広く浅く

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助役/ローレル賞

2014-11-16 23:57:05 | 秋田のいろいろ
鉄道の話題をまとめて。

●続・助役
先日の記事の鉄道会社の「助役」の続き。
前回は、大館駅で秋田県内6人目の女性助役が起用されたという、秋田魁新報の報道に基づくものであったが、県内の助役の総数(女性の割合)が分からないし、そもそも助役ってそれほど偉いわけでもないようにも思えた。


秋田魁新報が発行する「マリ・マリ」という主に女性向けのタブロイド版情報誌がある。
秋田市内の魁購読世帯は金曜日の新聞に折り込まれるのだが、正確には「秋田市内と潟上市天王は全戸配布(=魁を取ってない世帯にも)。男鹿市、天王以外の潟上市、南秋田郡、由利本荘市、にかほ市は魁新報に折り込み」だそう。

その11月14日発行の281号で、今度は秋田駅の女性助役が紹介されていた。
大館駅の新聞記事よりは詳しく、助役について新たなことが分かった。

・助役は「駅長、副駅長に次ぐ管理者」
・秋田駅は「社員103人が働く」「助役は計24人。」「同駅でただ1人の女性助役」
→駅の中での順位としては上から3番目ということになるが、秋田駅では103名中24名、すなわち駅員の2割強がナンバー3という、フラットな構成。上から3番目だけど中間管理職ということか。(「駅」は内勤ではなく現場であるという事情でしょう)
ちなみに大館駅の駅員総数は25名だそう。やっぱり秋田駅は大きい。

・「井上さんの仕事は、月に4、5回の泊まり勤務に加え、主に駅で行うイベントの企画運営やサービス全般の管理を担当している。」
→「泊まり勤務」というのは助役でなく駅員としての業務だろう。
「サービス全般の管理」というのが助役としての業務だと思われる。以前書いたように、助役の業務は複数人で分担することが多いそうで、この方の場合、列車の運行、窓口などに関する業務は助役としてはやっていないのだろう。

・「女性社員1期生として1991年に入社」
大曲びゅうプラザ、横手駅びゅうプラザ、秋田支社営業部販売促進課を経て「助役試験に挑戦し合格。今年7月、晴れて秋田駅の助役に就任した。」
→大館の方は、1992年入社で県北の駅と秋田支社経理部門を経て助役登用。助役になるには現場と内勤と両方を経験する必要があるのだろう。

・「女性助役としては県内6人目」
→大館の助役も「県内6人目」だった。しかも、大館の助役は秋田より後の10月1日付で就任している。魁の記事どうしで矛盾している?
「6人目」は「女性助役は歴代6人目」ではなく、「現時点で助役として勤務するの女性が6人目(助役でなくなった人を除く)」という意味なんだろうか。7月から9月末までの間に、どこかの駅の1名が助役でなくなっていれば、つじつまが合う。
ただ、とすれば、県北には大館の1名だけ、秋田駅も1名だけだから、残りの4名が県南もしくは中央部の小規模駅で助役をしていなければならなくなる。ちょっと無理があるかも。
「秋田県内」ではなく「秋田支社管内」という意味で、弘前駅にもいたりするのかもしれない。とすれば、明らかに誤った表記。どうでもいいけど、ちょっと気になる。

・「(女性助役は)秋田駅では3人目となる」
→現時点では秋田駅唯一の女性助役だというから、過去も含めて歴代3人目ということなんでしょう。
以前の2人は、助役でない役職(支社内勤を含む)に異動したのでしょう。
→となると、「県内6人目」というのはやっぱり歴代で6人目ということで、大館との矛盾は単なる数え間違い?


こうした方々の中から、やがて副駅長や駅長にも登用される人が出ることだろう。
ただし、秋田支社管内には、既に女性駅長が存在した。※もちろんJR東日本正社員の駅長のことであり、委託された観光駅長などは別
1997年春の秋田新幹線開業時に、角館駅に女性の駅長が起用されていた。
たしかこの方は、鉄道現場出身ではなく、鉄道病院か何かの勤務が長い社員だったと思う。

【2017年7月2日追記】その後2017年7月1日には、再び角館駅長に女性(秋田駅助役から異動)が起用された。井上さん(44)だから↑この方か。
2017年7月2日付秋田魁新報社会面で報道されている。
角館駅長としては41代目、JR化後では14代目。上記、最初の女性駅長は1997年3月22日(秋田新幹線開業日)に当時46歳で着任した。現在の角館駅員は6人で全員男性。
「同支社採用の1期生」とあるが、上記マリマリによれば「女性社員1期生」ですが… 旧中仙町の実家から旧角館南高校へ自転車で通学していたという。


※少々関連した記事はこの記事後半



●ローレル賞
JR東日本の秋田新幹線用車両・E6系電車が「ローレル賞」を受賞した。
鉄道愛好家の団体による表彰で、鉄道業界・鉄道好きな人には、(少なくとも名前は)けっこう知られた賞だと思う。

JR東日本秋田支社では、ローレル賞受賞を宣伝に活用している。
11月8日に秋田駅において、秋田県知事、秋田市長、秋田商工会議所会頭、デザイナーなどが出席した「受賞式典」を開催。もらったJR側がやるから「“授”賞式典」ではなく「“受”賞式典」ということのようで、式次第の1つに「授与式」というのがある。
受賞式典の中で出発するE6系は、団体旅行の専用列車で、乗務員が企画した盛岡往復ツアー。クイズ大会や車内補充券発券などの車掌体験などができた。
さらに、E6系のグッズ類販売、子どもの絵画展なども行われている。


ここで、実は恥ずかしながら僕もよく分かっていなかったのだが、「ローレル賞」と、混同しがちな「ブルーリボン賞」について。
どちらも、国内最大の鉄道愛好家団体「鉄道友の会」による表彰。
歴史としてはブルーリボン賞のほうが先。前の年に営業運行を開始した国内車両の中から、会員の投票で1形式を選んで決定。
ローレル賞は、ブルーリボン賞からもれた形式の中から、技術面や先進性に優れたものを、専門家からなる選考委員会が選ぶ。受賞対象の数の制限はなし。

ブルーリボン賞が人気投票的なのに対し、ローレル賞は専門家の見地から優れた車両が選ばれる形。
選考対象は新幹線や特急だけでなく、普通列車や地下鉄、路面電車も含まれる。
今年は、ブルーリボン賞は近鉄50000系電車「しまかぜ」、ローレル賞はE6系と福井鉄道の路面電車・F1000形電車「FUKURAM」が受賞。

15日の秋田魁新報「いまを読み解く 解説のページ」「ニュースのつぼ」で、ローレル賞が解説されていた。
・鉄道友の会会員は約3200名
・鉄道友の会事務局長の話「会員の多い東京・大阪近辺の車両が上位に選ばれやすいのは事実」「賞の発表は毎年5月。以前は7月だったが、株主総会の前にやってくれという要望もあって早めた。社会的責任が大きくなってきた。」


11月8日のNHK秋田放送局のローカルニュースでは、「秋田県内の鉄道車両がローレル賞を受賞するのは初めて(略)ということです。」と伝えていた。これは誤り。(伝聞調だから、JRの発表が間違っていたのか?)
魁の解説では、先代の秋田新幹線E3系や、「リゾートしらかみ」のハイブリッド車HB-E300系は受賞を逃したことに触れた上で、秋田在住の鉄道友の会会員が秋田県関係では「日本海」「あけぼの」用の寝台車両が過去に受賞したことは触れていたが、これでもちょっと足りない。

「秋田県内の鉄道車両」を、「秋田県内で定期運行されたことがある車両」と定義すれば、ブルーリボン賞と合わせておそらく次の3形式が過去に受賞しているはず。
・1961年ブルーリボン賞のキハ81系気動車
→元は特急「はつかり」として製造されたが、後に「いなほ」にも使われた
・1975年ローレル賞の24系25形客車
→魁でも触れていた寝台車。B寝台初の2段式で、寝台列車時代の末期の主役となった
・1979年ローレル賞の50系客車
→701系導入以前に奥羽本線・羽越本線などの普通列車として使われていた、エンジ色の客車。飾り気のない車両だったが、自動ドアなど当時としては画期的な点が認められたのだろう。


ところで、E6系は今年、「グッドデザイン賞」も受賞した。
中央交通の秋田駅西口バスターミナルとともに、秋田の交通から2つが選出されたことになる。(他分野でも受賞したものはいくつかある)
この件について、JR東日本の本社からはリリースされているが、秋田支社では何も言っていない。

グッドデザイン賞は、賞といっても“自己推薦”方式の“認証制度”みたいなものだから、控えめなんでしょうか。
そういえばバスターミナルのほうも、秋田ではほとんど話題にならないな…


ローレル賞、グッドデザイン賞とも、受賞車両にはそのプレートが掲出されるのが通例。
全車両ではなく、製造番号「1」の車内に貼付されることが多いようだ。



●レイルウェイ・ライター逝く
11月7日「間違いだらけのクルマ選び」で知られる自動車評論家・徳大寺有恒氏が亡くなった。
その訃報記事と並んで出ていた新聞もあったが、6日には種村直樹氏が亡くなった。

徳大寺氏に比べれば、報道の扱いは小さかったけれど、種村氏も昭和末期から平成にかけての、日本の鉄道を語るに欠かせない人物だったと思う。
種村氏の肩書きは、訃報記事では「鉄道作家」「鉄道ライター」などまちまち。ご本人は「レイルウェイ・ライター」としていた。
文章の言い回しが独特だったり、“取り巻き”を引き連れた旅行スタイルなど、クセが強い部分も感じたものの、きっぷの制度を取り上げた連載や、旅先の郵便局を巡る「旅行貯金」に代表されるゲーム的な旅の楽しみ方を広めた功績がある。

ネットが普及する前は、種村氏のような乗車レポートが、各地の鉄道の現状を知る大事な手段だった。僕も、旅行中の着眼点とか、文章の端々に知らず知らずに影響を受けているはず。「苦言を呈する」とか「ぞっとしない」は、種村氏の著作で意味や使い方を知った。
2003年には宮脇俊三氏も亡くなった。今は鉄道アイドルなんかは増えたけれど、これからはこのような鉄道作家は出てくるだろうか。

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4 コメント

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Unknown (Unknown)
2014-11-17 00:06:44
先だっての秋田車両センター公開では、「ローレル賞&グッドデザイン賞ダブル受賞」とのポスター(手作りではなく、印刷されたもの)が掲出されていましたよ。
しかも17号車のボンネット側面にベタッと(笑)
返信する
掲示物 (taic02)
2014-11-17 00:21:48
掲示物はあったのですね。ということは、駅構内などにも出ているのかもしれません。

ホームページで見られるような外部向けリリースとしては、ローレル賞のことばかりです。マスコミはリリースを頼りにするでしょうから、広く知られることはないでしょう。
わざわざ出展料・審査料を払ったのだから、もう少し宣伝に使ってもいいような気もします。
返信する
悲喜こもごもです。 (みやのこ)
2015-02-14 08:34:39
はじめまして。
私は鉄道のまちで有名な、武州・大宮に住んでるみやのこと申します。
さて、鉄道友の会のブルーリボン賞・ローレル賞の受賞に於いて、ツキ良く受賞できた形式があれば、大本命と言われつつ惜しくも逃してしまった形式もあったりして、私は明暗を分けた形式の車両を、利用する機会がある度に色々考えさせられます。

先日、私は関西へ行った折に、山陽電車(神戸~姫路を結んでる私鉄)の3000系に乗りましたけど、この形式は昭和40(1965)年ローレル賞を、国鉄(JR)103系と争い、得票では103系がすこうし多かったものの、しかし当時の山陽電気鉄道は一地方のローカル私鉄(現在では準大手私鉄の仲間入りしてます)だった故に、ここまでよく健闘した点と垢抜けしたスタイルゆえ、鉄道友の会の関係者たちは目新しさではやや劣る国鉄103系よりも、むしろ山陽電車の3000系に受賞したほうが箔がつくと思われて、山陽電車の3000系に軍配が上がったとの事です。

その様な訳で実際に乗った山陽電車の3000系(最初期タイプの車内に、ローレル賞記念プレートが付いてます)の車内にあるローレル賞記念プレートを見るや、まかり間違えればJR103系にローレル賞記念プレートが付いていたかもしれないと思うと、複雑な心境にかられてしまった次第であります。

それでは、失礼させていただきます。
返信する
巡り合わせ (taic02)
2015-02-15 22:38:04
はじめまして。コメントありがとうございます。
どんな賞でもそんな側面はあるのでしょうが、ライバルの顔ぶれ、選ぶ側の思惑といった巡り合わせというか「運」みたいな要素もあるのでしょうね。

今回、E6系とともに受賞した福井鉄道のFUKURAMも、3000系の時と同じ意図があったのかもしれません。
地方鉄道が注目される機会が増える意味では、地方在住者としてはうれしいです。

そういえば、E6系に受賞プレートが付いたという報道や秋田支社からのリリースは、今のところないですね…
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