広く浅く

秋田市を中心に青森県津軽・動植物・旅行記などをご紹介します。

手形通り? の南側

2020-08-24 17:12:18 | 秋田の季節・風景
秋田駅の北東すぐが、秋田大学の本部などがある手形(てがた)地区。おおむね奥羽本線の東側、旭川の南側、広面(ひろおもて)地区との間。秋田市の区分としては「東部」エリアになる。

今、“手形のメインストリート”と言えば、県道28号と認識する市民が多いと思う。秋田駅西口側・広小路から手形陸橋で線路を越えると、ほぼ真東かつほぼ一直線に手形を横切る。
陸橋の下、「手形山崎町」交差点から一直線に800メートル、いとく秋田東店前で北東に角度を変えて500メートル強で横山金足線(県道41号)と交わる。
今回は扱わないが、さらに東で太平川に突き当たって北へ向きを変え、幅が狭くなって太平山~河辺の岩見三内へ向かう。
手形陸橋から東方向、手前の交差点が手形山崎町
交通量は多く、大学病院方面(手形山団地経由を除く)の路線バスが通る。かつては途中までリバーシブルレーン(中央線変移)が行われていた。

太平山三吉神社(里宮。過去の記事)や秋田大学医学部と附属病院も近いが、いずれも県道28号には面しておらず、所在地も手形ではない。
神社前の狭い道は「赤沼街道(神社の所在地が広面字赤沼)」と言われるそうだが、あまり一般的ではないと思う。そのバイパスに相当するのが、陸橋から続く県道28号なのだろう。
沿道にはスーパーやパチンコ店もあるが、多いのは個人経営の店。飲食店が多く、“商店街”と呼べるものではない。秋田大学に近いので、学生目当ての店も多いものの、21世紀始めには居酒屋が多かったのが今は激減し、代わりにラーメン店が増えたと、数年前の魁が伝えていた。コンビニはできても、長続きしない感じ。


ここに関して悩むのが、会話でこの道路を指す時、どう呼べばいいのか。
メインの道路なら「○○通り」など名称・愛称が与えられてもいい。秋田市都市整備部では、国道・県道も対象にした「市民に親しまれる道路愛称」を公募しているが、ここは今のところ対象外。同様に新国道も対象外だが、新国道という暗黙の了解が形成されている。

ネット上では、自然発生的な呼称だと思われる「手形通り」や「手形の通り」が散見され、ある程度は浸透していそう。
僕は使う気になれない。秋田大学前の道路などと誤解される可能性が捨てきれないから。
「三吉神社の通り」でも通じそうだが、厳密にはそれだと旧道のほうだから、個人的には気に入らない。
「手形陸橋の通り」と呼ぶのが無難と考え、それで足りている。
※「手形陸橋の通り」では、反対の線路西側も含まれてしまう可能性はある。しかし、そちらには市民に親しまれる~で1983年に「大手門通り」が命名されている(ほとんど浸透しておらず、親しまれていはいないけど)し、「脳研(秋田県立循環器・脳脊髄センター)の通り」と呼ぶのはわりとある。道路の線形からしても、陸橋とはつながっているが区分してとられることが多いと思う。不安なら「手形陸橋の手形側の通り」と呼べば確実。

命名するとしたら、「手形大通り」だとやや大きすぎて、やはり「手形通り」で決まりかな? 「三吉神社通り」もあるか…


2013年3月撮影。いとくの向かい側の西寄りから西方向
さて、現在、この通りの南側、手形山崎町交差点からいとくの少し西・「野崎」バス停付近まで(道路沿いで500メートル強)の一帯で、「秋田駅東第三地区土地区画整理事業」が行われている。
上の7年前の写真では、向かい側(左)奥方向ずっと。
2018年12月。野崎バス停付近。右はパチンコ屋
じっくり歩いたことは少ないが、昔は農村であったことを連想させる、カーブした道路や広い敷地の家も残る中に、アパートや住宅街が形成された(道路沿いには店が少々)一帯と認識していた。
2019年5月。奥の建物が並ぶ左右が県道・野崎付近、左奥の煙突が秋大
区画整理とはそういうものだけど、そこをほとんど更地にして、道路(県道の250メートル南を並行するのが大きめ【24日追記・その道路が新たに建設中のアンダーパスを経て、駅北西・旧脳研裏下の区画整理エリアとつながる。】)と家屋を新たに配置し直すようだ。
数十年前、田んぼだった頃に計画的にやっていれば、もっと安く上がっただろうに。人口減少を見越せば、今さら必要なのかという気がしてしまう。よそ者としては。
現在。2013年の写真よりさらに西で撮影(信号やパチンコ屋は変わらず)。
見事な更地だった野崎バス停付近では、たいぶ家が建ってきた。パチンコ屋はどうなる?
以前を知る人が久しぶりに来たら、驚き、以前何があったか思い出すのに苦労するに違いない。
Googleマップ航空写真に加筆
上の航空写真で、黄色い線の下・左が、大まかな区画整理エリア(さらに下まで続く)。
撮影時点では、県道沿いは未着工だが、内側は着工済みのようで空き地がある。
この時点で写っている民家らしき建物は、今は多くがなくなっているのだろうか。


県道沿いの手形山崎町寄りには、古くからあったであろうお店がいくつか営業を続けていたが、それも今年2020年に入った頃から閉店・解体する店が出てきた。「総合文具百科いせまつ」「おしゃれと暮らしのファッション島田屋」などがなくなった。【25日追記】いただいたコメントの通り、両店とも近くの仮店舗で営業を続けているとのことで、廃業ではなく区画整理に伴う改築になる。
2020年1月。閉店直後のいせまつ

2軒隣の島田屋は初売り中

現在。右の寿司屋の先が、いせまつや島田屋だった
この県道自体は、区画整理と直接の関係はなさそうだが、秋田市発注で区画整理に伴う歩道改良工事が施工中(上写真左側の工事看板)。多少変化しそう。

地元の人、秋大の卒業生の人などには、道路の片側だけほぼ全部という変則的な形で、思い出となじみのある風景が変わってしまうことになる。
ところで、この区間の道路に異様に多いものがある(ラーメン屋とか店じゃないです)。もしかしたら、全国的に見ても珍しいかもしれない。続きの記事にて

コメント (4)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 休み明け報道 と小梅の思い出 | トップ | 手形押ボタン通り »
最新の画像もっと見る

4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (りお)
2020-08-25 00:09:33
秋田大学の学生は、あの通りのことは「手形通り」と呼びますね。
昔、パチンコ屋のあたりにスーパーがあって親に連れられて何度か行った覚えがありますが、店名は忘れてしまいました。
いせまつ、閉店してしまったのですね。小学生の頃、夏休みの宿題で工作をするときに、画用紙や粘土などを買うのにお世話になったものです。今はみんなネットで買い物するのでしょうか。残念です。
手形通りのコンビニは確かに長続きしませんが、手形陸橋近くにあるファミリーマートは頑張っている方だと思います。
返信する
Unknown (FMEN)
2020-08-25 01:45:50
ぶっ壊してるほうが広山田で、残してるほうが赤沼・蛇野(なんと大字でもある!)ですね。
Jaがあるのが農村の名残、でしょうか。
居酒屋は確かに減りました。
帰省して呑んだ店もないようです。
自分が出た大学は教養やノースのような位置にあったのであの学生街がうらやましくてしかたがなかったです。
返信する
いせまつと島田屋の今 (編地 耕部、)
2020-08-25 09:42:37
区画整理事業の都合上で閉店されたいせまつと島田屋ですが、現在は旧店舗から東に進んだパチンコ店の向かい側で営業されております。
実際に、現地にて、確認済みです。
返信する
コメントありがとうございます (taic02)
2020-08-25 20:28:57
>りおさん
「手形通り」は秋大生発祥でしょうか。大学に面してはいないものの、学生生活には何かと関わる場所なのでしょうね。弘前大学にとっての「富田大通り」と「西弘」を合わせた感じに思えます。

パチンコ屋のところに、いとく運営の「iランド」というのが2001年まであったらしいです。2000年代中頃には、ジェイマルエーもあったと思います。
いせまつは、仮店舗で営業中とのことで、やめたわけではなかったようで、失礼しました。個人的にはなじみがないお店ですが、保戸野ののてやと並ぶような規模でしょうか。秋大生には生協がありますが、やはり街中の文房具屋さんは貴重な存在です。
コンビニは、ローソンが定着しないだけかもしれません。パチンコ屋のセブンもがんばっているようですので。

>FMENさん
手形字蛇野の隣に、別に「蛇野」が独立した大字で存在するとは知らなかった! 今は小字はないものの、バス停名の「野崎」が、元は蛇野字野崎だったとか。
村名であった「広山田」は、今はほぼ消えてしまっているんですよね。車庫~西口~大学病院~東口のバス路線が「赤沼線」なのは、間違いじゃないけど、どうして赤沼を選んだのかという気がしています。
大学・学生街が市民生活の場と重なっているのは、いいと思います。卒業後に訪れ、変化しているのは寂しくもありますが。

>編地 耕部、さん
ありがとうございます。
情報がなく、現地をよく見ないでしまっていました。いずれ、元の位置で新たな店舗で再開してくれるのでしょう。
返信する

コメントを投稿