新・日曜炭焼き人の日記

炭遊舎のホームページで書いていた「日曜炭焼き人の日記」を引きついで書いていきます。

南方熊楠の「履歴書」

2019年01月06日 | 日記


 庭にロウバイが咲いています。
 下の文章は、友人に書き送ったエッセイです。共有している知識のうえに書き足したものですから、読みにくいかもしれません。

 南方熊楠の「履歴書」を図書館から借り出して読みました。いやはや世間一般にいう履歴書の概念からかけ離れたものであることはいうにおよびません。弟常楠に対する恨み辛みがあちらこちらに散りばめられています。
 熊楠によれば、父がした遺産分けでは、商才がある常楠に家業を継がせたとのことでした。亡父は息子たちの資質を見抜いていました。熊楠の長兄は遊び人で相場に手を出し大損し、女遊びにふけり、身上をつぶしてしまいました。長兄の不始末を繕ったのが弟の常楠でした。熊楠は幼少のころから学問にふけり、まともな生活をしないと父は判断しましたが、熊楠にもそれ相応の遺産分与をしていたようです。しかし熊楠は日本にいませんから、父は熊楠に分与された遺産のすべてを常楠に託して死んでしまいました。熊楠にしてみれば、自分に分与された遺産がもっとあるはずだ、それを長兄の放蕩生活の繕いに使われてしまった、ということになります。
 33歳で神戸にたどり着いたとき、常楠が迎えに行きましたが、南方家の事業も家計もうまくいっていないという理由で、自分の家には来させず、知人の家に熊楠を預けました。しかし熊楠が昔から南方家とつながりがあった人物に訊きただしたところ、常楠の酒屋事業は父親の代よりも手を広げているし、繁盛しているよしを知らされます。また年の離れた末弟への遺産分与も滞っていることを知り、それだけはきちんとさせて、末弟に妻をめとらせた、と熊楠は書いています。自分は金に執着がないといいながらも、なにかにつけ常楠の吝嗇を非難します。ざっと計算してもあと800円(どの程度の価値かは不明)は自分の分が残っている、と金額まで書いています。
 先日白浜で買った酒瓶が入っている箱では、南方熊楠を「a hard drinker of Sake」と形容しています。これはまたイギリスでの一件を喚起させます。借りていたあばら屋の2階の部屋に文無しの友人を呼び寄せ、なけなしの金をはたいてビールをしこたま買い込みます。夜中に下の住人に迷惑をかけないようにと小便は自分が使っていた尿壺、バケツへ、それらが一杯になると洗面器まで持ち出し、それも溢れると2階からそっと流します。そのうち手元が狂って洗面器をひっくり返し、2階は小便まみれ、1階の部屋には天井からぽとりぽとりと落ちたはずです。1階の住人が「小便をこぼれし酒と思いしは、とっくり見ざる不調法なり」と熊楠は「履歴書」のなかでしゃれています。
 新年早々、尾籠な話で失礼しました。




最新の画像もっと見る

コメントを投稿