初めて韓国に行ったのは、1970年代の始め頃だった。
当時は朴正煕政権の時期で、1960年代から1970年代のかけて韓国は恐ろしい勢いで経済発展をしている最中だった。
朴正煕は日本の明治維新にならって「精神維新」を提唱し、経済発展は「漢江の奇跡」と呼ばれた。
当時のソウルは地下鉄が発達していなくて、市内バスをよく利用したものだ。
細かいハングルで書かれたハングルの運行表を懸命に読み、行き先を確かめ飛び乗る。
車窓から見えるハングルの看板を、バスの速度にあわせて読めるかどうかという練習したものだ。
街角は照明が暗く、道路の舗装は穴だらけだった。
道はくねくねと曲がり、交通渋滞がひどく、オンドル用の練炭の灰が路地に散乱していた。
道路沿いには所せましと露店と屋台が並び、その隙間で子どもがビニール傘を売る。
ガム売り、ノート売りまでいた。
バスはいつも満員で、バス停には10路線くらいのバスが来るから、バス停より遠く離れて停車することがよくあった。
人々はバスが来ると、ただちにハングルで行き先を判断し、そこへ突進するのだった。
バスの中では座っている人が、見知らぬ立っている人の鞄や荷物をもってあげるという習慣があった。
金希玉さんの姪のユリちゃんも、当時4~5歳だったが、普通に荷物をもってあげていたのには感心したものだ。
恐ろしいインフレが進行していて、一年の内にバス料金が三回も値上がりした。
夕方には愛国歌が街中に流れ、街角を歩行中の人は、例外なく直立不動で聴いている。
突然にサイレンが鳴り、避難訓練が繰り返された。
街角のいたるところに「スパイを発見したらただちに警察に通報しましょう」というスローガンが張られていた。
映画館では「禁煙」の表示の上に、必ず、「反共」と書かれていた。
そんな、1970年代の韓国が懐かしい!!