「坐禅」がつらいというのでは、ありません
朝の早起きが辛かったということです。
今朝の、当地日の出は、もう4時47分です。
禅堂に到着するころは、
すがすがしい5月の気候。
6時の「梵鐘」と老師の唱えられる、「般若心経の読経」
を聞きながら座に着きます。
今朝の始まりは「月光の曲」
5分間の序曲で、心を沈め坐に入る準備への配慮。
老師の口からは、変わらぬ坐禅の基本、
「身の構え・息の出し入れ・心の置き処」の3つの要素、
が繰り返された。
日ごろは、生きることに一生懸命、禅堂に入り、坐禅をするときは、
生きる心のがんばりをストップさせなさい。
(自分の目の前に鏡があると仮定)、
自分の目の前に移る姿は、自分なのか、姿を見られている自分と言う生き物なのか。
どちらが本物の自分なのか、そこに評価を入れない、
ただひたすらに、自分の姿を見つめる。
「見つめる私は」見つめられる私です」。
すなわち、曹洞宗開祖、道元禅師様の坐禅の教えは、
「回光返照の退歩を学すべき」
坐禅をする姿は、どこから来て、誰にやらされているのでしょうか、
こうした古事が
「正伝の仏法(お釈迦様から歴代祖師方によって伝えられている教え)」
として、教えられているのです。
坐後の「塩粥の味」、参加者との「色々な座談」は、楽しいひと時。