国憂る者ありや

2011年09月19日 | 歴史を尋ねる

 明治8年の書契に対する朝鮮朝廷内の議論を見てみたい。これも前述石田徹氏の論文による。政権の座を追われたがまだ影響力を有していた大院君と右議政朴珪寿との論争である。大院君は当初の書契は妄りに尊称を加えた約条違反、今回の書契は①皇・大・勅の使用、②対馬藩の私貿易、③日本使節の応接、④日本と西洋の交際、⑤日本語の使用を受取拒否に挙げた。石田氏が指摘するのは②で、外務省と外務大丞を嘗ての将軍家、対馬島主と同様に捉え、日本の大政奉還・廃藩置県などの変化の意味を把握せずに、前例に依るべしとしていることである。この意見に対し、朴珪寿は真っ向から反対した。宗氏の職名、爵位が変更したことなどはそれほどたいしたことではない、天皇という言葉も日本では1000年以上も使っている、天子という表現のみ改めるべきだと主張した。彼は書契の形式上の変化を重視するのではなく、日本が書契を送ってくるという事実を重視した。「交隣においてはただ礼を以て接するのみであって、日本がすでに書契をもたらしてきている今、たとえその文中に問題があろうとも、朝鮮としては礼を以て接し、日本に乗じるべき隙を与えてはならない」、とした。

 書契授受をめぐる論争は、次にもたらされる書契を日本使節と会談を行う際にそれを確認し、その場で理を以て退けるよう命じることで結論が下された。さらに国王は、朝廷の高位要職にある者35名を召集し、再度書契授受問題の諮詢を行った。やはり受取拒否を主張するものが多く、あくまでも書契の一点一画たりとも前例から逸脱してはならないとした。この結果に朴珪寿は「各自書契を受け取ろうという意もあったが、誰もそれを口に出さず脅迫をおそれ、はっきりしなかった」と感想を残している。最近出会った歴史家加藤陽子氏(「それでも、日本人は戦争を選んだ」の著者)は歴史的事件には「問題=問い」があるはずだといっている。しかも正しい問いが。とすれば、これは朝鮮側にこそ問いを発するべきではないか。しかしながら、韓国人の書いた歴史書になぜか、この書契問題の記述が少ないか、触れずに、一気に江華島事件、日朝修好条規に飛んだ記述が多い。この時朝鮮朝廷が朴珪寿の考えを採用していれば、その後の東アジアの様子も大分違ったものになったのではないか。

 最近アジア歴史資料センターも出来て一次資料が得やすくなっている。その資料を基に、日朝間にかかわる歴史資料ブログを見つけたので参考に供したい。http://f48.aaa.livedoor.jp/~adsawada/siryou/060/resi012.html

このHPは12月に終わるようだ。アーカイブも出来るようだが、早めに見ていただきたい。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。