무지와 수치 무지와 죄
日本人は無知であることを知られるのを恥ずかしがりますが、韓国人は無知のままでいることを罪だと思います。
韓国人は、無知というのは、ただ、「知らない」というだけのことだと考えます。
知らないことは学ぶか、人から教わればすむ話です。
つまり、無知であることを認めて、教えを請えば、解決される問題なのです。
要は、早く知るか、遅く知るか、「知るタイミング」の問題です。
だから、物を知らないことを恥ずかしいことだとは考えません。
もちろん、早く知るに越したことはありません。
知識は武器であり、知識の量が増えればそれだけ思考の幅も広がり、考えられる選択肢も多くなります。
その意味で、遅く知ることは知識のアドバンテージを逸していることになりますが、それでも無知のままでいるより数十倍、数百倍もましでしょう。
韓国人は、無知のままでいると、思考が浅くなり、間違った判断をしかねない。
相手に不愉快な思いをさせたり、喧嘩沙汰になったり、不祥事を引き起こしたりして、その結果、家族や仲間を不幸にしてしまうこともあるのかもしれません。
だから、韓国の人々は、「無知は罪である」と考えるのです。
日本にも「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥」ということわざがありますが、韓国の場合は「恥」どころか「罪」ですから、無知のままでいることに対する嫌悪感がより強い。
そして、韓国に限らず多くの国で、無知は恥というより罪に近い意識を持っているように思います。