広く浅く

秋田市を中心に青森県津軽・動植物・旅行記などをご紹介します。

協働大町ビルの文字2

2024-08-07 23:37:07 | 文字・書体
竿燈まつり期間中の秋田市大町三丁目の「協働大町ビル(旧・協働社大町ビル)」。
竿燈会場近くだけに人通りが多い

玄関
提灯は夏の間下げられているようだが【10日訂正・10日時点で提灯もなくなっていた】、竿燈期間中限定の「お食事処」「祝竿燈まつり」の看板が出ていた。
手書きで、味のある文字。

2021年にこのビルの駐車場の表示を取り上げた。相撲文字のような書体。1972年のビル竣工時からあるのかなと推測していた。
(再掲)
駐車場表示は現時点でもそのままだが、2022年10月~2024年5月の間に、高さ制限の注意書きが活字で新設されている。


竿燈の看板は、(少なくとも1957年から)1992年までの「竿灯」ではなく、「竿燈」表記なので、1993年以降に書かれたと考えられる。
楷書に含まれる書体だと思うが、タッチが独特。相撲文字と通じる点もあるのではないか。同じ人の揮毫なんだろうか… 昔は、こんな手書き看板はたまにあったと思う。

なお、ドア左の掲示枠【10日追記・実は液晶ディスプレイ?】の中には、縦書きで「祝竿燈 協働大町ビル」と書かれていたが、それはまた違うタッチで、普通の楷書に近い。

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2 コメント

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地味に古いのでは (FMEN)
2024-08-08 01:30:54
警察とか県庁あたりの役人の筆耕にありがちでした。
昔からの古町だから93年よりさらに前かもしれません。
あと酒提灯ですがこれも80年代からの使い回しでは。
小さい頃仁井田の祭りや太平川の花見に同じのがありました。
つまり、88年辺りかと。
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いつのものやら (taic02)
2024-08-08 20:39:05
1980年代後半~1990年代の当時の感覚として、「竿燈」と表記すること(場面・人)はかなり少なかったように記憶します。竣工時の1970年代ではどうだったか分かりませんが。

思い出したのですが、1980年代に使われていた、通町の草市の看板で、これと同じような真っ白い地に、青や赤の太い毛筆体の文字のものがあった気がします。
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