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韓国のこと いろいろ あれこれ いまむかし

1970年代から現在の韓国なんでも情報いろいろ目と足で集めました。

韓国では、女性は結婚しても姓を変えない 女性は一族のうちに入れられなかったのである

2017-12-10 03:24:00 | 韓国旅行

韓国では、女性は結婚しても姓を変えない。


誰が夫であるかよりも、誰が父親であるかのほうが重要だからだと聴いたことがある。

これは逆にいえば、韓国社会のおける父権性の信じがたい強さを示している。


韓国の家族は、家系図である「族譜」をことのほか重要視する。

その思いの強さは、日本統治下で行われた創氏改名のさいに、実名を守れなかったとして自殺した、老両班がいたことが物語っている。


一方では、両班意識というエリート意識を重んじるあまり、族譜の偽造、捏造がなされることが現在までいくらでも存在していた。


だがこの族譜には近年まで、女性の名前は記されなかった

女性は一族のうちに入れられなかったのである


妻は男の子を産むための存在であり、娘はどこまでも父親の所有物と見られた。

したがって夫の姓をあえて名乗る必要がなかったのである。

また母親は子供を自分の戸籍に入れることができない。

離婚をしても、子供は父親の姓を生涯名乗り続けることになり、族譜のうえからは父親の家計の所有物である。


いうまでもなく、この徹底した父権性は習俗化した儒教に基づくものである

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韓国人はよく「우리(ウリ)」という単語をよく使う

2017-12-09 08:30:05 | 韓国旅行

우리 말 」 「우리 민족 」 「우리 나라」

 

韓国人はよく「우리(ウリ)」という単語をよく使う。


一応「われわれ」と訳せる言葉だが、それは今ここにいるわれわれ、Weを意味しているわけではない。

自分の背後にある帰属すべき共同体、つまり家族、民族、国家を示す代名詞で、「うちら」「うちとこ」といったくらいの意味である。


その使い方には「ウリマル」「ウリミンジョク」「ウリナラ」などがあり、反訳すればわれらが言葉、われらが民族、われらが国といった意味になる。

さらに自分の配偶者を指して「ウリワイフ」という表現さえなされる。

女が個人にではなく、家族に属するものであるという発想が、この言葉の根底にある。


この「ウリ」はもっぱら韓国人どうしの間においても使用され、しばしば民族統合と共に排他主義のイデオロギーを担ってきた。

韓国人は共同体の内側(ウリ)に属するものの間ではきわめて礼儀正しい。

というよりも、規範として要求されることを忠実に儀礼的に守る。


しかし共同体の外側のものに対しては、人間としてなかなか対等に扱おうとしない。

たとえば間違い電話をついかけてしまった場合、日本では相手がそれを落ち着いて指摘してあげたり、自分から番号を確認したりするのが一般的である。

韓国人の場合、十中八九がそのままガチャッと切ってしまう。


「ウリ」ではない、知らない人間には礼儀を尽くす必要が無いという原理が働いている。

これは逆に、ひとたび「ウリ」内側に参入を認められれば、すべてが優しく親しげに感じられるということだ。


もちろんそこには、それに見合うだけの抑圧構造を引き受けなければならない。

韓国では、どこまでも外側に留まっている者に、世間の風当たりはきつい。

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韓国人が「韓国の拉致被害者」に冷淡な理由・・・

2017-12-08 08:13:54 | 韓国旅行

韓国人が「韓国の拉致被害者」に冷淡な理由・・・。


北朝鮮が拉致を認め、五人を返したことは当時の小泉外交の大きな成果といっていいでしょうが、その後この問題に関してはほとんで進展がありません。

拉致被害者家族の心痛を察すると胸が痛みますが、韓国で拉致問題がどのように受け止められているか、日本人はあまり知りません。


北朝鮮による拉致の可能性を排除できない日本人の「特定失踪者」は三百人弱にのぼりますが、韓国でも北朝鮮に拉致されたと疑われる被害者が五百人以上いるといわれています。


それほど多くの人が北朝鮮に連れ去られたのなら、韓国内で大きな社会問題化していそうですが、実際のところ日本ほど大きな問題として取り上げられてはいません。


韓国で拉致されたと考えられる人の大多数は、漁民です。

三十八度線の北朝鮮領海近くで操業し、拿捕された、あるいは時化などで遭難し、北朝鮮側に流れ着いた漁師たちです。


横田めぐみさんのように、普通に暮らしている人が陸から誘拐されたケースは、明らかになっているのは五人程度です。


韓国の拉致被害者には、日本とは違った事情、背景があるのです。

ですから韓国人の中には、「そんなきけんなところで操業するからいけない」と冷めた見方をする人が多くいます。

そのため、あまり大きな同情や奪還論は起きていません。


また、日本と違い、北朝鮮と地続きであり、同じ民族であるということも影響しているでしょう。

異国でなく、北の地で生きているならば、南北関係が改善されれば、いつかは会える日が来るんだろうと、思っている人も多いのです。

日本のように「拉致被害者をなにが何でも取り戻せ」という世論は形成されていません。


これが、韓国内で拉致問題が盛り上がらない理由です。


どのような形態にせよ、拉致は重大な人権侵害ですので、日本政府も、韓国政府も国民の生命と安全を守るとの気概を持って、早期解決に向け北朝鮮との交渉に臨み、一日でも早く、被害者を救出し、その家族の苦痛を癒やしてもらいたいものです。

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70年代には、若い女性が韓国旅行なんて考えられないこと、当時の日本人の観光客は中年男性ばかりだった

2017-12-07 08:46:32 | 韓国旅行

韓国では、1982年1月5日まで36年間にわたって、深夜12時から朝の4時まで夜間通行禁止令が敷かれ、違反者は例外なく警察に留置された。


知人と酒を呑みに行っても、12時までにちゃんと帰るには、夕方から一気呑みせねばならず、誰もが落ち着き亡く急いで酒を呑んでいた。

人々は夜の街角でせわしなく歩き、他人とぶつかっても何もいわないばかりか、人を手でかき分けて歩いていた。


夜遅くなればバスはなかなか来ず、来ても満員である。

やむなくタクシーを探しても、タクシーを捕まえるのが大仕事だった。

タクシーは基本的に相乗りだった。



70年代、当時の日本人の観光客は中年男性ばかりだった。

買春が目的でソウルまでやってきた男たちは、観光名所の前で下品に笑いながら昨晩の「戦果」を大声で話していた。

周囲の人間が日本語を理解できないと踏んで話していたのだろう。

そんな日本人を多く目にしてきた。


 

近々、知り合いの25歳の女性が友達3人と韓国旅行に行くという話をしていた。

韓国旅行は10数回目だという。

70年代には若い女性が韓国旅行なんて考えられないことだった。

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初めて韓国に行ったのは、1970年代の始め頃だった

2017-12-06 07:12:34 | 韓国旅行

初めて韓国に行ったのは、1970年代の始め頃だった。

 

 

当時は朴正煕政権の時期で、1960年代から1970年代のかけて韓国は恐ろしい勢いで経済発展をしている最中だった。

朴正煕は日本の明治維新にならって「精神維新」を提唱し、経済発展は「漢江の奇跡」と呼ばれた

 

当時のソウルは地下鉄が発達していなくて、市内バスをよく利用したものだ。

細かいハングルで書かれたハングルの運行表を懸命に読み、行き先を確かめ飛び乗る。

車窓から見えるハングルの看板を、バスの速度にあわせて読めるかどうかという練習したものだ。

 

街角は照明が暗く、道路の舗装は穴だらけだった。

道はくねくねと曲がり、交通渋滞がひどく、オンドル用の練炭の灰が路地に散乱していた。

道路沿いには所せましと露店と屋台が並び、その隙間で子どもがビニール傘を売る。

ガム売り、ノート売りまでいた。

 

バスはいつも満員で、バス停には10路線くらいのバスが来るから、バス停より遠く離れて停車することがよくあった。

人々はバスが来ると、ただちにハングルで行き先を判断し、そこへ突進するのだった。

 

バスの中では座っている人が、見知らぬ立っている人の鞄や荷物をもってあげるという習慣があった。

金希玉さんの姪のユリちゃんも、当時4~5歳だったが、普通に荷物をもってあげていたのには感心したものだ

 

恐ろしいインフレが進行していて、一年の内にバス料金が三回も値上がりした。

夕方には愛国歌が街中に流れ、街角を歩行中の人は、例外なく直立不動で聴いている。

突然にサイレンが鳴り、避難訓練が繰り返された。

 

街角のいたるところに「スパイを発見したらただちに警察に通報しましょう」というスローガンが張られていた。

映画館では「禁煙」の表示の上に、必ず、「反共」と書かれていた。

 

そんな、1970年代の韓国が懐かしい!!

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日本人は無知であることを知られるのを恥ずかしがりますが、韓国人は無知のままでいることを罪だと思います

2017-12-05 08:15:06 | 韓国旅行

무지와 수치   무지와 죄

 

日本人は無知であることを知られるのを恥ずかしがりますが、韓国人は無知のままでいることを罪だと思います。


韓国人は、無知というのは、ただ、「知らない」というだけのことだと考えます。

知らないことは学ぶか、人から教わればすむ話です。


つまり、無知であることを認めて、教えを請えば、解決される問題なのです。

要は、早く知るか、遅く知るか、「知るタイミング」の問題です。

だから、物を知らないことを恥ずかしいことだとは考えません。


もちろん、早く知るに越したことはありません。

知識は武器であり、知識の量が増えればそれだけ思考の幅も広がり、考えられる選択肢も多くなります。

その意味で、遅く知ることは知識のアドバンテージを逸していることになりますが、それでも無知のままでいるより数十倍、数百倍もましでしょう。


韓国人は、無知のままでいると、思考が浅くなり、間違った判断をしかねない。

相手に不愉快な思いをさせたり、喧嘩沙汰になったり、不祥事を引き起こしたりして、その結果、家族や仲間を不幸にしてしまうこともあるのかもしれません。

だから、韓国の人々は、「無知は罪である」と考えるのです。


日本にも「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥」ということわざがありますが、韓国の場合は「恥」どころか「罪」ですから、無知のままでいることに対する嫌悪感がより強い。

そして、韓国に限らず多くの国で、無知は恥というより罪に近い意識を持っているように思います。

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「迷惑をかけない」日本人と「迷惑をかけ合う」韓国人

2017-12-04 08:19:57 | 韓国旅行

「迷惑をかけない」日本人と「迷惑をかけ合う」韓国人


日本人の日常会話には、「迷惑でしたら遠慮なくいってください」とか「そんな迷惑はとてもかけられません」とか「迷惑ではないですか?」など、人に迷惑をかけまいとする気持ちを表現する言葉が頻繁に登場します。


それでは自分のことはとなると、「迷惑だなんてとんでもない、そんなのお互いさまですから」という言葉や、「自分も人に迷惑をかけることがあるんだから、人にも許してあげようよ」という言葉がよく耳に入ります。

ここでも「自分に厳しく他人の寛容」な日本人が多いようです。


韓国でももちろん、人に迷惑をかけるのはよくないこととされます。

しかし実際には、多くの場合、「迷惑なんてケンチャナョ」と軽い気持ちでいるものです。

とく親しい間では、「迷惑をかけてこそ友達」「迷惑をかけられてこそ友達」という情緒が強く働いています。


言葉としては日本人も同じようにいうことが多いのですが、実際には「友達にはできるだけ迷惑をかけないようにしよう」と努めるのが普通でしょう。

それに対して韓国人の場合は、言葉通り、互いに迷惑をかけ合うのが普通です。


韓国人にとって友達関係とは「兄弟姉妹同然」の関係、さらにいえば「あなたと私」の区別がない関係でなくてはなりません。

友達の間柄ならば、「あなたの物は私の物、私の物はあなたの物」でなくてはなりません。

友達の歯ブラシを自分も使ってあげたり、場合によっては靴下や下着をはいてあげたり、そうして「あなたと私」に区別がないことをしてあげるのが大事なことになります。

そうすれば相手は「ああ、やはり友達なんだな」と嬉しくなるものです。


このようにいうと、日本人の場合、少年少女時代のことを思い起こされる方も多いのではないでしょうか。

友達の間で礼儀だとか遠慮だとかは水くさいという気持ちで、歯ブラシや下着とまではいかないでしょうが、似たようなことをかなり気兼ねなくやっていたと思います。

でも韓国人の友達関係は、それと似ているようで違う物です。


友達だからという理由で、お金も物も持っていきっぱなしにして返そうとしない、友達だからという理由で請求もできない、だから「友達ほど気をつけなければならない」ということが、盛んにいわれているのが韓国の現状です。

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金正恩の父、金正日が死去したとき、日本は弔電も打ちませんでした  民主党政権の時です

2017-12-03 08:23:28 | 韓国旅行

金正恩の父、金正日が死去したとき、日本は弔電も打ちませんでした。


拉致問題や核問題で対立しているとは言え、隣国の国家元首が病死したわけですから、せめて弔電でも打って弔意を表すのが本来あるべき日本の姿ですが、日本政府はそれをしませんでした。

民主党政権の時です。


日本には「村八分」という言葉があります。

一般には、仲間はずれにするという意味で使われているようですが、本来の意味は共同体の中で付き合いを断絶しても、また、嫌いであっても、火事と葬式の時だけは別で、手を貸し合う最低限の互助精神を表したものです。

その精神からすると、哀悼の意を哀悼の意を表さなかったのは日本人らしからぬ振る舞いです。

せめて弔電だけでも打っておくのが礼儀、隣人への礼節でしょう。


ましては、北朝鮮は日本から経済制裁を受け、兵糧攻めにあいながらも、東日本大震災に対して、見舞いのメッセージを送り、ペ・ヨンジュンやチェ・ジウより額は少なかったとはいえ、赤十字を通して義援金も送ってくれたのです。

いくら金正日が嫌な相手であっても、見舞ってくれた相手に対して、見て見ぬふりをするのはあまり褒められたことではありません。

日本人の価値を下げるだけで、プラスになることは何一つありません。


学ぶべきは、かってのアメリカの対応です。

1994年7月、初代指導者、金日成主席が急死したとき、アメリカのクリントン大統領は、その直前まで核問題で衝突寸前だったにもかかわらず、喪主の金正日に弔電を送りました。


すると、金正日はたいそう喜び、その弔電を後生大事にしていたそうです。

それから14年後の2008年、アメリカの二人の記者が北朝鮮に拘束されたとき、クリントンは北朝鮮に飛びました。

そのとき、金正日はとても喜んでこう言ったと言われています。


「あのとき(父・金日成が亡くなったとき)、弔電を送っていただき、御礼を申し上げます。二人を釈放しますので、連れて帰ってください」


14年前に送ったたった一本の弔電がこれほどの効果を生み出すのですから、いかなる状況においても筋を通すに越したことはありません。

ましてや日本人の国民性にも関わることですから、しっかりと対応するべきだと思います。

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ソフトバンク孫正義の「日本人にはないスピード感覚」 日本人は、もう少し孫正義氏の国際感覚を学んでもいいのかもしれません

2017-12-02 08:17:57 | 韓国旅行

ソフトバンク孫正義の「日本人にはないスピード感覚」


孫正義氏率いるソフトバンク、ソフトバンクの躍進こそ、スピード経営の優位を如実に示したものと言えるのでは・・・。


今やソフトバンクは日本を代表する企業に成長しましたが、トップの孫正義氏は多くの方がご存じのように在日韓国人です

現在は日本国籍を取得しましたが、それでも通り名(安本)の日本名を使わず、あえて本名である「孫正義」という名前を使い続けている気骨の人でもあります。


孫氏がシャープに自動翻訳機を売り込んで得た一億円を元手にソフトバンクを興したのは有名な話です。

その後、ソフトウエア卸、PC関連出版から、通信事業に軸足を移し、ボーダフォンを買収して移動通信を主戦場にしていった経緯は説明するまでもありません。


そして、福島第一原発事故が起こってからは、脱原発を掲げ、風力発電や太陽光発電などの自然エネルギーの普及にも乗り出しています。


ソフトバンクが業態を大きく変更しながら成長を続けてきた背景には、孫氏の果敢な意思決定があるといっても過言ではないでしょう。

彼は、時代の変遷を読み込み、果敢に成長分野へと切り込んでいきました。


その過程で、さまざまな軋轢を受けたことでしょう。

しかし、それでも彼は突き進んだ。

日本の通信料金がここまで安くなったのは、ソフトバンクの存在を抜きに語ることはできません。

もし、ソフトバンクがいなければ、日本のインターネットや携帯電話はここまで普及していなかったかもしれません。


それほど、ソフトバンクが果たした役割は大きかったと思います。

ソフトバンクが安価なサービスを提供し、市場のルールそのものに果敢に挑戦したように、迅速な意思決定と大胆な戦略を描いて大きく成長することはできるはずです。


要は、日本の経営環境が悪いのではなく、経営トップの経営感覚の問題だということになります。


日本人は、もう少し孫正義氏の国際感覚を学んでもいいのかもしれません。

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韓国が、誰でも美男・美女を夢見る「整形大国」であるのは、自他共に認めるところです

2017-12-01 03:06:45 | 韓国旅行

韓国が、誰でも美男・美女を夢見る「整形大国」であるのは、自他共に認めるところです


およそ韓国人は、実質的な内容よりも、外見を重視します。


話に内容がなくとも美辞で飾った耳障りのいい言葉に惹かれ、見てくれのよさが第一で製品の質は次となる文化がはびこっています。


外見重視は、身分、地位、肩書き、資格、出身校、成績など、誰の目にも明らかな社会的序列の重視となります。


韓国人は初対面の人には多くの場合、どんな家の血を引いているか、どこの土地の出か、どこの学校を出たか、どこの会社に勤めているか、どんな地位にあるか、などを知ろうとします。

日本でもそうするとはいっても、主としてできるだけ共通点を探してよしみを通じたいというのが目的でしょう。

人物の価値判断としてそうする韓国とは大きく異なります。


日本では盛んに「外見で人を判断してはいけない」ということがいわれます。

それは文字通りの社会性となっています。

表向きはそういうことをいっても、その実まったく正反対のことをしているのが韓国の社会性です。


韓国人の外見重視は今にはじまったものではなく、古くからの伝統を引くものです。その伝統を形作ってきたのが儒教的な礼の思想です。

礼とは、元々は各種の行事の中で守らなくてはならない、動作、言行、服装、道具などについて厳しい規定を意味します。

この礼の規定に習うことが、当時の社会秩序である身分制階級秩序のなかで生きる人間にとっての、道徳的に正しいあり方でした。


朝鮮半島では、李朝朝鮮の時代に礼を国家社会の制度にまで高め、礼は国民の間に広く根づいていきました。

韓国が自国を称して「東方の礼儀国」と誇る理由もそこにあります。


礼が問題にするのは「動作、言行、服装、道具」といった目に見える形が、つまり外見が礼にかなった正しいものであるかどうかです。

そこでは、正しさとは形で示してこそ正しさとなります。

心の内面を問うのではありません。表面の形を問うのです。


内面ではなく形ばかりを重視する、形にこそ価値があるとなっていきますと、当然のごとく形式主義の傾向を強くしていきます。

表ではいいことばかりいっていて、裏では舌を出しているといった文化が蔓延します。


本来は、外に表れる形をもって内実を示すのが礼ですから、日本人は自分が過ちを犯したと思えば「ごめんなさい」と謝罪します。

しかし、韓国人は容易に謝ろうとしません。

礼として謝罪を表せば、自分が下位につくことになるからです。


礼は身分制階級秩序の規範であり、身分、地位、年齢が高い者ほど徳の高い者となります。

ですから、頭を低くするのは「下から上へ」に限られます。

頭を低くすれば、それだけ自分は特の低い者と示すことになりますから、上に立つ者は常に頭を高くしていること、それが礼にかなったことであるのです。


現在の韓国社会は今なお、かってと同じように、「動作、言行、服装、道具」などの外見で人を判断する社会です。

韓国の社会は旧社会の価値観から未だ解放されてはいないのです。


朝鮮半島は、礼を制度にまで高めて徹底的に奨励した文化でした。

だからこそ、本当の意味での礼の心を表現する文化・習慣が根付かなかったのだと思います。

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