極私的デンデケデケデケ

音楽との出会いからバンド活動を辞め、社会人になるまでをつづっております

喘息の状況

2005-09-19 07:39:33 | Weblog
「4月に喘息で昏倒していたら、親が来た」というのは記憶違いで、親がやってきたのは1986年の9月だった。

大学のいいかげんな診療所で強い薬を計画的(卒業しても服用できるように)にもらったストックが切れたのが、9月である。4月から9月まで、いろいろな病院を廻ったが、どこの病院でも断られた。どこでも「そんなに強い薬は出せない」と言われた。

いよいよ薬もつき、発作が止まらなくなって、9月に緊急入院したのだ。

その後は、入院した浜松の国立病院から薬をもらうようになった。受け取りは母親に頼んだ。大学を卒業しても親に迷惑をかけるということにとても抵抗があった。もっとも、「就職もしないで、バンド活動をしている」方が、より心配だろうが。

薬はその後、引っ越した時、近くの病院ですんなりもらうことができた。その病院は以前は結核のサナトリウムだったところで、すでに閉鎖が決まっていた。医者も職員もやる気がなかった。浜松の国立病院ととても雰囲気が似ていた。「この薬をくれ」と言うと、すんなりくれた。信じられないほどあっさりと出してくれた。

すこし小高くなっている森というか、緑があふれる場所に建物はあった。

国立療養所中野病院という。

跡地はヤフーマップで見る限り、何もない。
コメント
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