極私的デンデケデケデケ

音楽との出会いからバンド活動を辞め、社会人になるまでをつづっております

方向転換

2005-08-21 10:46:01 | Weblog
事務所の接触は4月にあり、契約が決まるまで2、3ヶ月かかったのには理由がある。事務所の社長からの条件があったからだ。

それは「はる」としての契約はしない、ということだった。

バンド名をどうする、という話は山中湖合宿レコーディングの時点ですでにあったと思う。「バンド名を改めて、路線も変える」というのが条件だった。これが第一条件として出されていた。

結論からいえば、我々はこの条件を受け入れ、「はる」として作った曲をすべて捨てて、新たなバンドとして事務所と契約するのだが、今にして思えばこの条件自体少々おかしい気がする。

我々が評価されたのは「はる」としてである。「はる」の音楽をやめて、「はる」以外の音楽を選択した場合の可能性はどれだけあったのだろうか。「はる」の音楽がそこそこよかったから、他のジャンルでもそこそこやるだろう、と思ったのか。青柳のボーカリストとしての魅力だけだったのか。疑問だ。

高校野球で投手として評価された選手がプロで打者に転向するのとはちょっと違うと思う。

我々に課せられたのは「安全地帯みたいなバンド」だったのだから。

コメント
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