新・日曜炭焼き人の日記

炭遊舎のホームページで書いていた「日曜炭焼き人の日記」を引きついで書いていきます。

2枚の絵

2015年12月05日 | 日記

  
 炭遊舎時代に使っていた建物を壊すにあたり、きょうは中に入っていた炭をもう一つの小屋へ移動しました。また壁に掛かっていた2枚の絵をはずし、あらためて写真に収めました。写真左の絵には右端に「奥牧野日影原、炭遊舎」、右下に「文助(SFさんの筆名らしい)、2000,7,6」と添え書きしてあります。写真右の絵の右端には「炭焼現場」の文字が見えます。2000年7月といえば、窯の正面にもう一つの小屋を建てるまえでした。市民農園はメセナ周辺に広がっていましたが、炭遊舎周辺はまだ荒れ地で、作業スペースも平らでなかったころです。木酢液をとるために煙突は西へ長く伸ばしていましたが、1回の炭焼で200リットルもの液がでることを知らず、18リットル用のポリタンクで受けながら、いっぱいになるごとに取りかえていました。炭遊舎のホームページ作成にあくせくしたのもちょうどこの時期でした。この2枚の絵は、そうした炭遊舎の草創期の雰囲気をよく伝えています。
 この絵の作者SFさんには長らくお会いしていませんが、お元気でしょうか。気は優しくて力持ち、その仕事量は私たちの2倍ほどもありました。作業場の隅にみんなが集まって火を囲めるようにと囲炉裏を作ったときのこと。まずは地面を平らにし、竹で土留めをします。そして近くの山で切ってあったニセアカシアの丸太をころがしてきて、組み合わせます。時間がかかる重労働なので昼食後にしようと決め、私はいったん家へ帰りました。昼食後に来てみたら、すべてができあがり、囲炉裏は完成していました。その後、私が「この囲炉裏はほとんどSFさんがひとりで作ったようなもの」とみんなに内情を披露したところ、「いや、○○さんの発想があったからこそできた」と私を持ち上げるようなことをいってくれました。なつかしい思い出です。




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