金正恩の父、金正日が死去したとき、日本は弔電も打ちませんでした。
拉致問題や核問題で対立しているとは言え、隣国の国家元首が病死したわけですから、せめて弔電でも打って弔意を表すのが本来あるべき日本の姿ですが、日本政府はそれをしませんでした。
民主党政権の時です。
日本には「村八分」という言葉があります。
一般には、仲間はずれにするという意味で使われているようですが、本来の意味は共同体の中で付き合いを断絶しても、また、嫌いであっても、火事と葬式の時だけは別で、手を貸し合う最低限の互助精神を表したものです。
その精神からすると、哀悼の意を哀悼の意を表さなかったのは日本人らしからぬ振る舞いです。
せめて弔電だけでも打っておくのが礼儀、隣人への礼節でしょう。
ましては、北朝鮮は日本から経済制裁を受け、兵糧攻めにあいながらも、東日本大震災に対して、見舞いのメッセージを送り、ペ・ヨンジュンやチェ・ジウより額は少なかったとはいえ、赤十字を通して義援金も送ってくれたのです。
いくら金正日が嫌な相手であっても、見舞ってくれた相手に対して、見て見ぬふりをするのはあまり褒められたことではありません。
日本人の価値を下げるだけで、プラスになることは何一つありません。
学ぶべきは、かってのアメリカの対応です。
1994年7月、初代指導者、金日成主席が急死したとき、アメリカのクリントン大統領は、その直前まで核問題で衝突寸前だったにもかかわらず、喪主の金正日に弔電を送りました。
すると、金正日はたいそう喜び、その弔電を後生大事にしていたそうです。
それから14年後の2008年、アメリカの二人の記者が北朝鮮に拘束されたとき、クリントンは北朝鮮に飛びました。
そのとき、金正日はとても喜んでこう言ったと言われています。
「あのとき(父・金日成が亡くなったとき)、弔電を送っていただき、御礼を申し上げます。二人を釈放しますので、連れて帰ってください」
14年前に送ったたった一本の弔電がこれほどの効果を生み出すのですから、いかなる状況においても筋を通すに越したことはありません。
ましてや日本人の国民性にも関わることですから、しっかりと対応するべきだと思います。