新・日曜炭焼き人の日記

炭遊舎のホームページで書いていた「日曜炭焼き人の日記」を引きついで書いていきます。

シカゴの街を旅する

2020年06月23日 | 日記
  
 1971年のシカゴを旅している。在職20年近い市長リチャード・デイリーは南ロー通り3536番地のがっしりしたレンガ造りの家に住む。消防士や印刷工が買いそうなタイプの家だと説明されている。さっそくグーグル・マップで位置と該当する家を突き止める。家は現代のものだが、あたりの風景はそれほど変わっていないと想定される。机上にはランド・マクナリーが発行した1980年代の地図2枚を開いている。
 ブリッジポート地区の住民40000人のうち2000人がなんらかの形で市庁舎に奉職している。配管工もいれば高速道路の料金収受係もいる。すべてデイリーの口利きで採用された。デイリーが住む一画はアイルランド、リトアニア、ポーランド、ドイツからの移民が多い。すべて白人だ。よそ者がバーに入ると、みなが視線を向けるほど顔なじみばかりだ。車で東の湖岸道路へ向かう途中、黒人が住むスラム街を通過する。北へ曲がると白人地区が黒人、ラテン系住民に変わりつつある崩壊しかけた地域がある。数ブロック行くとダン・ライアン高速道路に乗る。デイリーが作ったこの高速道路は、広いところなら12車線もある。道路名は自分と同じシカゴ南部の政治家名に敬意を表してつけた。高速を行くともう1本、南西の工業地帯に向かう高速道路を横切る。白人が勢力を盛り返しつつある地域であり、数年前にマーティン・ルーサー・キング牧師が暗殺された場所でもある。この高速もデイリーが作った。
 さらに行くとイリノイ大学のサークル・キャンパス入り口を通過する。ここはイタリア系移民、数千軒を立ち退かせて建設した。もう1マイル行くと、西へまっすぐに伸びる高速道路と交差する。西にあった史上最悪のスラム街を強制収容して建設した。ブラック・パンサーが殺された建物もあった。道路が開通したとき、ドワイト・アイゼンハワー高速道路と命名した。民主党員のデイリーが共和党の大統領名を地名、道路名に採用したのは後にも先にもこの一件だけだった。
 Mike Royko「BOSS /Richard. J. Daley of Chicago」を読み始めた。






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