午前6時の老師の打たれる梵鐘、同時に聞こえる
般若心経の読経は、禅堂内まで良く響く
もう、4時50分には明あけている、静かな空気のせいだろうか。
ベートベンの「月光の曲序奏」が始まり、
準備体勢に入りなおすと、
同時に、、なぜ「月光の曲序奏」なのか・・・・。
「イルカの実験データー」から、この曲を鳴かした場所での、イルカの動きは安らいで、
水中を泳ぐ姿がある、
そのメロディの周波数が、イルカの気持を安らげているのだろう。
それを、この坐にいただいたもので、イルカと同じく、
人間にも同じ安らぎを感じてもらいたい」のだ。
禅堂の設え。
小鐘なしのスタートは異例、
坐の途中に、仲間の篠笛教授S氏の横笛演奏「シメクロード」。
禅堂での篠笛は良く合い、格別。
間髪を居れず、老師の話が始まる。
日本の伝統文化には、物事が終えたとき「その余韻」を残すものだ、
演奏の余韻を楽しんでください。
余韻は時により、楽しい余韻、嫌な余韻など色々。
その余韻を「残心」という。
衝撃の強いもの、大きな音などショックになるものは忘れがたく、
強い思いが残るのですが、余り心楽しく無いものが多い。
一方、生活をする世の中には、
小さな些細なことに、心和むことがあるものです。
静に心に残す「残心」
そのような積上げをして、人生を楽しむため、
自己を磨機上げるのが「坐禅の時間」かも。
余韻を楽しむ、余韻に心を残す、「残心」である。
小鐘3つで終了、心なしか1烓は短かった。
振る舞いの「塩粥会」が始まる前に、又一つ。
同席の税理士T氏、この後の行事ため、「羽織袴姿」。
すかさず老師から、大學から初めて35年の弓道のキャリヤをご存知。
今も、市のクラブのボス。
「なにか弓道の話題を」と振った。
さすが、弓道の世界で大切なこと、心を安らげため
それが、「残心(身)」とか、
氏曰く、ここでの坐禅会の後にあった競技では、いつも良い成績、との優等生の発言。
「残心(ざんしん)」という言葉は、本来は「禅の言葉」で、
茶道や弓道、剣道、空手道で用いられている。
異例尽くめの坐禅会になり、
楽しいひと時でした。