寄り道 三国干渉と台湾

2014年03月05日 | 歴史を尋ねる

 ロシアは朝鮮半島北部に進出し、東北三省に足場を築いていた。極東に不凍港を求めるのがロシアの国策であり、遼東半島の旅順、大連は最も欲しい港だった。李鴻章は伊藤博文から正式に割譲要求が出されると、ただちに清の外務省に打電し、ロシア公使カッシーニに日本の要求を知らせた。ロシアはその報に接すると、直ちに列強諸国に呼びかけ、共同で日本に圧力をかけて、遼東半島割譲を諦めさせようとした。この呼びかけに英国と米国は冷淡であった。フランスはロシアの同盟国という立場から賛同。ドイツは中国に勢力の及ぶところがなく、願ってもない機会だと、これに加わった。日本は御前会議で①要求を拒否して三国と戦う、②列強会議を開いて、国際的な場で遼東問題を解決する。③遼東を返還し、清国に恩恵を示すの三案をはかり、いったんは二案を採った。しかし日本の精鋭部隊は陸軍が遼東に、海軍が澎湖に派遣され、本土防衛は空白に近かった。病床にいた陸奥は二案に反対し、三案が採られた。日本は三国の提案を受け入れ、中国に遼東半島を返還するにあたって、再び中国を威嚇し、代償としてさらに三千万両を追加した。列強三国の干渉も、結局中国のためというよりも、自国の利益のために行われた。間もなく三国は、中国に対し、日本に遼東半島を返還させた酬労費(お礼)として、ロシアには大連と旅順、ドイツは膠州湾、フランスは広州湾、英国は威海衛、九龍の租借を要求した。この三国干渉は、かえって国際的な中国瓜分(分割)の動きを激化させた。

三国干渉の結果は、朝鮮にも及ぼした。三国干渉に屈した日本をみて、朝鮮の閔氏一族はロシアに接近、クーデターを起こして政府部内から親日派を除き、親露派を登用した。これに対し日本公使三浦梧楼の策謀で、日本人二十数人と親日派が大院君を擁して再クーデターを起こし、閔妃を殺害した。しかし、この事件はかえって朝鮮の民衆の反日感情をあおり、親日政権はたちまちくつがえされ、日本はロシア軍の朝鮮駐在権を認めた。朝鮮に限らず、中国内でもこの時期「連露制日」の動きが起こっている。いわゆる中露密約(李鴻章・ロバノフ協定)がそれで、中国は日本を牽制するため、ロシアの勢力が東北地方に入ることを許した。日清戦争における日本の勝利は、ロシアを極東へ進出させる契機ともなり、日露戦争という次の国際緊張の遠因をつくったとサンケイ新聞の注釈は解説する。さらに付け加えると、この時点での日本の極東アジアの国際関係では、すでに随分孤立化しているように見えるし、どこの国と仲良くするのか、連携をとるのかといった視点が見えてこない。本来味方にしなくてはならない、朝鮮、中国との配慮がやはり欠けていたとの反省が浮かんでくる。当時の日本がやはりつま先立ちして、欲張りすぎている、戦争の収め方に敵を作りすぎている(戦争の目的以上のものを奪取しようとしている)のが、惜しまれる。

 蒋介石は台湾、澎湖についてもその考えを披露している。中国人の祖先が台湾を発見し、以来営々と開発の努力を進めた。原始の地に文明をもたらし、村を城市へと発展させたのも、すべて中華民族の血と汗の成果である。明代末期、台湾がオランダに占領されたとき、鄭成功はオランダを駆逐して、光復した。この時期大陸の志士、仁人は海を渡って、漢民族による明国を再興するために奮闘した。これによって台湾の経済、文化は中国本土に負けぬほど発展し、民族の大義と祖国への感情も民心に深く根を下ろすこととなった。ところが清代の末期になって、台湾はまず仏軍に侵され(清仏戦争)、ついに日本に割取されるところとなった。日本への割譲を知らされた台湾では、憤激した住民が役所に押しかけ、廃約を要求した。この民情を北京に知らしたが、清国は答えず、援軍の請求も無視され、批准書交換後、台湾駐在の責任者を解職し、総引き揚げを命令された。ついに台湾では抗日以外に方法がなくなり、義勇軍を編成し、日本軍と闘った。この戦闘で日本の死傷者5千余、病兵2万7千余という大きな犠牲を払った(日本側の資料では死傷者7百余、病兵2万とされている。特にマラリアによる風土病に侵されたのが理由)。

 日本が大きな犠牲を払ってまで台湾を掌中に収めようとしたのは軍事上の理由にあった。台湾はこの後の日本の南進作戦の重要な布石となった。台湾は中国大陸にとって、東方に開かれた唯一の門戸であり、本土の東海岸と南洋諸島との中間という重要地点を占める。東南アジア一帯の島々の中で、気候は最もよく、物産も豊富である。帝国主義者たちは、中国本土を蚕食し、西大西洋を制するために、まず台湾の土地を奪い、台湾の同胞を奴役した。日本に掠取された台湾は、その後大陸をうかがう基地となり、南進を目指す踏板となった。台湾の同胞の膏血と自然資源は、日本軍閥のとなえる、大東亜共栄圏の犠牲に供せられたと蒋介石は結んでいる。中国大陸から見た台湾の地政学的重要性をこのように語っている。今も尚、日米と中国との間には同様の問題が横たわっていることを知っておくことも重要である。