韓国人は平気で食べ物を残す。
少しずつ残しておくのが、両班気分で望ましいということになっている。
日本人の場合には一つひとつ注文して代金を払うわけだから、食べなければ惜しいという意識がどうしても働いてくるし、食べ物を残してはいけない、粗末にしてはいけないという教育を受けている。
しかし韓国の場合には、外食の才には両班として振る舞うべきであって、適度に残してゆとりを見せるというのが正しい食べ方と見なされている。
大衆的な食堂でキムチをすべて食べ終わったとしよう。
そのあいている皿を見て、店のアジュモニ(おばさん)が「おいしかったのか」と尋ねながら、ただちにまた同じだけの量をもってくるはずだ。
したがって残さず食べ終わると、永遠に食べるということになってしまう。
これが現在にいたるまでの韓国の典型的な外食におけるサービスの仕方である。
家庭においても客人が来たときには、お膳の脚が折れるほどに皿にならべよというのが決まり文句になっている。
とにかくたくさん食べてもらうというのが基本にあるから、おかわりの基本的に自由となっている。
このような食習慣が可能になるには、保存食料が発達しているということが条件になっている。
西洋料理や日本料理では、いちいち作って十数種類も並べることはできない。
韓国はキムチの文化が発達しているからこそ、このようにずらりと並べる共時的な出し方が可能になったのである。
逆に言えば、保存食料の発展は、韓国における食生活を保守的なものにとどめてしまったといえなくもない。
どこの家庭でも冷蔵庫のなかにはキムチがかならず数種類は作り置きがあるわけで、それを出しておくだけで、あとは目玉焼きとご飯だけで一回の食卓としてはさまになってしまう。
日本のように、毎回作らなければいけない料理ではない。