ドラムとキーボードが交代し、レコーディングをした「はる」と、ロックラで育ちコンテストで優勝した「はる」と、違うだろうか、と考えてみた。
これは、違う。
色々な意味で違う。
私は「はる」に関係した全てのメンバーに何の偏見もない。好きも嫌いもない。が、ではどちらの「はる」が魅力的だったか、といえば、藤沢と田中がいた「はる」の方が好きだった。ストレートなビートしか叩けないドラムと両手で弾くことのできないキーボードのいた「はる」が好きだった。誤解を恐れずに言えば、ふたりは、ある意味で「不完全な」ミュージシャンだった。そして、楽曲を作っていた我々も、深い音楽知識も素養もなく「不完全な」ままで和的な音楽を作っていた。そんな、「不完全な」ままのメンバーが作り出す音楽が聴く人にとって「新鮮」であったのかもしれない。
レコーディングのメンバーで「はる」の世界を追求することはなかった。レコーディングのメンバーで「はる」を続けていたら、また違う「はる」ができていたのかもしれない。
我々は、池谷の言う「ショーケース的」なライブをしただけで終わってしまったのである。
これは、違う。
色々な意味で違う。
私は「はる」に関係した全てのメンバーに何の偏見もない。好きも嫌いもない。が、ではどちらの「はる」が魅力的だったか、といえば、藤沢と田中がいた「はる」の方が好きだった。ストレートなビートしか叩けないドラムと両手で弾くことのできないキーボードのいた「はる」が好きだった。誤解を恐れずに言えば、ふたりは、ある意味で「不完全な」ミュージシャンだった。そして、楽曲を作っていた我々も、深い音楽知識も素養もなく「不完全な」ままで和的な音楽を作っていた。そんな、「不完全な」ままのメンバーが作り出す音楽が聴く人にとって「新鮮」であったのかもしれない。
レコーディングのメンバーで「はる」の世界を追求することはなかった。レコーディングのメンバーで「はる」を続けていたら、また違う「はる」ができていたのかもしれない。
我々は、池谷の言う「ショーケース的」なライブをしただけで終わってしまったのである。