広く浅く

秋田市を中心に青森県津軽・動植物・旅行記などをご紹介します。

2001年 堀のアヒル/雪印ハ 

2021-01-30 23:12:22 | 昔のこと
20年前=2001年1月に撮影した写真から2題。
雄物川が凍ったのを初めて見た(この記事後半に写真あり)のがこの月で、寒くて雪も多かった。

ところで、広小路沿い、千秋公園の外堀にアヒルがいたことがあるのはご存知だろうか。白鳥でなくアヒル。
※外堀は、中土橋をはさんで秋田駅側がハスが生える「大手門の堀」、旭川側がL字型で昔は貸しボートやスケートリンクになった「穴門の堀」。

ついでなので白鳥のこと。
記憶では昭和末頃~平成初期頃には、穴門の堀に数羽の白鳥がいた。野生ではなく、通年住み着いていた。
冬にシベリアから来るオオハクチョウ、コハクチョウとは異なる種でヨーロッパなどに棲息する「コブハクチョウ」。
コブハクチョウは、くちばしが黄色でなくオレンジ色で、その上に黒いコブがある。泳ぐ時に羽を持ち上げるような形になるので、ハクチョウの中でも特に優雅に見える。羽がややクリーム色がかっている気もしたのは、気のせいか汚れ?
戦後、日本各地に移入されて飼育されており、逃げ出して野生化したものもある。苫小牧のウトナイ湖にいるものは、茨城の霞ヶ浦まで渡って越冬するらしい。
僕が初めて見た白鳥が、ここのコブハクチョウだった。後でオオハクチョウ、コハクチョウを知った時は、コブがないあっさりした顔で物足りなく感じた。

「二〇世紀ひみつ基地」の2006年6月20日「お堀から消えた貸ボート(http://20century.blog2.fc2.com/blog-entry-191.html)」によれば、コブハクチョウは「昭和四十四年(1969)、市内の会社経営者が市に購入費八十万円を寄贈し、動物商から十羽買い入れたのが始まり」で、当初は大手門の堀にいた。
後にハスが繁茂したため、穴門の堀へ移すことが検討されたが、貸しボートとの競合が問題に。その結果、1980年4月でボートが廃止されたとのこと。

また、1980年11月14日の秋田魁新報には「千秋公園のハクチョウ/お堀で越冬へ」という見出しの記事があるし、同時期に秋田市大森山動物園にもコブハクチョウがいた記事がある。おそらく、冬の間だけ大森山動物園へ移していた時期があったのかもしれない。

今、海が荒れると、ウミネコが旭川沿いに上ってきて、そこから中土橋まで来てたむろしていることがある。1992年3月12日の記事では「えさ求めウミネコ民俗移動?/旭川ごみ清掃で残飯減ったから/ハクチョウの飼料お堀にはいっぱい」とあり、コブハクチョウがその一因としている。=1992(平成4)年時点ではまだコブハクチョウがいたのだろう。
その後、いつの間にか、コブハクチョウはいなくなってしまった。

ちなみに弘前公園(中濠)でも、昭和50年代からコブハクチョウが飼育されていたが、近年は1羽だけに減っていた。2020年始にそれが死亡(20~30年は生きていたという話あり)。弘前市は告知をし、惜しむ市民がいたとのこと。
以上コブハクチョウは、「千秋公園のお堀の白鳥」として記憶する市民は少なくないようだ。


2001年1月13日。中土橋から穴門の堀
今シーズンも同様だったが、穴門の堀は、まだらに凍結していく傾向があるらしく、まだ凍っていない部分が点在。この時は噴水は作動しているので、その影響もある。
で、その未凍結の水面に、
白いアヒルが3羽!

 ぐるぐる

マガモが家畜化されたのがアヒル。日本ではこの真っ白の「シロアヒル」が一般的だが、マガモのような雌雄で違う色をしたものなど品種は多い。
僕が実物のアヒルを見たのは、小学校で飼われていたのと、ここぐらい。【2月1日訂正】10年ちょっと前に、別の場所のアヒルを記事にしていたのを、すっかり忘れていた。当時の猿田川には、白いアヒルが、黒っぽいアヒルらしき鳥といっしょに泳いでいた。ほかにもどこかで見てはいるでしょう。

どこかから飛んで来る/飛んで行くほど飛翔力はないはずだし、いつもいたので、ここに住み着いていたことになる。コブハクチョウのように誰かが正式に寄贈したものなのか、何者かが放した=捨てた“野良アヒル”なのか。

コブハクチョウいた当時は、広小路の岸に沿って草が茂った部分があったようだ。しかし、2000年前後より後~現在までは、水位が上がったのか、穴門の堀に陸地は少なくなった。そこにいるアヒルも、たまには陸に上がる必要があるはず。
広小路沿いの西寄り、今は美容室、昔は大判焼き&かき氷屋が建っていた土地の脇に、わずかな陸があり、夜にそこで休んでいたのを見たことがある。広小路沿いだと、車、人、明かりと住環境は良くなさそう。
それ以外の場所では、数メートル飛んで道路や県民会館・和洋高校(いずれも当時)の土手に上がらないといけない。アヒルでもその程度は飛べそうだけど、あえて飛ばないでいたのか。
その後、
2001年1月31日撮影。たぶん中土橋から
凍結した部分に上がって、座ったり立ったりして休んでいた。2羽しかいない。

記憶では、いつの間にか1羽いなくなってしまったのは確実。この時だったのか??
その後、しばらく2羽でいるのを見かけたが、いつの間にかみんないなくなってしまった。

今は、ウミネコのほかは、カルガモがたまに来る程度。サギ類は大手門の堀のほうを好み、穴門の堀では見たことがない。


話変わって。
2001年1月2日撮影
「雪印ハ」の看板。下のトラックにちゃんと書いてあるように「ム」が取れているから「雪印ハム」。

雪の結晶マークが共通し、今は「雪印メグミルク」として存在する企業と関係があるのだが、この時はメグミルクは付いていないし、今はハムは扱っていないようだ。
たしかこの直前に荒れた天候があって、それで「ム」が飛んでしまったのか、あるいはこの会社の状況から手が回らず直せないのかと思いつつ、撮影した記憶がある。
ご記憶の方もおられるように、当時の「雪印」は大変だった。

当時は、乳製品は「雪印乳業」、ハムは「雪印食品」と、グループ内で別企業だった。
雪印乳業は1999年3月まで秋田工場が臨海にあり、秋田市の学校給食にも採用されていた。※雪印牛乳についてこの記事後半。
2000年には近畿地方を中心に集団食中毒を起こしており、対応のまずさと合わせて、批判を浴びた。
ここは雪印食品のほうだから、この時点では直接的な批判の対象ではなかったことになるが、冷たい目で見て(撮って)しまっていた。

そしてこの翌年、2002年1月、今度は雪印食品の牛肉偽装事件が発覚。これら2つの事件で、雪印グループが再編される。
乳業は最終的に雪印メグミルクとして存続、食品のほうは廃業・解散。
看板の「ム」がなくなったどころか、翌年にはそのブランド自体がなくなるなんて、当時は知るよしもなかった。

今まで知らなかったが、雪印食品の子会社「東北雪印食品」は、この件で2002年に独立して「銀河フーズ株式会社(本社・岩手県花巻市)」になっていたのだった。ここの製品は、今の秋田ではよく売っている。
では、写真の「雪印ハ」は、東北雪印食品の秋田営業所か何かだったのだろうか。Googleにはここに「雪印食品東北販売部秋田営業所」という記述も残っている。
銀河フーズ秋田営業所は発足当時は知らないが、その後は別の場所。以前は北インター方面の外旭川字一本木、その後移転したようで今は御所野湯元にある。

雪印ハの場所の現在は、
建物は現存する
外壁の色が少し変わったが、建物は同じ。

少なくとも2012年から2019年12月までは、タイヤホイールメーカー「weds(ウェッズ)秋田営業所」が入っていた(臨海バイパスの寺内へ移転)。現在は目立った看板はなさそうだが、電気工事会社の名入り車両が置かれている。
で、その場所、お分かりでしょうか。
右の黒い建物はパチンコ屋(2001年でも存在したようだ)、その奥になんとなく見えているのがマックスバリュ泉店。ということで、県道126号沿いの泉北二丁目。


久々に見て、第一印象はもう20年も経つのかと思ったが、考えてみればそんなもんだし、まだ20年しか経っていない気もしなくない。
21世紀が始まったばかりの風景だと思えば、そのわりには古臭いような、今がそれだけ未来にいるのか。不思議な感じ。昔の風景はいずれまた。
コメント (3)
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