広く浅く

秋田市を中心に青森県津軽・動植物・旅行記などをご紹介します。

神田線旧道区間の記録

2019-10-10 00:43:24 | 秋田市営バス
2019年10月の秋田市内のバスダイヤ改正で、神田線でいくつかの変更があった。
実際のところ、メインの秋田駅と外旭川地区を結ぶ系統の総本数とダイヤは、あまり変わらず、影響を受ける人は多くはないと思われるし、街の変化とバス利用実態からすれば、そうなるのもやむを得ないと思う。
しかし、元秋田市営バスの路線【13日補足・秋田中央交通への移管は2005年春】であり、今も秋田市の主要バス路線の1つである神田線として見れば、大きな節目となる変化が2点あった。個人的に親しみのある路線でもあるため、感傷に過ぎないのだが、何度かに分けて、取り上げさせてもらいます。

神田線は、秋田駅西口から通町、保戸野地区を経て、奥羽本線をくぐり、天徳寺前から外旭川地区を北進するルート。現在は外旭川市営住宅前または秋田厚生医療センター(旧・秋田組合総合病院)で折り返す「神田旭野(団地)線」がメイン。「神田」は外旭川の小字の1つ。【11日補足・市営バス時代から現在まで中型バス限定で運用されていて、大型バスは入らない。】
※市営バス末期から「神田旭野線」という路線名ですが、本来は「神田線」であり、今も沿線住民や利用者はそう呼んでいるので、ここでは神田線と表記します。
今改正の大きな変化2点とは、
1.外旭川から将軍野を経て土崎駅前まで行く「神田土崎線」が廃止。最後は1往復だけであったが、これが元々の神田線の形であった。
2.外旭川地区の旧道経由が廃止。全便が天徳寺バイパス経由に。バイパス経由は2014年4月から運行が始まり、以降、改正のたびに旧道経由からバイパス経由に振り替えが進んでいた。この旧道区間には「神田」バス停があり、バイパス区間にはないので、これにより神田線が神田を通らなくなってしまう。
神田線の運行が始まったのは、外旭川村が秋田市に合併される直前の1954(昭和29)年のはず。その当時から続いていたであろう2点が、途絶えるのだ。

今回は、外旭川の旧道経由について、廃止直前の各バス停の姿を秋田駅側から順に記録しておきたい。
 廃止直前の神田の時刻表
市営バス時代の全盛期は、平日の昼間は毎時3本が通っていたが、ここまで減った(バイパス経由は今も毎時2本程度はある)。
【14日・上の写真の廃止時の時刻表について補足】下り左の「神田旭野行き」の欄で「厚」印が外旭川市営住宅経由秋田厚生医療センター行き、印なしが市営住宅止まり(これが元々の旭野団地系統)。うち17時41分の204系統は臨海営業所始発・県庁市役所経由(桜町から駅始発系統と同じルート。かつての「千代田町経由」)。それ以外は秋田駅西口始発。
上り7時28分は「県」印で駅に行かない県庁市役所経由臨海営業所行き。8時07分は土崎駅始発向山経由(市営住宅は経由せず、外旭川病院前から合流)。

バイパス経由運行開始時の記事の再掲

新旧経路は、バス停で言うと天徳寺前~八柳二丁目(旧・八柳一区)の間。
バスが通らなくなる区間の距離では1.5キロ弱に6停留所、相当するバイパス区間は1.3キロに4停留所。

駅から来て天徳寺前を左折したバスは、300メートルほど広い道を走る。旧道を拡幅した道で新旧が同一。この間にバス停はない。平和公園の上り口を過ぎるとY字路があり、直進すれば新しく造られたバイパス、旧道は右に分岐。下りでは右折になるし、上りでは信号待ちが長くなりがち。
旧道は、平和公園の山のふもとに沿うように進む。9月29日の秋田魁新報に、この辺りはかなり古くから存在する道ではないかという話が出ていた。
途切れることなく建物があるが、新興住宅地でもある外旭川の中で、旧道沿いは古くから続くような家が目立つ。それでも、昔に比べると新しい家も増えた。

天徳寺前から550メートル、道が狭くなって押しボタン信号を過ぎたところに「水口(みのくち)」。以前は酒屋など店があったが、今はいずれもやめてしまったようで、建物には面影がある。ポストもあって、昔はある程度の集落の拠点だったのだろう。【以前の様子や位置については、末尾の補足記事も参照】
下り路線の進行方向。左がバイパス、右が山の方向
この道路よりバイパス・線路寄りの所在地名である外旭川字水口にちなむ。バイパス経由のほうに「水口入口」バス停があるが、むしろ水口入口のほうが(地名としての)水口のど真ん中なのだけど。旧道の身の口【11日訂正】水口バス停の入口という意味だったんだろうか。
上と逆・上り方向。センターラインが途切れるところがバス停
下り側はダルマ型ポール。市営バス時代設置のナール書体の表示板。台座も相応に古そうだけど、支柱は光沢があって妙に新しそう。
上り側は電照式っぽいが、市営バス時代の初代・バス接近表示(バスロケーションシステム。1981年頃設置か【15日補足・1981年末に新屋線で試験運用がはじまったはずで、神田線では多少後の設置のはず】)だったもの。1994年度に2代目システムに更新された時は設置箇所が絞りこまれた。2代目への更新を見送って、初代の接近表示部分を撤去し、ポールはそのまま残して電照式として使い続けられたものもあって、ここもその1つ。中央交通移管前後には照明も付かなくなっていたはず。
ここは奥まった位置に設置されており、バス通り沿いというより、Y字型に分岐するさらに狭い道のほうに立っているようにも見える。以前は上屋もあったような気もするけれど、なかったかもしれない(2012年10月時点ではなし)。
当初のままの若草色のバス停名表示
手書きで「次は天徳寺前です」もある。車道側2面はとても汚れていたが、内側はきれいだった。

水口から200メートル強で「斎場入口」。
下り側
斎場とは「秋田市斎場」を指す。地域によっては、葬式を行う施設を斎場と呼ぶようだが、ここでは秋田市営の火葬場のこと。1956年に開設されたそうで、外旭川村編入・神田線運行開始間もない頃からあったようだ。
バス停から山側へ400メートルほど入ると、施設がある。
バイパス経由では「八幡田一丁目」が最寄りか。さらに400メートルほどかかってしまう。
以前は、バス停のすぐ斎場・山側には田んぼがあったのだが、10年ほど前だろうか、宅地化された。ここが神田線沿いの最後の田んぼだったはず。
上り側
上下とも、ダルマ型・ナール。

進むとすぐに、信号付き十字路で、左の道すぐに土崎消防署外旭川出張所。
直進する道は狭いまま、カーブも出てくる。ガードパイプで仕切られた歩道も一部あるが、とても狭い。沿道は広い敷地の古くからの農家が多そうだが、最近は建て替えられたものも目につく。
下り進行方向
200メートル強で「梶の目(かじのめ)」。
所在地は外旭川字梶ノ目と、カタカナの「ノ」だけど、移管後設置のバス停の表示板や路線図ではひらがな表記。市営バス時代はどうだったか?
サルスベリと上り梶の目
上下ともダルマ型・「JTCウインR」書体。中央交通が移管直後に更新した表示板。
上り進行方向

引き続き狭いくねくね道で、150メートルほどで「笹岡入口」。ここは運賃境界やかつての路線分岐の関係か、間隔が短く、降りる時はボタンを押すタイミングに配慮が必要。
ここから広大な田んぼをはさんで直線でも2キロほど離れた所に「笹岡」と呼ばれる集落がある。地名としては秋田市編入時に消えているが、今も通用する。
2011年春までは「神田笹岡線」という系統もあった。現在は予約式のマイタウンバス化。
元々は笹岡入口-笹岡-土崎駅のローカル路線的位置づけだったようだが、1988年に秋田駅まで延長されて神田線の一部になった。秋田駅から来て笹岡入口通過後、右折して分かれていくわけで、「神田」は通らない。
下り側
上下ともダルマ型で、下りは透明シールにパソコンの丸ゴシック体で印字したローマ字なし。2002年にはこれだったようなので、市営バス時代のもの。
上り側、奥を右折すると外旭川中学校があり、笹岡方面へ
上り側はナール。ただし、市営バス末期2002年では手書きの表示板だった。その時点以降でナール表示板の新規作成はなかったはずなので、おかしい。実は、笹岡線が曲がった側にも、もう1つの笹岡入口バス停があったはずだから、そちらと入れ替えたのかも。
かつては上り側に待合所があったような気がしたが、あれはゴミ置き場だったようだ。今はなくなっている。【笹岡入口についても末尾の補足記事参照】
【15日補足】補足記事にいただいたコメントによれば、以前は下りバス停はもう少し神田寄り(上りの向かい)にあって、神田笹岡線運行開始時に、乗降扱い後笹岡方面へ右折しやすいようにという理由で移設されたとのこと。

この辺りは旧道とバイパスの間の距離がもっとも遠い。道も入り組んでいるため、笹岡入口からバイパスへ出るだけでも道のりで300メートルほどある。
笹岡入口から300メートル。運賃が上がって(50円ほど上がる)、外旭川小学校の前を過ぎると、いよいよ「神田」。外旭川村の中心地で、村役場もあったようだ。
ただし、現在の所在地名では、神田線のルート上に外旭川字神田は面していない。外旭川小学校の裏手のほうが神田だから、「神田入口」的な意味合いか。
外旭川村時代は、梶ノ目集落も含めて大字神田だった。明治45年の地図では梶ノ目に「前神田」、今の神田に「奥神田」とあるので、昔はここも神田だったとも言える。
下り進行方向。右が外旭川小学校

上り進行方向
上り側は旧バスロケ、押しボタン信号、ポストと水口と同じ環境。
1971年と1985年の地形図には、ここに郵便局があることになっている。今は卸売市場入口バス停前にある外旭川郵便局が、かつてはここにあったようだ。【10日訂正】コメントで教えていただいたように、ここにあったのは農協内の簡易郵便局だったとのこと。

上り側は、笹岡線の廃止代替のコミュニティーバスの始発でもあるので、そのポールも置かれる。
ここには以前は上屋とベンチがあった。ストリートビューによれば2012年10月から2015年8月の間になくなっている。

下り側はダルマ型だが、変遷が多い。
(再掲)きれいだけどサビも出ている
市営バス末期は、笹岡入口と同じような透明シール・丸ゴシック体ながら、ローマ字入り。
中央交通移管後、同社がごく一部に設置していた、四角いお城風デザインの表示板に交換。
2013年以降(2015年頃?)に、再び市営バスタイプの表示板に変わっていた。
(再掲)
これは、市営バス時代から美大開学時まで美術工芸短大入口で使われていた板の再利用で、このタイプには珍しく広告入りのため、バス停名が小さく、ローマ字が上にある。フォントはバイパス区間以外の神田線では数少ない現行の「スーラ」だと思われる。

神田を過ぎると、道は直線、少し幅が広くなる。
300メートル弱で「吉学寺入口」。「吉学寺」は「きちがくじ」と読み、現行の車内放送では「き」にアクセントを置いて発音しているはず。
吉学寺という寺院がありそうだが、存在しない。「入口」というからには、目的となる吉学寺が存在するはずだけど。
分譲住宅地の名前で「吉学寺」を使ったものがあったようだけど、それが由来なのだろうか。だとしてもどうして「吉学寺」なのか分からない。由来をご存知でしたら教えてください。
【11日追記】バイパスから線路方向に入った所に「外旭川吉学寺街区公園」があり、1979年末に供用開始されている。
下り側は北都銀行外旭川支店
ここは、旧道とバイパスがY字で合流する地点の目前で、銀行は両方の道路に面している。
上下ともダルマ型・JTCウインR。

そして、そのY字路で右折して、再びバイパスへ出る。丁字路状なので右折待ちはないが、信号待ちは長いはず。右折してすぐ、吉学寺入口から150メートルほどで「八柳二丁目(かつての八柳一区)」。
ここからしばらくは、旧道を拡幅してバイパスの続きとした道。その先、土崎方面については後日。


旧道はバスが通るにはとても狭く、積雪時は通行が困難になることも多く、バイパスができた以上、経路変更は仕方ないと思う。
それにしても、1996年にバイパスができる以前は、もっと多くの車がここを通っていたはずで、大変だったことだろう。1985年に小学校の社会科見学で卸売市場へ行く時、市営バスの大型貸し切りバスもここを通り、開けた窓から沿道の家の木の枝が入ってきたのを覚えている。

神田を通らなくなったのに「神田線」というのは、どうなんだろう。今は経由地より「行き先」を表示するようになっているし、特に新しい(若い)秋田市民は神田という地名を知らないかもしれない。
個人的には神田線という名前にとても親しみがあるけれど、将来的な分かりやすさ、整合性としては「外旭川線」などに変えたほうがより適切にも感じる。

【28日補足】10月改正時には、車両の行き先表示は特に変更されなかった模様。神田を通らないバイパス経由でも「天徳寺バイパス・神田旭野 秋田厚生医療センター」などと、路線名かのように「神田」が表示されているので、そこで引き続き「神田」の名が残った。

※続きは今回の補足
※2021年春、笹岡方面のマイタウンバスが新駅乗り入れ・環状運行化されることになり、この区間を再びバスが通るようになった

コメント (10)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ドラえもんの“入る”時間 | トップ | 旭川8月の流木・枯れ木 »
最新の画像もっと見る

10 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (神田線沿線住民)
2019-10-10 10:09:06
旧道区間の記録記事、ありがとうございます。
地元で、走っていることが当たり前すぎていたので、記録するという概念がないまま、記憶だけの思い出になってしまうのかと思っていたところでした。記事を大切に拝見させていただきます。

せっかくですので、何点か補足させて下さい。
・バイパス側の水口入口は、バイパスができるまではローソン側は田んぼだらけで、むしろ集落の外れでした。水口バス停があった場所は仰るとおり、旧水口村時代の拠点(押ボタン式信号の近くに廃寺がある等)でしたので、多少は歴史に配慮してくれたのかなぁ、と。
蛇足ですが市営バス時代、車内放送を一時期「みずくち」と呼んでいる時期があり、変だなぁ~と思っていた記憶があります。
・斎場入口は、以前は(平成初めあたりだったかと)「斎場前」という名称でした。ダルマ型の手書きバス停時代の話です。
・梶の目は、以前の手書きバス停時代は住所のとおり「梶ノ目」となっていた記憶があります。
・神田は、仰るとおり神田集落の入口的なところではありますが、バス停周辺には、小学校(遙か昔は中学校も同一敷地)、外旭川村役場→のちの市役所出張所(外旭川幼稚園の周辺)、駐在所や農協など、神田のある意味中心部だったところでした。
なお、バス路線沿いの左右は、集落の地区としては神田になります。(住所は梶ノ目だが神田地区)
・外旭川郵便局は、組織としては新規に設けられたものです。
地図に載っていた郵便局は、農協内に設けられていた「外旭川簡易郵便局」で、農協が委託運営していたものでした。
農協運営ということもあり、郵便と口座振替などは取り扱っていましたが、貯金業務は行っていませんでした。
・吉学寺入口、名前の由来は残念ながらわかりませんが、バス停のところ(北都銀行の駐車場部分)に不動産屋(パークホテルを運営していた某会社)が吉学寺をはじめ付近の新興住宅地を大規模分譲していた記憶があります。

管理人さんもおっしゃるとおり、今は神田を通らない「神田線」になっている訳で、名前が残っているのは旧道側の立場としてはうれしいのですが、いずれは路線名を改称するべき時はやってくるのかな、と私も思います。
返信する
残念な神田線 (盛モカ(ポッポや))
2019-10-10 16:38:28
神田線旧道レポートお疲れ様です。私は1977年から八幡田に住んでいましたが、今の悠楽館に農協(中に郵便局)同倉庫がありました。
当時今のひもりクリニックまで道路工事されていました。その当時、小学校近辺が元の神田、幼稚園からコネクト・スダ薬局近辺が神田新町でした。(住所は梶の目)小学校グランド裏からが神田の3桁番地で天徳院(瀧不動産)ニュータウン。
たんぽぽクリニック近辺から線路側までが吉学寺ニュータウン(同不動産)現在の八幡田〇丁目です。元外中から土崎より線路側が本当の八幡田でうえた、木曽医院も含む。八幡田地下道から水口線路よりが平和新町。八幡田3桁番地(同不動産、元居住地)消防署から斎場入口(元斎場前)も平成に開発されて平和公園ニュータウンとなりました。第一建設資材置き場と田んぼでした。
まとめ、ひもり、コネクト辺りは神田(厳密には違うが)と昔の地元住人は読んでいます。村からの住人は小学校近辺を神田と呼んでいます。そう考えれば神田線のままでも個人的には問題ないように思います。(路線名変更は経費が掛かる)
旧道経由がなくなるのは至極残念です。よく冬は側溝に車落ちていたり、バスが譲り合って運転していたり、冬はほとんどバスが進まないとか…思い出は尽きませんが。長文申し訳ありません。
返信する
てやんでえ!こちとら神田の生まれよ。江戸っ子だい (あんなか)
2019-10-10 22:36:26
神田は馴染みが無くついつい「かんだ」と読んでしまいます。
割と近い保戸野八丁でも線路の向こう側、天徳寺の方といったとらえ方だったと思います。
市営バス時代は便数も結構あり市営バスの代表線みたいな扱いだったと記憶してます。
新駅が泉地区にできますがそうなるとさらに変更があると感じてます(バス利用者にとっては困るようなショックな改変かと)。
昔は長距離も運転していたのですが今やもぱらバス頼み。
改変時期はちょっと恐怖であります。
タイトルではありませんが移住も視野に入れた方が良いのかなあ・・本当に秋田で車が運転できなくなると生活が詰みます。
返信する
Unknown (FMEN)
2019-10-10 22:52:16
水口はゴーストタウンになってしまってますね。
昔不気味なお坊さんのイラストが描かれた店がありましたが、いつのまにかなくなりました。
笹岡。広島の新しい監督とは字違いです。
上新城の方にいく道に降車専用という古いポールが2003あたりまでありました。
また、秋田市避難場所一覧という看板があり、スポンサーはいまはつぶれた松根湯。ここらまでは田舎な風景です。
神田に入ると発展してるなあとやっと思います。
さらに土崎線(県道が伸びていた部分)だと向山の桜並木が美しいです。

神田線の幕は特別で神田の文字が他の大町とかよりも大きく、秋田駅行きの神田も大きく市営の主要線だったのをはっきりさせますね。
返信する
コメントありがとうございます (taic02)
2019-10-10 22:59:57
外旭川に詳しい方々からの情報、どうもありがとうございます。
この記事は、廃止直前の記録に徹するつもりが、話が膨らんでしまったなと反省しています。この後も続けるつもりですので、何かあればまたご指摘をお願いします。

>神田線沿線住民さん
斎場前、梶ノ目は微妙な違いですが、そのような記憶があります。
水口は、全国的には「みなくち」が多いようで、「みのくち」は珍しい読みかたかもしれません。でも、交通局が間違うのも珍しい(アナウンス収録に職員が立ち会っていたと聞きました)ですね。
天徳寺側から分岐交差点までの線路側は泉釜ノ町ですが、その辺りから今の水口入口側は、わりと遅くまで田んぼが残っていたのでしょうね。おぼろげながら記憶があります。

>盛モカ(ポッポや)さん
バイパスは部分的にはけっこう古くからできていたのですね。全区間開通まで20年以上かかったことになりそうです。
1970年代の地形図には、その「神田新町」のほか北側に「沖神田」とも記されていました。現在の地名の神田よりも、概念としての神田はもっと広いのですね。

市営バス有数の難区間だったかもしれませんが、利用者も少なくはなかったと思います。バイパス経由は大型車でも大丈夫かもしれません。
減便が進んだこともあり、冬の夕方など混雑が激しいですから、大型が入ってくれれば、多少楽になるかななどと妄想しています。
返信する
コメントありがとうございます (taic02)
2019-10-10 23:21:59
>あんなかさん
昔は保戸野の向こうは田んぼ、途中に神田があって、土崎へという流れで、それを結ぶのが神田線だったようです。後でアップするつもりですが、20年ほど前は土崎行きが1時間に1本、旭野団地止まりが平日は毎時2本、土日でも1本ありました。減らされた今も、市内では多い部類でしょう。

新駅はどうなるでしょう。外旭川から秋田駅へは、時間も料金もJRのほうが便利になると思いますが、駅が遠い人や本数ではバスがいいでしょうし。意外と、現行ダイヤのまま、駅に立ち寄る程度になりそうな気もします。
住む場所、用事がある先にもよりますが、現状の秋田市なら、かろうじて公共交通機関でなんとか移動できると思います。これ以上不便になると…市民ももっと真剣に考えないといけないでしょう。

>FMENさん
外旭川の中でも栄枯盛衰がありますね。アンパス~北インター方面があんなになるとは30年前は想像できなかったでしょう。
降車専用は、笹岡方向から来たバス用のようでした。笹岡線が秋田駅まで行かず、笹岡入口終点だった頃の名残かなと思っていました。

添川線もですが、神田線は青い字がなくて物足りないと子ども心に思っていました。土崎駅行きは市営バス末期は「神田・土崎駅」でしたが、昭和末頃は「神田・土崎」とさらにすっきりした表示でした。
返信する
Unknown (りお)
2019-10-11 01:00:20
「旧道の身の口バス停の入口という意味だったんだろうか。」とあるところ、正しくは「旧道の水口バス停の入口という意味だったんだろうか。」でしょうか?
外旭川には昔親戚が住んでいて、よく訪れていましたがここしばらくは通りすぎるだけとなっていました。町はかなり様変わりしたのですね。
返信する
そうです (taic02)
2019-10-11 20:10:59
ご指摘ありがとうございました。
10年、20年と経てば、何かと変化するものですね。それでも、当たり前ですが道路の形は昔のままで、懐かしい気持ちにもさせられました。
返信する
美短入口上がりの停留所は (編地 耕部、)
2019-10-12 15:15:55
遂に、神田線の旧道経由が打ち切り(廃止)ですか。
誠に、残念にしか思えません。
と言う事は、美短入口から来た下り側の方にあった神田バス停の表示板は一体どうなってしまいますでしょうか。
まさか、別の停留所に流用とかではないでしょうね。
返信する
表示板転用 (taic02)
2019-10-12 18:03:53
最近設置される表示板は新品を使っているようですから、再転用はもうない気がします。
来年のバスまつりで売られるかもしれません?!
返信する

コメントを投稿