広く浅く

秋田市を中心に青森県津軽・動植物・旅行記などをご紹介します。

旧大島商会 移築

2021-01-06 00:27:32 | 秋田の季節・風景
1901(明治34)年に秋田初の百貨店として造られ、秋田県内最古のレンガ造の建物である「旧大島商会」が、道路拡張のため、大町六丁目から大町一丁目へ移築されることになった。
昨2020年9月時点では、新たな鉄筋コンクリート造の建物の形はできて、レンガはまだ貼られていなかった。
その後、12月には、
姿を現した(逆光ですみません)
移築前と比べると…
(再掲)移築前
以前より若干大きく見える気がするが、これは周辺環境や後述の色合いによる錯覚のはず。
移築前は錆びていたのか赤っぽかった屋根が、黒くなった。
アーチ状の1階の窓周りや、角のレンガでなく石の部分は、黒くなった。
そしてレンガの色合いが変わった。
正面。工事看板が撤去され、説明板らしきものがある
レンガの違いは2点。
まず目地の色。移築前の目地は白かった。レンガ造りにしては珍しい感じがしていたが、移築後は白くはない。
明治から白だったのか、途中で白くなったのか知らないが、誤差の範囲かもしれない。

もう1つ。
向かって右の角。左が正面側

工事途中の左角。右が正面
正面と側面とで、レンガが違う。
移築前はそんなことはなかった。そして側面のレンガは、なんか新しそうで現代のレンガではないだろうか。あと、正面のレンガは以前よりも1枚1枚の色の違いが激しいような気もする。

裏面は未確認だが、おそらく、移築前のレンガが再使用されたのは正面側だけ。その正面も以前とは違う配置で、ランダムに貼ったのではないだろうか。
となると、移築前のレンガが余ったことになる。余ったレンガの行方が気になる。状態が悪くて再利用できないものもあったのだと思うが。
そしてこの状態で、引き続き国登録有形文化財でいいのだろうか。

弘前城の石垣のように、以前と完全に同じ配置にするのは実質不可能にしても、古いレンガを使い回すのは可能なはず。でも、それなりの手間や費用がかかるのだろう。どのくらいか知らないが。
これじゃあ「移築」ではない(復元? レプリカ?)という考えもできるだろう。でも、古くて貴重だからと言って、税金を際限なく使うわけにはいかない。
特に秋田では、貴重なのにあっけなく壊された建物も多い。今残る武家屋敷なんかでも、現代の建材が使われていることも多い。
一時は解体の危機にあった大島商会が、こんな形ででも残ったことを喜び、大事に有意義に使っていくべきだと思う。

欲を言えば、側面もよく見える北面には、あるいはその正面寄りだけでも、以前のレンガを使ってくれても…
裏手の民間の駐車場との間には高低差があるが、そこに小さな数段の階段が見えたので、行き来できるようになるのか。また、上写真の後ろに写っているが、黒い小屋風の建物もできた。
北(通町・星辻神社)側から。雪が積もって屋根が白くなった
通町から来ると、存在はよく分かる。
南(一丁目橋・あくら)側から
引っこんだ位置にあるのと、手前の建物のため、秋田駅方向から来ると分かりにくい。ねぶり流し館に行くのに迷う人もいる場所なので、ここに道案内を設置してほしい。

2022年には、通町側に案内看板が設置された

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7 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
川崎に移された方が幸せだったかも (あんなか)
2021-01-06 17:15:51
正直微妙ですね。
やっぱり復元では無くてレプリカかなあと。
建物の復元は難しいらしく特に煉瓦作りは風合いが困難を極めると聞いた事があります。
古い家のコレクション、復元に熱心なのが川崎市で
多摩区にある最寄り駅小田急線向ヶ丘遊園駅南口から歩いて約15分ぐらいの
川崎市立日本民家園は川崎市自慢のコレクション集と言えるでしょう。
昔見に行ったとき家の関係者なのか老夫婦が涙ながらに「良くここまで復元されて・・」。
川崎市に譲ったら煉瓦一つ一つ再現されたのかも知れません。
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と言う事は後は… (編地 耕部、)
2021-01-06 17:27:35
近辺の道路拡張で赤れんがの建物がようやく大町の別の場所へ移行されたが、問題はその隣りにある半田葬儀社の建物です。
未だに、「移転予定」と挙げられているのに、それ以降、全く進展がありません。
あのせいで、寺町から大町五丁目交差点までの拡張完了までが、まだまだ時期が掛かりそうです。
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コメントありがとうございます (taic02)
2021-01-06 20:33:30
>あんなかさん
なくなるよりは、この形ででも存在し続けるほうが…程度でしょうか。
明治の竣工当時か、平成の移築直前か、いつの状態を復元したのかなど、移築に際しての方針を聞いてみたいです。

川崎市立日本民家園は、合掌造りも南部曲り家も移築されているんですね。まとめて見られるのは便利で分かりやすく、かつ忠実な移築ならば価値は高いでしょうね。

>編地 耕部、さん
今年度(この3月まで)で北側の道路を工事し、来年度に半田葬儀社のある南側で道路を造るという手順らしいです。
ということで、まだまるまる1年は猶予がありそうなので、いくらなんでもその間には半田葬儀社も…となるのかもしれません。
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う~ん (のりぽん)
2021-01-06 23:24:38
大町六丁目にあった記憶しかないので、大町一丁目に移ったのは違和感しかないですね。
次に帰省した時に見に行ってみます。
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場所の違和感 (taic02)
2021-01-06 23:58:52
移築されたので当然ではありますが、外観以前に、場所が変わったのはたしかに違和感です。
六丁目時代はあまり印象がなかったのですが、長らく未舗装駐車場だった一丁目のここにこんなものが建ったのには、まだなじみません。
観光案内施設(?)としての詳細はまだ分かりませんが、周りも多少整備されていくことでしょう。
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Unknown (suzudada)
2021-01-07 12:51:35
詳細は不明ですが予算削減なんて話を見つけました。
http://fujita-makoto.com/gikaikatsudo/teireikai/190313oshimashokai/
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移築予算 (taic02)
2021-01-07 18:57:28
元々の計画や結論がどうなったのかは分からないですが、できるだけ費用をかけずに移築ということなのでしょう。
貴重な建物を残したいというのが、移築の本来の目的だったはず。市当局や市議会はその気持ちをどうとらえたのでしょうかね。
建物ができても、観光案内所とかいうのはどうなるかなど、まったく聞こえてきません。もう少し情報を公開してほしいものです。

あと、イーホテルショッピングモールに入る秋田市観光コンベンション協会の事務所が、この2階に入る計画みたいですね。
となると、イーホテルモールがまた空きます。一方で、年末にイーホテルを「巨大複合型医療モール」にする構想が出たようですが、報道はされていません。イーホテルのほうも気になってきます。
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