感謝の意を表した。 

 黒田全権大臣は、「我が皇帝陛下は、両国三百年の旧交を敦(あつ)うするの意を以って、貴国接待の大臣へ細かに談議いたすべしと鄭重に命じられたり」と本題に入った。
 それに対し申大臣は、「両国三百年来の交誼、誠に廃すべからざるなり。今、さらに旧交を敦(あつ)うするの言を承って、殊に感謝に堪えず」と答えた。

 冒頭からまず日朝両国の国交をより緊密な関係とすることが確認された。次に黒田は、王政維新の書契を贈ったことや使臣を派したことに触れ、「今に何の回答もないが、両国で情意が充分に通わないのはこのためではないか」と問うた。申大臣はこれに答えて、「両国間で従来からの慣習の違いがあり、それによって疎隔を生じた故であろう。今さらに憫忙(心痛)している」と述べた。 

 黒田「念のために一応承りたい。従前両国の情意阻隔、我が国の書簡に答えずに8年を久しく経て遷延したことは、今日に至って非理と思われるか。」

 「戊辰(明治1年)以来、書契の件、従前はこれを拒みたるもの、今ことごとく氷解した。向後はこれを拒まず異議なく領受すべし。」

 井上「しからば我が国の情意はすでによく通じた。貴国のこれを拒みしは今は悔悟されたであろう。」

 申・尹「我らは貴大臣を接待する一介の使臣なれば、悔悟の字面は説き出し難い。従前の疑いは全て氷解したということである。」

 井上「それなら、このような事が友好国に対し当然のことと思われるか。」

 申「すんだことは必ずしも是非を論ぜず。今後の和交を計らんとすでに説いているのである。」

 井上「事の是非を明らかにしないとは、その意を得ないことである。今しばらく両国交際のことをもってこれを論じないが、ただ貴大臣は自ら反省されよ。互いに交際する約束に背いて信を失うことを理に合うこととするか。悖ることとするか。」

 申「すでに説いたように、戊辰以来の書契などのことは全てこれを拒む必要はなかったと思う。しかし、過去の非を陳謝することは(その権限上)本大臣ではあえてなし得ないところである。」

 これを以て会談第1回目を終了。

 翌日12日の会談第2回目、黒田は佐賀の乱のことなども話し、日本がいかに朝鮮と交際することに努力してきたかを懇々と説いた。その上で、ただ「氷解した。」だけでは、こちらは帰国して報告も出来ないし過去のことを咎めないということにも至らない、と述べ、貴国が日本に無礼をしてきたことに対してそれ相当の挨拶があってしかるべきであると、朝鮮政府の正式な謝罪を求めた。

 それに対して申大臣は、「この数年の両国の阻隔によって、貴国の内情が不安になり、ついに佐賀の変までになったことは今日はじめて承った。貴朝廷の様々な努力の委細を承って、あらためて感謝に堪えない。我が国においてもかつて阻隔を生じさせた東莱府使を追放し訓導を処刑したことは既に御承知もあるべし。しかしながら、我らはただ接待の命を奉じて来たのであってここでご挨拶するわけにもいかない。いずれ朝廷へ上申した上で、朝廷から貴大臣が納得されるだけのそれ相当のご挨拶は致すべきなり。」 と政府からの謝罪があるだろう事を告げた。

 これにより黒田は、過去のことはこれで不問にするとして、今後の日朝両国の交情に阻隔がないように永遠共守の条約を締結することを提案し、条約案を提示した。

 以上は、「きままに歴史資料館 明治開花期の日本と朝鮮(5)」から特に興味深いやり取りを転載させていただいた。澤田獏氏の労作に感謝したい。これが日本侵略の第一歩と歴史書の書かれている会談の事実関係だ。http://f48.aaa.livedoor.jp/~adsawada/siryou/060/resi016.html


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。