南洋群島の占領

2014年08月04日 | 歴史を尋ねる

 第一次世界大戦時の日本のドイツ領南洋群島の占領は、イギリス自治領のオーストラリアやニュージーランドにとっては仮想敵国視する日本の脅威が接近することを意味し、アメリカにとっては本土とグアム・フィリピン間の海上交通を遮断されるため、極めてデリケートな問題であった。一方、日本海軍にとって南洋群島は対米海軍戦略上と南進政策推進上からも価値ある島嶼群であった。日本海軍は南洋群島の占領に反対する英国や外務省を説得し、米国の反発を予想しながらなぜ占領に踏み切ったのか、平間洋一氏はその著書で次にように分析している。

 南洋群島の占領には当時の南進論、経済的財政的困窮を打開しようとする農商務省中心の経済的要因による南進と佐藤鉄太郎に代表される海洋国防論からの南進と二つの南進論があった。海軍は1907年の帝国国防方針の中でアメリカを仮想敵国とし、八八艦隊整備の必要性を世論に訴え、海洋(南進)への関心の高揚に努めた。熱帯を制する者は世界を制する、我将来は南にあり、と。このような風潮を受けて農商務省も経済的側面から南洋への関心を高めた。大戦が勃発すると、日本の参戦にオーストラリアやニュージーランドはイギリス植民地相に危惧を表明、米国では上院で海上各島嶼領土の現状変更に対して等閑視しないという議案が提出された。しかし英国のチャーチル海相のカナダ方面の警備依頼、英国支那艦隊司令長官のシンガポールへの艦隊派遣依頼を受け、日本海軍は英国が戦域制限を撤回したとの判断を固め、マリアナ群島、カロリン群島のドイツ東洋艦隊の索敵撃滅行動を命じたが、この時点では単なる索敵撃滅計画であった。更にチャーチル海相よりマーシャル群島やドイツ艦索敵撃滅の依頼もあり、日本海軍は何分の命あるまでマーシャル群島、若しくはカロリン群島に留まり便宜根拠を定め同方面の索敵を継続するよう指示を出した。オーストラリア艦隊が北上する情報が入ると、これ以上遅くなれば南洋群島もニューギニアやサモア同様オーストラリアやニュージーランド軍に占領されてしまうと考えたのか、南洋諸島の一時占領、場合によっては永久占領の必要性を閣議に諮り、今後の推移を顧みることとし、差当り一時占領で了承された。閣議決定を受けると、海軍は群島の要地を占領し守備隊を置くべし、守備隊は時機を見て交代する予定と占領命令を発した。 

 戦局が進むにつれて英国巡洋艦がドイツ巡洋艦に撃沈されるなどドイツ東洋艦隊の活動が活発化し、英国は日本に支援要請を行った。日本艦隊は太平洋におけるドイツの主要根拠地を根絶するという大目的はもとより、いたるところで敵艦艇の捜索、通商保護、護衛任務などの無限の援助を与えていることに深く感謝するとの謝電が、英国海軍省および英国海軍の名において、寄せられた。一方米国では、日本が参戦してしまったこと、宣戦布告に膠州湾返還の一句を入れたこと、三国干渉以来のドイツの日本に対する不当な圧迫に関する説明などもあり、開戦以降高まった過激な反日世論は鎮静化しつつあった。国務長官ブライアンから日本の行動は日英両国で決すべきで、アメリカ政府は干渉的手段を執らないとの記者会見、ウイルソン大統領からは中立宣言が発表された。日本海軍は米国の過激な反日世論には警戒し留意していたが、ウイルソン大統領や政府当局者は冷静慎重な態度だったことを評価し、南洋諸島を占領しても反日世論が激化することもないだろうと判断した。