・昭和25年5月2日、総司令部は憲法記念日のマッカーサー元帥のの日本国民向けメッセージを発表した。日本国民は国家的災難をもたらした神話と伝説に根差した伝統を振り捨て、これに代わる真理と現実に通ずる光明の道を選んだ。日本の憲法は自由アジアの大憲章(マグナカルタ)として歴史に記録されるだろう、と。そのあと、共産主義批判に移り、日本共産党について言明、「憲法の保護の下に結成された日本共産党は、最近では合法の仮面をかなぐり捨て、国際的略奪勢力の手先になり、外国の権力政策、帝国主義的目的および破壊的宣伝を遂行する役割を引受けた。これは共産党がその破壊しようとする国家および法律からこれ以上の恩恵と保護を受ける権利があるかどうかの問題を提起する」と。
・5月3日、宮城前広場に一万二千人をあつめておこなわれた憲法施行三周年記念式典で、吉田首相は「この憲法の理想を実現するためには、民主主義の仮面を装うあらゆる反民主的なものを排除せねばならぬ」と。
・駐日ソ連代表デレビヤンコ中将はマッカーサー元帥に質問状を送った。日本では旧日本海空軍基地の復活と近代化が行われている。これは1947年6月の「降伏後の対日基本政策」に違反すると見られるので、真相を対日理事会に報告してほしい。米軍基地の撤去を要求し、前日の元帥の共産党非合法化のすすめ声明に反発したものであった。
・5月4日、元帥は中将に返書を伝達、在日米軍基地は合法的存在である、批判は受け付けない、攻撃に対応する態勢も取っている、と。ソ連代表部は沈黙した。
・5月7日、英連邦対日講和作業委員会の参加八か国が合意したと報道、対日講和条約の早期締結は極めて望ましい緊急課題である、過酷な条件・懲罰的条件を付けるべきでない、ソ連および中共を参加させる道をひらいておかねばならないが、不可能の場合は、極東委員会の非共産国にインド、インドシナのバオダ政権を加えて単独講和を推進すべき、と。
・5月8日、吉田首相は記者会見を行った。日本と米国との間では、すでに事実上のいわゆる単独講和状態が出来ている。最近は軍事基地の問題がとりあげられるが、議論の多くはソ連の受け売りに過ぎない。いわゆる軍事基地は占領基地で、われわれは占領政策として当然に受け入れねばならない立場にある。基地が問題になるのは講和条約のときだが、われわれはまだなんの申し入れも受けておらず、今日議論すべきことではない。日本としては現在の事実上の講和状態を法的な条約締結に押し進めてゆかねばならない、と。
・5月11日、英米仏三国外相会議が開幕した。外相ベヴィンは、米国が会議前に方針案を届ける約束を守らなかった為、マスコミ、議会、実業界から攻めたてられた、今回長官が情報を与えてくれるかどうか知りたいと異例の挨拶。国務長官アチソンは、以前対日講和にともなう安全保障問題で困難にぶつかっていると報告した、現在もそれ以上は言えない状況である、軍部の主張は、ソ連・中共参加の場合、彼らの反対で安全保障条項を条約にふくませられなくなり、両国不参加の場合はソ連の対日行動を刺激する、というジレンマを抱えている、ゆえに軍当局は対日講和条約は締結できないと言っている。これから述べることは絶対極秘である、国防長官と統合参謀本部議長がマッカーサー元帥との意見調整にために訪日する。二人が帰国してから、国務省と軍部の協議が再開される。方針が未決定である事実は秘匿する必要がある。ソ連がかぎつければ、先手を打って対日講和会議開催を提唱する恐れがある。
・外相会議が正午に昼食となった。その直後、アチソン長官は国務省から急報を受け、愕然となった。ニューヨーク・タイムス紙が統合参謀本部と国務省のそれぞれの対日講和に関する見解を伝え、アチソンは統合参謀本部、トルーマンの承認を得ていない、との記事が掲載された。 統合参謀本部:対日単独講和を結ぶことは、ソ連の侵略を恐れる日本を含むすべての国にとって利益にならない、①ソ連が恐れるのはヨーロッパとアジアでの2正面作戦を強制されるが、講和条約によって日本における米軍と基地を失うことになれば、ソ連は2正面作戦の恐怖から解放される。②ソ連と日本との戦争状態がつづき、ソ連は日本に圧力をかけて他国との協定、条約の締結を妨害できる。 国務省:①日本列島がいざというとき対ソ作戦の基地に使えるからといって、無期限に占領を伸ばすには危険な政策である。②信頼できる協力関係は、講和により日本が再び大規模な独立性を与えることによってのみ可能である。③在日米軍の安全保障のための協定をつくるのは参謀本部の任務であり、統合参謀本部の希望を充たす政治的条件を決めるのが国務省の仕事である。以上の意見の対立は解消せず、トルーマン大統領は外相会議に対日講和問題を持ち出すのは賢明でないと判断した、と。漏洩防止を英国側に要請したのに、すでに米国側が漏らした形になった。
・5月17日、朝日新聞ニューヨーク支局は池田蔵相と元貿易庁長官白州次郎が次の結論を得て帰国する模様だと報道、①対日講和条約の締結は早期には実現しそうにない。 ②日本における中立論は米ソの冷戦状態がつづく現状では単なる理想論に過ぎないと米政府当局は見ている。 ③米ソ関係が近い将来に好転する見込みがない中で、現在日本では全面講和か単独講和かといってこれを政争の具に供するのは、日本が置かれている立場にそぐわない。 ④日本としては経済再建が当面の急務である。この点について、米陸軍省予算として援助を受けている以上、ドッジ政策、シャウプ税制勧告の原則をあくまで堅持する以外に道はない、と。 ふーむ、当時は朝日新聞も、池田蔵相の見解をそのまま報道していたのだ、読者にとってもこの方が理解しやすい。記者の想いはそのあとで十分だ。
・5月18日、トルーマン大統領は定例記者会見を行い、対日講和について語った。①ジョンソン国防長官の訪日は、これまでの他の地域への視察旅行と同じ目的を持つ。 ②講和条約締結の仕事はアチソン国務長官の責任である。 ③対日講和の交渉がそう遠くない時期に開始されることを希望する。 大統領の言明三点のうち最も重視すべきは②で、これは軍とマッカーサー元帥に対するけん制の意味も持っていると、AP通信は解説した。軍部首脳たちは彼らの論理で外交政策に掣肘を加えようとし、連合国最高司令官マッカーサー元帥を味方にして自分たちの主張を通そうとしている。これは民主政治の根幹にふれる問題であり、大統領は外交が国務省の担当であることを確認し、軍部に警告を与えた、と。この政府官邸筋の解説に従えば、大統領言明の②は、③とのあわせて、軍部にかまわずに対日講和を推進せよとの国務省に対する励声だとも理解できる、と児島襄氏。現実に、この日の夜、国務省は対日講和問題担当の国務次官補バタワーズの駐スウェーデン大使転出と、国務長官ダレスの専任および極東委員会米国代表ハミルトンの補佐就任を発表した。しかし日本側は、この裏面事情を知るすべもなく、軍首脳の訪日ニュースと大統領言明との関係の判断に苦しみ、米政府内に分裂が発生したと観測する向きが多かった。
・5月25日、ダレス国務長官顧問は、マッカーサー元帥と対日講和問題を協議するために来月早々に訪日し、また韓国も訪問する」と国務省が発表した。
・ニューヨーク・タイムス紙は社説でダレスの訪日を述べた。対日講和が伸びたのは、 講和参加国:極東委員会構成国13か国による対日講和を企図したが、いまやソ連と中国における傀儡政権を除外する対日講和を進めざるを得なり、ほかの太平洋諸国がどれだけ単独講和に参加するかも疑わしい。 極東におけるソ連の侵略:日本の脅威は朝鮮半島であり、ソ連が北朝鮮を支配している間に朝鮮半島から米軍が引き揚げれば、自由韓国は崩壊し、この短剣はソ連の手に握られる。一方日本は武力行使を正式に放棄し、非武装化も完全なものになっている。米軍の引揚げと同時にソ連に併合されないようにするのが米国の義務である。 ソ連の原爆保有:ソ連が原爆を持ったことは、沖縄の米軍基地や日本本土の航空基地以上のものを意味している。日本を防衛するためには、軍事的にも経済的にも日本本土を一つの基地にしなければならない、しかし米軍による日本の永久占領になってはならない。 ダレス顧問はこのような厳しい現実とにらみ合わせて、対日講和の諸問題を処理することを要求されるのである、と。 ふーむ、ニューヨーク・タイムス紙も当時は随分レベルの高い社説を掲載していたのだ、これこそマスメディア(報道機関)といわれる所以か。
・5月27日、対日理事会ソ連代表デレビアンコ中将が帰国した。夫人および代表部の幹部48人も一緒であった。
・5月30日、宮城前広場で「民主民族戦線東京準備会」主催の人民決起大会が開かれた。全労連、朝鮮人団体協議会、全学連、民主商工全協議会、東京地方労働組合協議会その他の左翼系団体が組織するもので、約200団体、約一万五千人が集まった。集会の趣意は、前年の同月日に東京都公安条例反対運動で死者一名を出した事件を記念するためと称されたが、「共産党の非合法化反対」「平和を護る全人民の要求貫徹」などのスローガンと、参議院選挙の共産党立候補者を支持するという決議案を用意していたことなどから、人民決起大会の性格は明らかだった。総司令部は反米・反政府集会と見定め、政治デモの慣例的措置としてCIC(対敵諜報部)要員を会場に配置した。丸の内署も制・私服警官を配置して警戒に当たらせた。丸の内署の巡査が演説の内容をメモしてると参加者がとがめ、メモを取り上げつるし上げた。それを見てCIC員5人が駆け付け声をかけた。メモ帳を取返し日本人警官に渡すと、二十五、六人に手と体を押しまくられた。丸の内署の制服警官数人が現場に急行、四人の米兵は約200人の群衆に包囲された。警官たちは警棒を振るって群衆を四散させ、4人を救出した。
・本来なら偶発的事故として不問に付されてもよい些事であったが、折から共産主義勢力の脅威が強調され神経をとがらせている時期で、米国側はいきり立った。「これは日本人が戦後初めて公然と米国軍人に襲い掛かった事件である。日本共産党は、まだ若い学生や興奮し易い韓国人を大規模な示威運動に混ぜ合わせるという、新しい戦術を示した」と。総司令部第二(情報)部長ウィロビー少将は声明した。「今回の人民大会は、日本共産党が行った一種の力試しであり、このデモとベルリンのドイツ自由青年同盟のデモは密接な関連があると思う。モスクワはコミンフォルムの野坂批判が告示するように、共産党が日本国内でさらに挑発行為を行い、議会主義を離れて戦闘的になることを望んでいる」と。
・5月31日、総司令部は警視庁に軍事法廷を設置し、非逮捕者8人を十一時間に亙って審理した。軍事裁判なのでだお二審はない。
・6月1日、共産党は書記局声明を発表、①今回の事件は警視庁のスパイとトロッキスト的学生による組織的、計画的徴発である、②軍事裁判の強行は、平和を欲する日本人を処罰し奴隷化することである、③国際独占資本と吉田内閣は、全民主団体を弾圧する口実を探している、④労働者人民大衆は自由のために戦わなければならない、とし、全労働者ならびに学生諸君は、6月3日、8人の愛国者の即時釈放のためゼネストをもって立ち上がれ、と呼びかけた。
・6月2日、警視庁は都条例に基づき、治安確保のために6月5日まで菅内全地域におけるあらゆる集会、デモを禁止し、日比谷公園は3日午前9時から午後9時まで立入禁止とする、と発表。警視総監は記者会見して、皇居前広場と日比谷公園は政治闘争の場にするのはよくないので、集会には一切使用させない。ただし年一回のメーデーについては、その都度考慮する方針である、と。
・6月3日、米軍事法廷で八被告は判決が言い渡された。重労働十年大西(全新聞労組朝日支部員、23歳)、重労働七年片岡(共産党東京都組織部委員、27歳)、秋元(立教大学生、24歳)、吉田(民主青年団中央合唱隊員、20歳)、清水(民主青年団東京都委員長、24歳)、前田(民主青年団中部地区委員長)など。
・6月4日第2回参議院選挙結果:自由党52(+15)緑風会9(-20)、日本社会党36(+18)国民民主党9(-11)、共産党2(-1)労働者農民党2(-3)、無所属19(+11)
・6月6日、マッカーサー元帥は吉田首相宛てに、書記長徳田球一はじめ24人の共産党中央委員のパージ(公職追放)司令を出し、政府は緊急閣議を開き、必要な手続きをとった。マッカーサーは言う、最近に至り日本の政治には新しい不吉な勢力が生まれた。この勢力は、日本の民主主義による進歩を阻害し、この平和で静穏な領土を無秩序と闘争の場にしようとしている。彼らの手段は、過去の日本の軍国主義指導者が日本人民をだましてその将来を誤らしめた方法と、驚くほど似ている、彼らの目的が達成されれば、日本が今次戦争以上の災禍を陥れられることは間違いない、と。共産党幹部に適用されたパージ指令は、軍国主義者追放のためと同じもので、将来に亙って公職につけず、公職者に指示してならず、事務所に立ち入ることも出来ない。
・共産党のショックは大きかった。しかし今回の指令は共産党側の自業自得の面もある、と児島襄氏。共産党は終戦とともに蘇生した時は、占領軍を解放軍とみて協力体制を示したが、東西冷戦の激化に伴って反米親ソ路線を辿り、その傾向はコミンフォルムの叱咤を受けて一段と強化された。占領軍は米軍に他ならない。その環境で反米闘争を展開すれば、反軍国主義、反戦を唱えていれば米国の支持を得られるとの「甘え」が通らぬことは予期される筈である、と。
・6月7日、こんどは共産党機関紙アカハタの幹部17人を追放するマッカーサー元帥指令が発出された。だが共産党が非合法化されたわけでもなくアカハタが発行停止になった訳でもない。
・ワシントンでは国務長官アチソンが発表した。長官顧問ダレスが対日講和問題研究のため東京に向かう(同行するのは国務省北東アジア課長アリ)。朝日新聞中村特派員は、ダレス氏の訪問によって対日講和に対する米国の態度が最終的に決まるものと見られる、と。
・6月9日、国防総省は発表した。ジョンソン国防長官およびブラドレー統合参謀本部議長は二週間の予定で極東視察の途につく。
・ジョンソン・ブラドレー・マッカーサー会談は、かねての軍部の主張の対日講和延期の合意が成立し、講和議論は押しのけられた、と報道は伝えた。ニューヨーク・タイムス紙は、対日講和問題の討議は純粋な軍事的配慮の範囲内にとどまるべきではなく、東京での軍事会談も単なる軍事基地の問題であってはならない、と論評した。
・6月22日、来日した顧問ダレスのスケジュール。10時:マッカーサー元帥会見、11時半:内外記者会見、零時30分:米商業会議所昼食会、2時半:衆議院議長幣原喜重郎会見、3時15分:駐日英代表ガスコンニュ会見、4時:参議院議長佐藤尚武会見、5時:吉田首相会見。政治的講和をめざす国務省側は、ワシントンでの軍部との最終対決のためには、東京で入手すべき世論であった、と児島襄氏。マッカーサー元帥、日本側指導者、各国の在日代表、日本在住の米国人実業家、宗教人、マスコミ人たちを国務省の支持者にすることが出来れば、それは現場世論の獲得だった。
・ダレスは事前に在日基地保持について聞きたいと述べ、マッカーサーは覚書を用意していた。ダレスはマッカーサーに対して、日本の安全保障は日本を犠牲にする米国の利益を目指すより、国際的平和と安全保障の鋳型にはめて決定されるべきだと説明、ダレス覚書をマッカーサーに手交した。日本の安全保障は国連が100%機能する場合、その枠内に組み込むのが得策、日本の国連加盟は条約締結後短期間に可能となり基地の持続も短期にとどまる。マッカーサーは即座に賛成した。しかし、翌日届けられた元帥の説明覚書では、国連による日本安全保障方式には一言も触れず、日本占領の持続と年間三億ドル支出の継続を提唱するような内容だった。
・吉田・ダレス会談は極秘扱いで、予定も発表されていなかった。会談の焦点は日本の講和後の安全保障問題であり、顧問ダレスは、講和後の日本の安全保障手段として「再軍備」、「米軍基地の永久化」の二つが考えられるが意見はどうかと吉田首相に投げかけた。首相は再軍備に反対で、自著「回想十年」で次のように述べている。「再軍備などを考えること自体が愚の骨頂であり、世界の情勢を知らざる痴人の夢である」として、 ①米国の軍備は比類なき富によって築きあげられたもので、敗戦日本が望み得べきことではない。 ②国民思想の実情から、再軍備の背景となる心理的基盤が失われている。 ③理由なき戦争に駆り立てられた国民には敗戦の傷跡が残っていて、その始末もついていない。だからダレスが来日した時、再軍備の要請を断った、と語っている。だがこの日の会談では、吉田首相は再軍備には賛成しなかったが、といって正面から反対することもなく、むしろ顧問ダレスを当惑させた、と。同席したシーボルトによれば、吉田は、日本の安全保障問題の解決は、米国が日本国民の自尊心を保持させることによって可能となる、日本が世界に向かって、自分たちが民主的で非軍国主義的で平和愛好の国家と国民であることを示せば、世界が日本を守ってくれるだろう、という趣旨を語った。シーボルトは日本国憲法の前文の暗誦に等しいとコメントしているが、吉田にとって顧問ダレスがどういう立場で来日しているか承知していないので、吉田書簡に示した具体的なことは言えなかったと当ブログ主は考える。もう少し深読みをすれば、日本国民の自尊心を保持させる方法と語っているので、占領方式でない安全保障方法ならいいのではないか、と語っているように理解できる。ダレスがどう理解したかはわからない。局長シーボルトによれば、顧問ダレスは憲法には触れなかったが、しきりに自分の国を他国に守らせるのは独立を捨てることだ、応分の血と汗を流さねばならぬと説いた。ダレスは首相から明確な回答または言質を得ようとしたが、首相は比喩と堂々巡り型論法で対応し、彼はあきらめた、と。ふーむ、吉田はしたたか、日本外交の真骨頂だ。ダレスの同行した北東アジア課長アリソンによれば、首相は自由世界が日本に何らかの重要な役割を期待するのであれば、占領の過度の長期化によって日本国民の精神と主導権を束縛すべきでない。ダレスがその日本が自由世界においてはたす役割とはどんなものだと考えているかと質問したが、首相は応えなかった。そして首相は、講和後の安全保障問題は適切な協定を結ぶことによって解決が出来るだろうが、自分としては今のところ関与出来ない、と述べた。ふーむ、占領下にある日本の首相として言葉として、最大限の言葉だろう。それとなく日米安保を匂わせているように思われるが、僭越で日本の立場からとても切り出せないと言う雰囲気が、言葉の端々から感じられる。そこのところを米国側がどう受け取ったか。総司令部外交局長シーボルトの日誌には、吉田首相は返答にも会話にもひどく内気な様子を見せた、と。
・6月23日、朝日新聞は「日本の願い」と題する社説を掲載した。問題は講和の内容である、周到を欠く講和は再び日本を戦火に巻き込め兼ねない、と指摘、非武装中立を保障してくれる全面講和が望ましい、それが日本にとって良き講和である、一方の陣営に組み入れられて武力紛争に巻き込まれかねない単独講和は悪しき講和だ、と。ふーむ、これまで見て来た極東情勢・東西冷戦を考えれば、この社説は表面的な言葉に酔っているように聞こえる、しかし当時の日本の識者はこの考えが多数派だった。
・顧問ダレスは日本における世論を確かめるべく、精力的に各方面の代表者たちとの会話を重ねた。民主党幹事長は、日本の野党が全面講和論で統一されているという新聞報道は誇張である、民主党に関する限り、必要ならソ連抜きでも対日講和が推進されるべきと考えている、と。しかし再軍備と米軍基地永続の質問に対しては曖昧な回答だった。米人実業家五人は、日本製品の品質が向上しなければ輸出伸長は期待できない、日本のレイヨン産業は希望が持てる、日本を早く復興させようと思えば、一日でも早く占領を終了させるべきだ、と。
・6月24日、ダレスは労組代表(国鉄労組、電産労組、全日労、総同盟)と会談した。労組側は ①ドッジプランは労働者を犠牲にする資本家再建策である。 ②講和は全面、単独の抽象論より、日本の自主権回復後の条件が問題である、米国の安全保障のために日本を前進基地にすることには反対である。 ③日本経済の復興のためには移民とマーシャルプランのような援助政策が必要である。 ④昨年のマッカーサー書簡、公務員法改正のお陰で本来の労働組合活動が出来なくなった。 ⑤日本の安全保障については積極的にやって欲しい、と。 ダレスは、①日本が中共を含めてどの国と貿易することも可能、②移民だけで直ちに日本の経済が良くなるとは思えない。移民がその利益を本国に持ち帰れなければ効果はない、③講和問題が抽象論が無意味であるとの意見には同感だ。国民生活水準の向上と安全保障に役立つ講和が必要、④ソ連と米国の国力がかけ離れている今日、武力的問題が発生する可能性は大きくない、⑤日本の労働者は、日本一国の利益のためだけではなく、国際的協力の立場から講和問題を考えてほしい。 アリソン課長は四人の代表の発言を記録している。詳細は省略するが、再軍備が望ましいと答えた人一人、対日講和は米国の利益だけになる惧れがある、日本の国会は押し付けられた憲法によるものである、社会党は憲法改正を国会に提議しようとしたが総司令部に阻止された、現在の国際情勢下では全面講和の基礎は見当たらない、ソ連抜きの講和が推進されるべきだ、共産主義勢力に対しては民主的対抗手段を採るべきだ、と。課長アリソンは、日本労働界は分裂状態にあるようだ、まとまった勢力とはみなされない、と感想を記述している。
・さらにダレスは社会党書記長浅沼稲次郎と対面した。浅沼は全面講和、非武装中立、民主勢力による新政治体制の確立を説明、ダレスは、自分は講和問題について理想主義的な立場をとっているが、理想と現実をどう調整するかが大きな問題だ、講和会議に至るまでに日本の自主性を回復して貰いたい、そして講和のためには超党派体制が必要である旨を力説した。自分は米国の野党の一員であるが政府の要請で外交の重要問題を扱うために来日した。これは米国の超党派努力のあらわれであり、日本にも同様のことを希望したい、と。浅沼は首を振って、自由党は超党派外交を呼びかけている。しかし、単独講和をいう自民党側が全面講和を求めるわれわれに超党派外交を言ってくるのは、理解に苦しむところである、と。ダレスはあと、最高裁長官とカナダ、中華民国代表と会見。
・朝鮮半島は1945年まで日本領だったので、韓国軍の下士官、兵のほとんどは元日本兵だった。将校も米軍政下の軍事英語学校出身者が中核になっていたが、その百十人も日本陸軍士官学校12人、日本特別学徒志願兵72人、日本特別志願兵6人、満州軍官学校出身18名、中国軍出身2名という構成だった。北朝鮮軍の方は、将兵のほとんどはソ連軍または中国軍に所属していた朝鮮人兵であり、朝鮮語を話せぬ者も少なくなかった。韓国軍を準日本陸軍とすれば、北朝鮮軍は外人部隊ともいえた。その北朝鮮軍主力十一万一千人が38度線の五方向から一斉に韓国内に攻撃前進してきた。完璧な奇襲で、韓国・日本・米国ではいずれも状況の把握と対応が遅れた。
・6月25日日曜日:午前4時20分、韓国陸軍参謀総長が異変の第一報を受けた。二時間前まで深夜パーティで痛飲していたので、夫人がゆすり起こしたが、頻発する国境衝突だとしてまた眠り込んだ。午前5時40分、情報局長は陸軍本部に駆け付けたが他の幹部はいない。午前6時、参謀総長に電話し、幹部の呼集と全軍非常警戒を下命した。米軍事顧問団本部に戦報が届いたが恒例の国共紛争事件として、了解の一語で反応しただけだった。午前7時、甕津半島と開城が孤立し、陥落は時間の問題と見込まれた。陸軍本部に参謀総長が出勤し、全陸軍に非常動員令を下達した。国防部長、外務部長が事態を承知したのはこの時刻であった。米大使館も北朝鮮南進の報告を受けた。KBS(韓国放送)も北朝鮮攻撃を報道した。午前10時、大統領李承晩は秘書から北朝鮮南侵の報告を相次いで受けた。米大使は可能か限りの情報を国務長官あてに送ると共に、マッカーサー元帥にも転電した。
・午前十一時平壌放送が傍受され、「売国奴李承晩の傀儡政府軍は38度線北部の地域に攻撃を開始した。わが国境警備隊は勇敢に奮戦し、その攻撃を海州地区において停止された。情報を検討した結果、朝鮮民主主義人民共和国は、わが人民軍に対し、決定的な反攻を開始して敵の武装軍を敗走させるよう命令した」と金日成の声明を伝えた。
・午後10時40分、米国務省に連絡を受けた国務相メンバーが集まった。次官補ラスクは国務長官アチソンに電話し、大統領トルーマンへの連絡と国連安全保障理事会の緊急招集を要求すべきと進言、長官は事態はそこ迄のものかと質問すると、次官補は①米国が平和の威信を保つことによって、米国の威信が保たれる、②夜が明ければアジア危機が報道される、その際に米国が行動していることを明示する必要がある。長官は同意した。
・午後11時30分、アチソン長官は大統領の承認を国務省に告げ、国連担当次官補は国連事務総長リーに米政府の意向を伝えた。事務総長リーは北朝鮮の行為は明白な国連憲章違反だ、自分が安保理召集のイニシアティブをとってもよい、と述べた。
・午前3時5分、国連安保理の構成国(英、仏、ソ、中華民国、キューバ、エクアドル、エジプト、インド、ノルウェー、ユーゴ)駐在の米大使館に通電、①米国は朝鮮半島の動乱に関して国連安保理の招集を提議する。②各国政府に対して、それぞれの国連代表が即時に対応するよう要請せよ。
・午後6時、局長シーボルトは国務省に電話し、次官補ラスクと会話した。次官補は、国連に対し緊急措置を取る、安保理を招集する、この際マッカーサーを激励して、韓国に武器を遅らせるようしてくれ、と。
・局長と顧問ダレスがマッカーサー元帥に会うと、元帥は楽観的に述べた。自分は韓国軍を信頼している。最初のショックが去れば、韓国軍は発奮して敢闘し、戦線を維持するだろう。武器弾薬の援助は手配する。戦闘機の護衛付き輸送船で送る、と。何も恐れることはない、戦争をする必要はない、と元帥は付言した。が、ダレスは強調した「アジア人を押さえるには大鉄槌が必要だ。それはわれわれが対日戦で体験ずみだ」
・官房長官岡崎勝男が記者会見した。今日の交戦は全く予期していなかった、これをきっかけに第三次大戦になるようなことはあるまい、日本への影響は分からぬが、少なくとも対韓貿易に支障を来すかもしれない、国内の治安には万全を期す、と。