広く浅く

秋田市を中心に青森県津軽・動植物・旅行記などをご紹介します。

変電所跡・寒沢坂 2021.12

2021-12-16 17:51:51 | 津軽のいろいろ
2021年12月の弘前。工事が多い弘前公園に続いて、定番の弘前大学文京町地区(文京町キャンパス)裏手・西側から2か所。
ツイッターを始めとするネット上に情報をアップしてくださる皆さまのおかげで、動きがあることは事前に分かっていて、計画的(ただし効率的とは言えず、若干失敗)に訪れることができた。情報がなければ、知らないで行かずに終わるか、行ってびっくりするかになってしまうところ。

まずは、教育学部裏・富士見町。弘南鉄道大鰐線の線路際の崖上に、大正時代に作られた私設変電所の跡地がある。ここ数十年は、うっそうと樹木が茂る閉鎖された広い土地として存在していた。
それが2020年8月。更地になってしまった。1年前の訪問時(変電所の詳細等もこの記事参照)は不動産会社管理地だったが、その後、追記したように建築条件付宅地分譲「サンヒルズ富士見町」として、44区画が分譲されることになった。テレビCMが流れたり、弘南鉄道と弘南バスの車体広告も行われているとのこと。
土手町循環100円バスで運用されていた。「弘前中心部の新しい街」

1年前はすべて解体済みで未整地だったのが、整地され区画が分けられ通路ができて、道路際南側にモデルハウス2棟が出来上がっていた。その他の区画は、南寄りで数件、建築が始まっていて、大部分は未着工。
富士見町の名に恥じない津軽富士の眺望
看板によれば、南側寄りの13区画が申し込み済み。

看板には「弘前中心エリアにありながら閑静な住宅地」、「医療・教育・商業すべてが揃う便利な住環境」のキャッチフレーズ。
具体的な施設として「(仮)弘前総合医療C」「弘前大学」「メガ富田店」。
弘前総合医療センターとは、弘前大学向かいの国立病院機構弘前病院(大学病院でなく、厚生労働省所管)の位置に、同病院と弘前市立病院を統合させ、2022年4月にできる、新中核病院。看板の写真は国立病院の文字が読める状態。
メガ富田店は、焼肉モ~モ~、Uマート弘大前店(旧マルサン→マルエス)の跡地にできたドラッグストア。※現況は続編にて。
今どきのドラッグストアは、食料品などたいていの物がそろっているけれど、ドラッグストアをもって「医療・教育・商業すべてが揃う」と謳ってしてしまっていいのか。いちばん近いスーパーマーケットだと、弘前学院大前駅のコープあおもり西弘店や、桔梗野小学校向かいのUマート桔梗野店(旧マルエス)で800~900メートル。実際には多くが車で買い物に行くだろうし、弘前駅前も充分近いので問題ないが。

弘前大学は「徒歩1分75m」とされている。今は教育学部の裏手に小さい門ができたから、それで間違いではないけれど、大学があることをもって「医療・教育・商業すべてが揃う」と謳ってしまっていいのか。
下に小さく、通学区は大成小、第三中と記載(文京小学区じゃないのか)。小と中で真逆の方向の通学になるが、どちらも1キロ前後。ちなみに、線路・土淵川を越えると桔梗野小、第四中もあるが、ここからだとそれらも同じ程度の距離。


北西奥角には「緑地」ができることになっている。
この時は、そこまで入っていかれそうな雰囲気ではあったが、夜間は立入禁止で封鎖している柵を動かして、建築工事関係車両が入っている雰囲気でもあったので、やめておいた。岩木山や弘南鉄道は、高低差や線路向かいの建物の関係から、南寄りのほうがよく見えそうなので、眺望はそれほどでもないかもしれない。


変電所跡から南へ進んで西に曲がると、弘南鉄道「西ヶ丘踏切」。その先の下り坂が、西ケ丘町と寒沢町の境のいわゆる“寒沢スキー場”。

岩木山の姿は変わらないが、向こう側の光景が変わった。
(再掲)2020年11月
大学側から見て左・西ケ丘町側の建物がなくなり、更地になった!
今年10月頃までにこうなったそうで、今は整地されて、建物が建つ枠と思われる印も付いていた。昨年は「変わらぬ風景」としていたのに。

なくなった建物は、ソニーや三菱電機の看板を出していたお店。「SONY」は「SO」時代を経て、2013年2月~5月の間に完全撤去。個人的には、岩木山とともにこの店が寒沢スキー場に欠かせないアイテムだったので、ちょっと惜しい。
さらにお店の踏切側の隣、一段高い土地も、同じように整地されている。むしろそちらのほうが広い。
(再掲)2009年の寒沢スキー場の最初の記事

(再掲)2013年2月
何があったのか思い出せなかったが、再掲写真2枚の手前に写っているように、白い2階建ての民家があった。同じ建物が、南方向(踏切すぐから県道130号へ出る南方向への狭い道路沿い)にさらに2棟並んでいて(計3棟)、これらは2013年5月から2015年8月の間ですでに解体されていたが、整地されず、道路際の木の塀のような柵のようなものはそのままだった。
さらに、その3棟のさらに南隣には、ブロック塀をはさんで2階建ての別の民家があったが、2019年10月のGoogleストリートビューで解体されて基礎だけになっていた。
今回、それら南方向計4棟の跡地も、整地されたのだった。

坂の下から。右手前が電気屋跡、その上が4棟の家跡

そんなわけで、寒沢の坂の南側の沿道が一変した。


3棟の南端付近。左にもう1軒分土地が続く。右の白い車が上っているのが坂

県道へ抜ける道では、坂を横から見ることが可能になった。
傾斜が分かる
1971年の地形図でここを見ると、建物もできてはいるが水田も点在していた(“棚田”風だったのかも)。その10年後には今と同じような状況になっていた。だから、50年前なら、同じように坂を横から見られたのかもしれない。
面積、立地からすれば学生向けアパートが建つのだろうか。段差があるから1棟ではないだろう。この辺りは古いアパートも少なくなかったが、世代交代が進んでいきそう。
「りんご畑鉄道」のラッピング車両(7038-7037の編成)


文京町地区の反対側、正門周辺の富田大通りでも、けっこうな変化が生じているので続く
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弘前公園 いろいろ工事中

2021-12-13 20:38:44 | 津軽のいろいろ
2020年11月以来、1年ぶりに弘前へ。
昨年よりも時間があったので、2020年正月以来となる弘前城址・弘前公園にも行った。
左が市役所、右奥が追手門
この日は12月の東北地方日本海側では珍しい快晴。岩木山もくっきり。山頂の雪の積もりかたは、晩秋とも春先とも微妙に違う感じで、あまり見覚えがない(在住当時は何度は目に入ってはいるのだろうけど)。
天気が良すぎて、写真が逆光になってしまうのが難。そのため見づらい写真があります。

循環バス利用者など観光客にとって一般的な動線である、上の写真右の追手門から公園内へ。追手門は、
足場とシートで覆われている

入って直進して、左へ折れて、その右が二の丸と三の丸の境、中濠に架かる「杉の大橋」。その先の南内門も、
同じく覆われている

国の重要文化財である2つの門は、約60年ぶりの修理工事中。
今年秋に工事が始まり、11月からこのようにシートで覆われている。来春のさくらまつりまでに、門の写真を印刷したシートにするとのこと。耐震化や、銅瓦葺屋根のふき替え、しっくい塗り直しなどを行い、1年後・2022年12月完成予定。
工事中も門をくぐり抜けることは可能だが、弘前市サイトには「状況によっては一時的な通行制限なども想定されます。」ともある。その場合、脇を抜けられそうにはないから、大きく迂回することになるだろうか。

この2つの門、それぞれ「追手門」と「南内門」と認識していた。改修工事を報道する、東奥日報、陸奥新報の見出しもそう表記している。
しかし、弘前市のサイトの告知では「三の丸追手門」「二の丸南門」としており、陸奥新報も本文では「二の丸南門(南内門)」としている。「南門」が正式なのか?


進んで、下乗橋から本丸へ。ここは以前から続いている、天守を移設して、その下の石垣をバラした大掛かりな補修工事中。
下乗橋から。奥に動かされた天守の頭が
足場が組まれ石垣の積み戻しが始まっているらしいが、ぱっと見て全体的には、前回とそう違わない。

11月末から3月は、本丸~北の郭も無料で入場できる。ただし、天守内部は閉鎖。
また、三の丸【14日訂正】二の丸(有料エリア外)側の石垣工事見学デッキと、本丸の展望デッキは、凍結を理由に(凍結状況に関わらず)冬季閉鎖となっていた。展望デッキは2020年正月時点では開放されていたけれど、階段や傾斜があって凍ったらたしかに危なかった。


高低差17メートルの崖がある本丸の西辺では、蓮池濠(という名前だそう)越しに、岩木山をすそ野まで眺められる、のだが…
そのベストボジションも、囲われて工事中。その中のコイン式双眼鏡にはカバーがかかっていた。
石がゴロゴロ
天守下の石垣工事で何年か前にやっていたのと同様に、石垣をバラしてナンバリングしていた。
斜面中ほどに重機がいる
ここの斜面(報道では「のり面」)の一部が、今年9月4日の大雨で崩落した。ちょうど真ん中のいい場所、幅は13.5メートルらしい。
ネットに情報が少なく、本丸の石垣工事と紛らわしいのだが。崩落は斜面の表面、上から見て柵より外側だけで留まったようだが、文化庁との協議が必要だそうで、差し当たって仮復旧、来春のさくらまつりまでの本復旧は厳しいような話も。

復旧工事とはいえ、冬の晴天の岩木山がじっくり見られないのは、残念。北側の少し高い展望台は、実は木が邪魔してそれほど眺めが良くない。崩落箇所のすぐ南、工事現場事務所のプレハブの裏側は封鎖されていないので、そこから。
見事
ここのハスも秋田市の千秋公園に負けない繁茂。千秋公園と違って枯れたハスの撤去作業はしないようだ。

工事や閉鎖が多く、訪れる人も少なめで、雪がなく冬枯れていて、ちょっと寂しい弘前公園だった。弘前の話題は続く
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弘前の“菊もみ”

2021-09-26 23:37:33 | 津軽のいろいろ
陸奥新報のサイトで、ニュースの見出しを眺めていたら…

9月25日付

「菊もみ」11月開催に意欲/弘前市長
※陸奥新報以外の新聞社も含めて、紙面の見出しより、サイトの見出しのほうが文字数が少ないため、紙面とは異なる見出しでアップされることは多いようだ。本件の紙面がどうなのかは不明。

「菊もみ」って何?
初めて聞いた。

ひらがなの「もみ」が想像できない。
「菊籾」? 「菊揉み」? それとも???

クリックして、中身(紙面のリード文程度だが)を見たら解決。

恒例の弘前公園で開かれる「弘前城菊と紅葉まつり」のことか!
正式には漢字表記の「紅葉」なのを、「もみ」としているから、頭が回らなかった。
このイベントを「菊もみ」と略するのが、弘前では一般的なんだろうか?

ネットで検索。
まず、最初に頭に浮かんだ2つの漢字表記。「菊籾」という言葉はなさそうだが、「菊揉み」は存在した。2つあって1つは、そば打ちや陶芸の土練りの時、生地や粘土に菊の花びらのような模様が浮かぶようにやる方法のことらしい。「菊練り」とも。もう1つは、織物の地の模様の名でもあるそうだ。

「弘前」と組み合わせて検索すると、弘前城菊と紅葉まつりを「菊もみ」もしくは「きくもみ」と略した使用例がそこそこあった。「キクモミ」はほぼなし。
古くは、2011年のブログに「菊もみ」、2013年のツイッターに「きくもみ」を確認。

2017年には、じゃらんサイト内のスマイルホテル弘前のブログに「もうすぐ開催!きくもみ!!」。
2018年には農業活性化アイドル りんご娘のオフィシャルブログに「きくもみ!!」。

弘前城菊と紅葉まつりの、実質的な主催者であるはずの公益社団法人 弘前観光コンベンション協会のホームページにも、「菊もみ」と「菊モミ」が複数。
「管理者」「管理者用」がページタイトルに付いているので、一般公開を前提としたものでないページが、見えてしまっているようだ。中身は「菊もみポスター」とかで、別段見られてまずいものではなさそう。
「管理者:菊もみチラシ」チラシは2018年版

弘前市の公式サイトには、日本語での略称はなさそうだが、HTMLやPDFのファイル名が「kikumomi」なのが3つアップされていた。古いものでは2014年。


てっきり、陸奥新報が勝手に「菊もみ」と略したのかと思ったが、そうではないかもしれない。

コンベンション協会や弘前市役所内部で、だいぶ以前から「菊もみ」が使われた。それが外部に広まって、一般市民など民間では「きくもみ」表記も使われ出し、今回陸奥新報も使用した。といった流れだろうか。
今回の陸奥新報の場合、文字数が同じなのだから、正式表記に従って「菊紅葉」と略したほうが、見出しとして伝わりやすいはず。しかし、市の“公式な略称”である「菊もみ」にこだわったのか。
検索結果数からすれば、弘前市民の誰もが知っていて使うようなレベルには達していないと思われる。「菊もみ」の弘前市民認知度が気になる。


前から思っていたが、「弘前城菊と紅葉まつり」は長ったらしいし、正しく覚えていない人が多いと思う。「紅葉」を「こうよう」と読まれることもあり得る。
区切りも分かりづらく、以前、どこかのテレビ局のアナウンサーが「ひろさきじょうぎく」と一気に呼んでしまいかけたこともあった。
2001年までは「弘前城もみじと菊人形」という名前だったそうで、(なんか尻切れだけど)そのほうがまだマシだった気もしなくない。
あと、弘前公園にはモミジ・カエデ類もある(1000本あるらしい)が、やはり桜。桜の紅葉も目に入り、見事なのに、「もみじ」で片付けるのは、もったいなくも感じる。
「弘前(城)菊まつり」「弘前(城)秋まつり」とかに変えては…ダメなんでしょうね。


一緒くたにして申し訳ないが、今年春、「新型コロナウイルス感染症まん延防止等重点措置」が始めた出された当初、政治家、行政、マスコミとも「まん防(まんぼう)」と略すことが多く、緊張感がないとか指摘が出て、わりと早期にそうは略されなくなった。そんなことも連想してしまった。
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昔の弘前を覗く

2021-01-13 00:09:50 | 津軽のいろいろ
秋田市の次によく知る街である、弘前市。でも、自分が直接知っているのは1995年以降。それ以前のことはほとんど知らない。
最近、インターネットの2つのサイトなどのおかげで、知らなかった昔の弘前を少し知ることができた。

1つは「弘前市立中央公民館(@hirosakikoumin)」のツイッター。
弘前公園そばの弘前文化センターの中にある施設で、弘前の地理や歴史に関するツイートもしている。
秋田市では(町内会館的なものでなく、市役所の施設としての)公民館はなくなり、今は市民サービスセンターの一部になっているが、その往時のような体育館と文化施設がある地域の拠点みたいなものを連想してしまう。
弘前には市立博物館もあるから、歴史や地理ならそちらの業務な気もするが、担当職員の意欲の現れなんだろうか。
あと、どうせなら、投稿が次々に流れ去るツイッターではなく、自前のHTMLサイトとして残したほうがいいと思うのだが…

中央公民館が昨年秋頃にやっていた(11月の180回でいったん休止)シリーズ物のツイートが「ひろさき写真遺産」。※ツイッターでそう検索すると見られます。
※今は公式インスタグラムで続編が始まった。しかし、インスタはログインしない状態だと、見られる場合とログイン画面に飛ばされる場合が、気まぐれであるようだ。アカウントを持たない人のことを考えれば、不特定多数に見てもらいたい情報は、そのようなサイトに乗せるべきではないと考える。

市などが保存する昔の写真を紹介してくれる。よく知らない場所も多かったが、なるほどと見た。
興味深かったのが、休止前最後の「大町シリーズ(全74回)」。【追記・好評だったようで、2022年に同ツイッターで再掲載されている。】
駅正面の南側、大町地区の町内会が記録していた昭和末と平成初期の風景を、許可を得た上で、現在の写真とともに掲載していくもの。

大町のメインストリートは、今はヒロロ(旧・ジョッパル)の通り。
(再掲)2013年撮影。突き当りが駅
僕が弘前に行った前年にジョッパルがオープンしていて、周りの道路や建物はすでにほぼ今の形になっていた。
いかにも新しそうで、その分画一的でおもしろみがない街と道だと、今でも思ってしまうのだが、それ以前がどうだったかなど、考えたこともなかった。

ひろさき写真遺産では、ジョッパルと同時進行で行われた区画整理事業の、着手前の街並みと、変わりゆく街並みを見ることができた。
そこには、想像も付かないけれど、初めてなのに懐かしくも思える風景があった。

まず道路。今は片側2車線中央分離帯・歩道付きで、駅前ながら郊外のよう。沿道には全国資本の飲食店も複数あるが、駐車場や店でない建物もある。
以前は、歩道のない対面通行1車線。追い越し禁止の黄色いセンターラインで、40キロ制限。今の広い道は、土手町と交わった先、大成小学校方向は狭くなる(追い越し禁止はなし)が、そこと同じ程度(昔、突然道が狭くなるので、いずれ先も拡幅されるのかなと思った気がするが、そうならずに今に至る)。
沿道には、古い造り、もしくは失礼ながら簡素な造りの建物が多く、それらが密集していた。※区画整理を控えていて、古いまま手を付けなかったのもあるでしょう。
店の数は今よりずっと多く、ほとんどが地元のお店だった。ここも昔ながらの商店街(名前や通称はあったのかな)だったのだった。土手町とここを合わせれば、弘前駅周辺はかなりの店舗数になったことだろう。さすが弘前だ。また、イトーヨーカドー正面側の通りよりも、店が多そう【2月1日追記・←よく知らないで書いてしまった。かつてはイトーヨーカドー正面側も今とは違う景色だった。若干道が狭く、アーケードのある商店街。駅側からは今ほどヨーカドーの全体が見えない。だから昔はヨーカドー側も今以上ににぎわっていたのだろう。】。

雑然としながらも、活気があるように見えた。
道路すれすれが全面ガラス戸【2022年8月27日補足・閉店時はそこにカーテンを引く】で、そこに商品を並べたような、懐かしいお店もいくつか。
弘前市内の他の商店街も、昔は似たようなものだったとは思うし、秋田市の通町商店街の拡幅・再開発(1990年代後半)以前の街並みとも似た(飲食店は少ないが)雰囲気が漂う。

印象に残ったもの。
・駅前という場所柄のためだろう、喫茶店と駅前食堂的な飲食店が多かった。「世界のコーヒー」なる店も。
・酒店、不動産店、時計店が複数。※不動産屋は、今も残ったり、他へ移転したりして存続。
・弘前らしくリンゴ店のほか、ポンプ屋、刀剣店、ケース店、鋳造所、表具店と、変わった業種も。
・今も他の場所にある、こがねちゃん弁当やラグノオ(大町店)が、ここの駅寄りにもあった。

・駅寄りでは、車道の上にUFOのようなものがワイヤーで吊り下げられていた。街路灯らしい。
・アートホテル弘前シティとヒロロの間の、今は小さい十字路交差点が、五叉路だった。交わる道路そのものが、区画整理でなくなったらしい。
・駅を出てすぐのシティ弘前の場所に、大きなりんご屋があった。今はシティ内の弘前駅前郵便局も、その並びに単独であった。
・ヒロロの大きな交差点も、交わる並木通り自体が以前はなかった。今、ヒロロ隣接の並木通りになっている場所には、立派な商家らしい造りの「葛西ポンプ商会」。信号はあったが押しボタン式。【2022年6月28日補足・1985年にはポンプ商会現存、押しボタン。1990年にはポンプ商会とその周囲は更地になり、今の並木通りの幅の道路ができていて、押しボタンでない交差点に変わっている。】
(再掲)右奥が駅。左が並木通りだから、そこにポンプ商会があった
【2022年8月27日追記】・区間の西寄り・南側の大町二丁目バス停付近に「佐藤もち店」があった。現在、茂森新町に同名の店があり、看板のデザインが似ている。移転したのだろうか。

ありそうでなかったもの。
・区画整理で1990年に現在の建物になったというホテル新宿(現・弘前駅前ホテル)の旅館時代の姿はなかった。通りには面していなかったのか。【下の追記参照】
・区画整理後は、ジョッパルの駅寄りの隣のビルの1階に「今泉本店(2000年に倒産した地元書店)」の支店があったが、区画整理前にもあったわけではなかった。他にも書店は1つもなかったかな。
【2022年6月14日追記・その今泉本店が入っていたビルの位置(=五差路の角)に、「ライブハウス山唄」があったとのこと。区画整理ではす向かいへ移転し、2016年に閉店。】

貴重な記録である。町内会だけ、ツイッター上だけで残すのはもったいない。
弘前でさえこんな状況だから、秋田市など他の土地ではどうだろう。最近の秋田市では、市民が保管している古い写真や映像を収集する活動を、複数の団体等が実施してはいる。もっと体系的に、誰もが容易に見られるように残すことも大事だと思う。

【2022年6月9日追記】陸奥新報の連載「津軽の街と風景」において、2021~2022年に再開発前後の弘前駅前のことを取り上げていた(10月25日162回、12月6日164回、1月31日167回)。
貴重な情報が多く載っている(再開発前は「弘前第一ホテル」というのがあって、弘前随一のシティホテルだったなど)が、167回で旅館新宿に触れていた。
「駅の南側に位置する大町1丁目には、一軒家に旅館の看板を付けたような小さな旅館が、狭く入り込んだ通りに多数点在していた」「当時の駅前周辺には大きなホテルが少なく、小さな旅館が多数あったのである。」
それらは立ち退き時に旅館を辞めたものの「旅館新宿と旅館晃荘は、代替地を得て弘前駅前ホテルとビジネス旅館晃荘として今も営業を続けている。」


もう1つは、秋田市のことで何度か取り上げている「今昔マップ」。ソフト版もあるそうだが、オンライン版は「時系列地形図閲覧サイト」。
埼玉大学教育学部の谷謙二氏が運営するもので、国土地理院の地形図などを現在と過去を並べて表示・閲覧できる無料サービス。

県庁所在地を優先して公開していて、これまで青森県は青森市だけだった。弘前も歴史ある街だから、見られたらおもしろいと思っていたところ、1月7日、ついに公開!
福島県会津も同時公開で、東北地方の県庁所在地以外では、これらが初。
弘前市だけでなく、黒石市、五所川原市、大鰐町まで公開。【13日補足・前記周辺3市町は全域ではないが、それぞれの中心地は見られる。もちろん、弘前市とそれらとの間にある各地域も。また、つがる市木造や青森市浪岡地区も見られる。浪岡は青森市本体の今昔マップとは別扱いになっていて、浪岡から北へ移動して連続的に見ることはできない。】(いずれも現時点での自治体、地区名)

秋田市では1912年、1970年代、1980年代、2000年代の4つの地形図を閲覧可能。明治末の次は60年後で、その間も、できれば見たいのだけど。
弘前市ではその4つ(ただし、2000年代がなくて1990年代)に加えて、1939年も見られる。

ズームアウトした状態で年代を切り替えると、街の拡大していくさまが分かる。1990年代と今では変わらないが。
秋田市は、土崎と新屋という両隣の町も巻きこみつつ、しかも広範囲でだらだらと拡大したのに対し、弘前はお城から四方へ徐々に広がっている。

細かく見ると、弘前大学周辺はもちろん、松原地区の辺りまでは1970年代で今に近い宅地化がされていた。僕が住んでいた辺りも、大昔は果樹園(=リンゴ畑)で1970年代にはもう今と同じ。
安原地区は、1980年代でもリンゴ畑、1990年代にやっと宅地化が始まっていた。
【13日追記】弘前公園の北西・岩木川対岸の藤代、浜の町は、1939年の図までは藤代村で、浜の町(浜ノ町表記)は弘前市飛地となっていた。

1つ目で触れた、ヒロロ付近は、 ※以下、画像は今昔マップより。
左が1981年、右が今
「駅前町」の下に注目、右側では赤茶の○の位置、たしかに五差路だった。「大町三丁目」の下付近には並木通りもない。
今も遊歩道など入り組んでいて、方向感覚を失いがちな場所だけど、以前も今とは違いながら複雑な道路だったようだ。

あと、左で「駅前三丁目」の「丁目」の辺りはイトーヨーカドー弘前店の場所。当時すでにあったはず。
その下にあるフォークの先を2つ合わせたような地図記号は「営林署」。今だと並木通り~ヨーカドーの敷地の一角・セブン-イレブン辺りになりそう。かつてはここに弘前営林署があったのだろうか。現在は「津軽森林管理署」となり、弘前市豊田にある。

1939年の地図で、弘前駅から奥羽本線を北にたどると、
「わつとく」駅?
「わとく」でなく「わっとく」と呼ばれることが多い(過去の記事)、駅すぐ北の和徳地区(当時は和徳村)に駅が?!

さらに北へ進み、撫牛子駅を過ぎて平川を渡ったところに「とよまき(豊巻)」駅、弘前駅の南方、取上地区の今の跨線橋のところに「おほしみづ(大清水)」駅、さらに南の大和沢川付近に「かどげ?(門外、かどけ)」駅、石川駅を過ぎて大鰐町に入って、弘南鉄道(当時は未開業)鯖石駅の真西に「むつもりやま(陸奥森山)」と、5つも今はない駅があった。
大鰐(現・大鰐温泉)-陸奥森山-石川-門外-大清水-弘前-和徳-撫牛子-豊巻-川部
知らなかったが、Wikipediaを見ると、1935年に大鰐~川部間で「ガソリンカー」が運転され、その時にこの5駅と撫牛子駅が開業していた。その後、1940年には撫牛子以外の4駅が廃止されて、短命に終わった。
おそらく、戦時体制でガソリンカーが廃止されたのだろう。
当時の鉄道省が、地方でこんな短距離輸送をしていたとは。その80年後、秋田市に泉外旭川駅が開業するまで、何十年かかったのを思えば…
黒石方面の弘南鉄道を意識(直接の競合関係ではないが)していたのかもしれないし、逆に戦後に開業する弘前電気鉄道(後の弘南鉄道大鰐線、こちらはやや区間が重なる)へのきっかけになった、ということもなくはないのかも。


弘前大学文京町地区の東側、桝形~富田町~取上・松森町の道を以前取り上げた。
ブックマックスがあった一直線の広い道と、その裏通りのような狭くてくねくねした道がほぼ並行しているが、どちらも古い道のようだった。
(再掲)赤と青の道路のこと
1912年の地形図では、
たしかに両方すでにある
ただ、広いほうは、今は取上交差点から東へ続き、奥羽本線の踏切まで一直線だが、この時点では交差点に突き当たって終わっている。

1912年の地図のこの辺は、軍関係の施設が多い。
今の弘前大学「文京町3番地地区」こと、理工学部と農学生命科学部などがある場所には★マーク。師団司令部(第8師団)など。今の第二体育館付近には、池がある。

その西に縦書きで「号砲台」、付近の道はカーブしている。
80年近く後の弘大生に「バカヤローカーブ」と呼ばれることになる場所。
現在、現地にある標柱は「午砲台跡」。時報として大砲が撃たれ、カーブした軍用通路が市道になって今に至るとされている。

南の今の市立第四中学校の場所は「砲兵営」。向かいの今の市立文京小学校の場所の「M」のような記号は「陸軍所轄」らしい【15日補足・文京小の位置の「T」をT型の枠で囲ったものは凡例には出ていないが、「倉庫」の地図記号ではないかと思う】。その下(今は住宅地)の「×」の先が枝分かれしたのは「監獄」!
※各時代の地図記号は、今昔マップで表示させた状態で、左の「凡例表示」クリックで小さいウインドウに表示されます。
上画像の外側では、今の県立弘前実業高校の敷地や桔梗野小学校一帯には「歩兵営」、最近まで建物が残っていた(上の和徳のリンク参照)松原東には「騎兵営」など、こんなに軍事施設があったとは。軍都弘前を実証している。

1939年の同じ辺り
約30年で、富田町側は宅地化が進んだようで、斜線(現在の「総描建物(大)」)で示されるように。
取上交差点から東側へも道ができた。弘南鉄道が開業して「南弘前」駅(現・弘前東高前)へのアクセス路だったのかも。
今の弘前大学の正門がある「文京町1番地地区」には「高等学校」ができた。弘大の前身である旧制弘前高校。

その西側、斜線が途切れた所に「発電所」の地図記号。現在は「発電所等」として、変電所も同じ記号で示されるが、当時も同じだったようだ。
酒造会社が作った変電所で、廃止後も土地はそのままだったのが、昨年更地にされてしまった、あの場所だ。次の1970年代の地形図では、もう印はない。

高等学校の南隣、3番地地区の第8師団は…ない!
そのほか周囲の軍事施設は、何もないことになっている。

小さいが、画面の右下縮尺の上の地形図の出典を示した枠に注目。下段に「戦時改描の可能性」と出ている。
戦時改描とは、敵の攻撃を避けるため、地図上から重要な施設を消したり、ほかのものに描き換えたりすること。
太平洋戦争末期になると、地図の発行そのものがなくなったが、それ以前は、そのような形で流通していたそうだ。対象の地図には、枠外の価格欄にカッコが付くなど識別できるようになっていて、おそらくそれを元に「~可能性」表示を出している。具体的にどこが改描されたのかは分からないが、弘前のこれらは違いないだろう。

改描された第8師団はいくつかの建物があるように描かれているが、桔梗野や松原のものは、斜線の総描建物があることになっている。集落に偽装したのか。
左は薄い1912年に、1939年を重ねたもの
文京小の監獄だったところ、四中の砲兵営の建物があった場所には斜線。実業高の歩兵営のところには、1912年とは無関係に道ができて、行き止まり付近に斜線。やはり集落か。
秋田市でも、油田や製油所では改描されたのかもしれないが、終戦前夜に空襲を受けた。お見通しだったのか。

知らない昔のことは想像するしかないけれど、その手助けになる貴重な資料を見ることができた。
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弘南バス2020.11

2020-12-10 22:59:42 | 津軽のいろいろ
11月の弘前の続き。今回は弘南バスについて(前回は2020年正月)。

●弘前ナンバー
貸切車両を秋田で目撃できた、今年5月に始まった弘前ナンバー。弘南バスでは、既存の青森ナンバーの車のうち、一部を希望ナンバーで同番の弘前ナンバーに替えた。
この時は、土手町循環100円バス運用に就く中型バス(一般路線にも入ることがある)を3台目撃したが、どれも弘前ナンバー。うち2台は前からあった車で、中古車と購入直後に乗車できた新車で買った「1043(52804-2号車)」。
ちなみに、その翌年に新車で買った「1091(52907-2号車)」に一般路線で乗車したが、それは青森ナンバーのままだった。

あとの1台は新顔。
この土手町循環100円バスも弘前ナンバー
「11402-2」号車だから、2002年製のいすゞエルガミオ。ワンステップか。
今年夏頃、京都市交通局(京都市営バス)から3台来たとのこと。京都市営の中古車はあまり流通しなかったそうだが、最近は秋田県の秋北バスにも来ている。

3台は「弘前210あ」の5~7。連番の希望でないナンバーかと思いかけたが、「弘前200」でなく210だから、これも希望番号なんだろうか。
「6」は11401-2号車、「5」は11302-2号車とのことで、5だけ1年古い2013【12月23日訂正】2001年製。
その「5」は、
一般路線の相馬線に入っていた
【11日追記】7には、行き先表示右に車椅子マークがあるのに、5にはない。


「弘前210あ1」について

●相馬線りんご公園経由弘前駅行きの表示
正月の記事の通り、2019年10月から、相馬線の昼間の便が、弘前市りんご公園の中に乗り入れるようになった。それに伴い、LEDの行き先表示が、細かい経由地と英語が入るものになった。※中型車のみ確認。幕式や小型車のLEDは未確認。
(再掲)下り相馬庁舎行きの表示
今回は、相馬発弘前駅行き上り便の表示を見られた。
表示器とフロントガラスの間、向かって右の取っ手が取れている
「りんご公園・市役所経由 弘前駅」「JR Hirosaki Sta. Via Hirosaki City Hall」
帰りの足として使われる便だろうし、駅行き以外はないから誤乗の可能性も低く、観光客だとしても迷う人は少なそうだから、問題はないかな。
「弘前公園」のほうが観光客向けだけど、下り同様「市役所」を表記、バス停名は「市役所前・公園入口」だっけ。
英語で「JR」を入れたのは、弘南鉄道中央弘前駅と誤解させたないためか。「Apple Park」は略。
【11日追記】終点到着時でこの表示だったから、進行に合わせて途中で表示内容が切り替わる方式でなく、始発から終点まで同じ表示なことになる。


●唯一のエルガに遭遇
乗ることはできなかったものの、やっと見ることができた車。
大型バスのいすゞエルガ!
今や弘前市内ではただ1台となった、路線バス用大型バス。※もう1台あるのは、中型ロングなので、純粋な大型ではない。
現時点では、弘南バス全体でもエルガはこれ1台のはず。【11日念のため補足】上の弘前ナンバーのよく似たバスは、大型より少し小さい「中型バス」で、車種は「エルガミオ」。

かつては、1989年製の横浜市交通局中古の大型車が3台あったのが、2018年に廃車。(あと冬ダイヤ時だけ稼働するとかいう、富士重工ボディのいすゞ車「10407-2」もあったけど、それは?)
代わりに、東武バスから中型ロングの日野レインボーHR1台と、西武バスからこのエルガが来た。
ワンステで背が高い分、ノンステよりほっそり見えるかな
青森200か1182、11301-2号車。上の京都市営中古の11302-2と1番違いだから、2013【12月23日訂正】2001年製。2013【12月23日訂正】2001年の弘南バスでは、貸切・高速含めていすゞの車を1台も新車で買っていなかったことを意味する。

大型車は、平日の弘前大学附属学校のスクールバスに使うのが主用途で、その間合い・入出庫を兼ねて、富田大通り経由の小栗山線と学園町線で営業運行するらしい【11日補足・単なる間合いということでもなく、沿線には実業高校や聖愛高校もあるので、輸送力を期待してあえて大型を営業運行させる意味もあるのでしょう】。
横浜市営バスの中古車は、休日に、枯木平線、岩木山春山スキーバスや、土手町循環100円バスに入ることもまれにあった。
後継の2台は、中型ロングのほうは、土手町循環やさくらまつりシャトルバスに入った目撃情報がネットにあるが、エルガのほうはなし。

この時は平日、昼前後に2度目撃。
おそらく土日は運休になるダイヤで、11時頃に弘前営業所から小栗山線で駅まで運行した後、ヒロロのほうへ回送(営業所へ戻った?)。
13時過ぎには、再び弘前駅前にいて、学園町行きの表示を出して待機中だった。

無精して遠くから側面を撮影
中ドアは、当時の首都圏では多かったであろう、折り戸×2組のワイドドア。秋田中央交通に来た中古車では、片側を固定して、デッドスペースになっていた。
弘南バスは中ドアを使わないのだから、さらに無意味な場所になってしまっている。昔は板を敷いて座席を設置した車もあったっけ?
そんな折り戸のガラス部分にも、車体から連続した装飾や「KONAN BUS」の文字が入っている。

運用が限定される車ながら、車体外側に広告は入っている。左右に1つずつ、後部に3つ。
お尻にふさわしい広告?
後部には行き先表示器なし。側面はいちばん前の窓に設置。


●新型コロナウイルス感染症対策
弘南バスでは一般路線バスでも、車内にアルコール消毒液が備えてあった。運転席背後にプッシュ式ボトルがあった。
高速バスや貸切バスでは、設置している事業者が多いと聞くが、路線では珍しいのでは。使っている人は見なかったけど(マスクして、ベタベタ触らずしゃべらず、降車後に手を洗えば問題ないでしょう)。

11月14日付陸奥新報サイトに「弘南バスが全車両に抗ウイルス加工」があった。
青森県の補助金を使い、全車両290台(うち路線は199台)に「太陽光(紫外線)などの光を照射しなくてもウイルスや菌などを不活性化させる「無光触媒」を車内全体に噴霧し、コーティング加工する。」という。
作業は12月末までかかるそうだし、乗っても分からないだろうし、個人的には、ナントカ触媒の効果(持続期間やはがれ落ちたりしないか等も含めて)がよく分からないから、なんとも言えないけど。

じゃあ、他社は、具体的にどういう対策をやっているのだろうか。
例えば秋田中央交通は、「空調で換気されるので、窓開けは必ずしも不要」という日本バス協会のポスターと、「待機時等に窓を開けて換気しています」という自社の掲示両方を掲出し、しかもそんなに開けて換気しているようには見えない。消毒液はないし、どのような車内消毒をしているのかは聞こえてこない。
もっと公開してくれれば、バスへの、公共交通への安心感も増すはずだけど。

今回の弘前訪問の街の記事はここまで。食べ物の話題が多少続くかもしれません。
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弘前大・弘前駅 2020.11

2020-12-04 23:58:52 | 津軽のいろいろ
弘前の続き。弘前大学と弘前駅の風景。

弘前大学文京町地区の正門側の1番地。時間の都合で3番地側はバスで通っただけに終わった。
正門
門入ってすぐの左側は、かつての教養部→共通教育棟、今は総合教育棟。その北側の中央部分が覆われて工事中だった。
25年前は、たしかこの部分が、いちばんボロっちい講義室だった。階段教室ではないが固定式の席で、音響設備なし。そこの1階の講義室【5日追記・2室ほどあってそのどちらかだったと思う】で、大学に入って最初のオリエンテーション、数日後には大学最初の講義(=選択した結果、偶然この部屋の科目だった)を受けた。【5日追記・テレビなどもなく、昭和30~40年代の雰囲気が漂うような部屋だった。裏側は中庭の掲示板の裏面に面していたはず。】
今では、中廊下で学生ホールや教員免許状更新講習支援室、男女共同参画推進室が入っているようだから、改装されたのかな。

外観は、国立大学法人化前後に、一括でリニューアルされているが、10年以上経つから手直しの工事か。
3番地の附属遺伝子実験施設も、覆われていた。これは新築されて20年強になる。


文京町地区敷地内の木々は、紅葉でなく黄葉しているものが多く、なかなか美しかった。
文京町3番地地区にはメタセコイアがあるのは知っていたけれど、正門のある1番地側も。
東辺。正門・バス停方向を背に富田大通り
↑向かいのクリーニング屋さんの建物が新しくなっている(ストリートビュー最古の2013年時点ですでに)。取り次ぎでなく、ここで作業をするお店で、旧店舗だった当時は、アイロンなんだろうか水蒸気がよく立ち上っていたものだった。

北辺。旧外国人教師館の裏面

西辺・教育学部裏。背が高い1本だけ常緑樹か


弘前駅。改札内から改札口方向を見ると、
床に何かある?
その前に、改札の外、まっすぐが3月に閉店したびゅうプラザ弘前駅跡。
先日の記事の通り、びゅうプラザはすべてなくなり、東北では県庁所在地駅に代わりのコンシェルジュが設置される。弘前には設置されないわけで、跡地はどうなるか。
【2021年4月3日追記】びゅうプラザ跡に、2021年4月2日【駅ビルアプリーズのサイトによれば4月1日付】に、待合室・観光情報提供の「津軽ラウンジ」とシードルやアップルパイなどの販売・イートインの「BRICK A-FACTORY」ができた。ほかに、改札横の売店が「Petit Appli(プチアプリ)」としてリニューアルし、惣菜なども販売。
【2023年1月9日追記】売店は2022年3月21日閉店。(以上追記)

床面を逆方向(改札口を入った視点)から見ると、
立体的に見える
最近、少し流行っているらしい「錯視サイン」というヤツだ。
2019年1月に京浜急行の羽田空港の駅で、日本の鉄道で初めて採用されて話題になり、いくつかの鉄道会社が追随したようだ。JRで、秋田支社で、弘前駅で、設置されたとは!

上の写真のように、弘前駅の改札口を入ると、左奥へ進みたくなってしまうと思う。1番線へ下りる階段。
1番線へのエスカレーターは左後方へ戻る形、2・3番線へは右へ曲がらないといけなくて分かりづらいので、設置したのか。

前から思っていたのだが、錯視サインは目立つのは確かだけど、目や足の悪い人や、そそっかしい人は、本物の障害物だと勘違いして、足がもつれて転ばないかと心配だった。実際に見ると、近づくと立体感が失われるので、さほど危なくもないのかなと感じた。
【2021年2月20日追記】その後、いつの間にか、秋田駅の改札内にも、同様の表示ができていた。


もう1つ、上の写真の左奥、待合室の入口に「青森りんご」と書かれた箱がある。自動販売機。
右面は青森県の形とリンゴ
これはマスコミやネットで話題になっていた。
販売商品に注目

36枠全部がりんごジュース!

JR東日本ウォータービジネス(2021年春にJR東日本リテールネットに吸収合併予定)のオリジナル商品「acure」の100%ジュースシリーズばかり。
産地(信州もある)、品種、時期で複数商品あるが、この時は、青森りんご(ミックス)、ジョナゴールド、トキ、つがる、きおう、ふじ、それぞれ6枠ずつ。
300円もする「世界一」品種のジュースも数量限定で売られると聞いていたが、売り切れてしまったようだ。
【5日補足・12月5日時点で、秋田駅のacure自販機に入っていたリンゴジュースは、複数台で「ふじ」のみ。土崎駅では確認した3台中1台に「ジョナゴールド」だった。もちろん、各機とも1枠ずつ。】【7日補足・秋田駅自由通路のタッチパネルのイノベーション自販機には、ふじとトキ、土崎駅の残り1台にはふじが入っていた。】

りんごジュースばかりのacure自販機は、2017年に青森駅と新青森駅で設置されていた。
市町村単位では日本一、全国シェア2割のリンゴ生産量を誇る弘前市。
しかもこのacureのリンゴジュースの製造も、現行商品は「JAアオレン」こと青森県農村工業農業協同組合連合会、昔出ていたゼリー飲料はニチロサンパック(現・ゴールドパック)と、いずれも弘前市内の工場のはず。
それなのに、弘前駅には未設置だった。やっと今年2月26日設置。当初は普通の白と水色のボディで、デザインを公募したようだ。

そうそう。少なくとも1995年頃、旧駅舎時代の2・3番線ホーム上にも、リンゴジュースばかりの自販機があった。
たしかアオレンかシャイニー(青森県りんごジュース)どちらかのもので、枠は少なく、小容量PETボトルは一般的でない頃だったので缶のみ。100%のほか、リンゴサイダー(=ということはアオレン?)などもあったはず。

【7日追記】弘前駅の改札内にこんな自販機を置いて売れ行きはどんなもんだろう。改札内に売店はないし、通勤通学客がリンゴジュースをそんなに欲しがらないだろうから、ここに普通の自販機を求める客もいるだろう。むしろ、改札の外の自由通路とか下の観光案内所付近に置いたほうが、鉄道利用者以外の観光客の目に留まって売れそう。

弘前の話は続く
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住吉入口交差点の変化

2020-12-01 21:04:51 | 津軽のいろいろ
弘前の続き。今回は事前情報なく、現地で知ったこと。
中土手町の紀伊國屋書店跡、青森銀行土手町支店跡を見た後、青森県道127号・富田大通りを200メートル歩いて、住吉入口バス停から弘大方面へ向かった。
その風景が、以前と変わって、さらに変わりつつあった。

青銀土手町支店の記事で、その隣の交差点角のビル1階の古着屋が廃業して、空きテナントになっているのは触れた。
その角から弘大方向へ進むと、すぐに小さい信号機付き交差点がある。その間は1人が通るのがやっとの狭い歩道で、そこに薬局や飲食店などいくつかのお店が並んでいた。
住吉入口側・道路向かいから。奥の交差点左が中土手町
改めて見ると、案内標識の先、角の古着屋跡まで細長い1つの建物のようだ。
そして、この時点では、ほとんどがシャッターが下りたり、「貸物件」が出ていたりした。夜の営業でまだ空いていない店もあるかもしれないが、看板というものが見当たらない。

かつてここの1階(上の写真標識から2軒目のはず)に、印象的な店が入っていた。
通るといつも、本格的なスパイスの香りが漂うカレー屋さん。おいしそうだけど、いかにも辛そうな。僕は辛いものは苦手だし、行くことはなかったけど。
その名も「カリ・マハラジャ」。
わりと凝った看板や店構えだったように記憶するが、それももうない。

調べると、カリマハラジャは、2014年5月28日に閉店してしまっていた。店主が急逝された由。
評判がいい店だったようで、ツイッターには今なお惜しむ声がある。マスターが研究した薬膳カレーがメインで、ナンでなくチャパティが添えられ、ラッシーもおいしかったとか。
ネット上には「青森県で唯一『全国おいしいカレー200店』の中に選ばれたお店」 との記載も。じゃあ残り199の顔ぶれは? と思ってネット検索しても、そもそもそんな200選が(その書きこみ以外は)見当たらない。なんだ?
食べログによれば、1992年オープン。

カリ・マハラジャ閉店後は、2016年4月頃にネパールカレーの店が入り、それもなくなって、2019年末頃から居酒屋が入っているらしい。

貸物件があるからには、解体ではないのだろう。と思いつつ、弘大方向へ。道は左へカーブして、また交差点。弘前中央病院、弘前れんが倉庫美術館~土淵川の北方向へ行く道との丁字路。前後の線形から変形交差点やY字路の気がしていたが、交差点そのものは純粋な“T字”路に近い形状。
大通り側は交差点の先が住吉入口バス停。地名は、土手町から山道町、住吉町。※県道の片側は住吉町なので、バス停は「住吉町」でも差し支えないと思うけど…
その交差点が、
沿道ががらんとして工事中

2021年3月25日までで「交差点をひろげています」「交差点改良工事」中。

2013年5月Googleストリートビューより
ストリートビューで、右側、スーパーホテルの駐車場辺りに、かつてはスーパー「マルサン」があった。モーモーの1階とここと、富田大通りだけで2店舗のマルサンがあった。

そういえば、そのほか周りでも、店が閉店したり、建物が解体したり、通るたびに徐々に寂しくなっていた気がしていたが、こういうことだったのか。
交差点角には、津軽三味線の生演奏が見られる居酒屋「あどはだり」があったが、店主が亡くなったため2014年に閉店(その後、2019年にルネスアリーに復活)。そこも更地になって工事中。

反対方向。左が土淵川方向・右が土手町
中央右奥に、新しい電柱(電話柱?)に道路標識が付いたのが立っている。そこが、新しい路肩になるのだろう。右折車線ができて、その他車道・歩道もけっこう広くなりそう。
その更に奥、かなり遠くまで更地になっているように見える。弘南鉄道大鰐線・中央弘前駅方向。おそらくこの工事とは別に、中央弘前駅前の整備や道路建設も計画されているので、その関係か。

下り住吉入口バス停から
南側でも空き地があるが、この時点では工事はしていなかった。片側だけ広げるのだろうか。

在住当時はよく歩いて通った道だが、最近はせいぜいバスで通過するだけ。気を抜いているうちに光景がだいぶ変わってしまい、さらに変わりそう。ここは、特に弘大→土手町方向で、いつも渋滞気味だけど、ここピンポイントだからあまり効果はないかな。

この交差点の信号機は、大通り側が時差式。だから「時差式信号」の表示板が付いている。
交差点の形状のため、うち2台の信号機は、前方に突き出すタイプのアームだが、それには、信号機本体の左側に、表示板を直付けしている。秋田でも数十年前の横型信号機時代は、直付け表示板が見られたが、今はない。ここも手書き文字だから、以前の縦型電球式時代の使い回しっぽい(秋田では縦型に直付けはないかも)。
さらに、時差式動作するはずがない、丁字路の突き当り側にも(突き出し設置直付けで)その表示板が設置されている。大通り側の片面だけ見て、見切り発進するのを防ぐためだろうか。
土手町側から。左の裏向きの信号機が突き当り向き

見通しが悪い交差点での工事中ながら、誘導が上手なのか、さほど渋滞せず。もうちょっと見学したかったのだけど、ほぼ定刻でバスが来てしまったので、住吉入口を後にした。
弘前の話は続く
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弘大裏の変電所跡の跡

2020-11-25 23:54:31 | 津軽のいろいろ
弘前シリーズ。引き続き、弘前大学文京町地区周辺。
気になっていたことその2は、ネットで知ったことの現地確認。

場所の説明(下の航空写真も参照ください)。文京町地区のキャンパスは、正門のある東辺が、富田大通りこと青森県道127号線に面する。
裏の西側には狭い市道があり、さらに西に弘南鉄道大鰐線、そして土淵川が南北に通る。
キャンパス中央は東西の市道で区切られ、正門のある北側が文京町1番地、南側が3番地。学生はあまり使わないと思うが、(少なくとも20年前の)大学当局側は施設管理などの際に「文京町○番地地区」と呼称する場合があった。
1・3番地を分ける市道を西へ進むと、弘南鉄道西ヶ丘踏切を越えて「寒沢スキー場」。
3番地地区の西側では、大学敷地と市道の間に家が並んで面していないが、そこは何度もカーブする「バカヤローカーブ」。

3番地側のバカヤローカーブと線路の間には、行き止まりの道や砂利道しかないはず。
一方、1番地(西側だから教育学部)側では、その市道と線路の間に、もう1本、細い市道が並行している。つまり、大学側から行くと、西ヶ丘踏切の手前で、右(北)へ曲がる道がある。地名も富士見町に変わる。
その道沿いのお話。
Googleマップ航空写真に加筆。赤い★の場所のこと
その道は、大学裏の道と幅はあまり違わないが、車の通行はずっと少ない、生活道路。
僕は、学部と家の方角・ルート的に遠回りになる(しかも、ここを通る=バカヤローカーブを通ることになる)ため、あまり通ったことはなく、なじみは薄い道。
ただ、まれに通ると、印象的な場所があった。
低い塀と門で閉ざされた、樹木がうっそうと茂る土地。
南から
↑↓2枚は、2019年10月撮影Googleストリートビューより。
北寄りにある大きな門。ほかにも小さい門があった
路上から見る限り、道路に面した南北方向も、奥行きの東西方向も長く、広い土地だった。航空写真でざっと比べると、弘大3番地の多目的グラウンドと同じくらい。後述の保存樹林の説明板には「約1ヘクタール」とあった。
Google航空写真でズーム
道路から大きい門をのぞくと、樹木の奥にレンガ造りの建物も見えた。航空写真でもちらりと屋根が見える。
表示などはなく無人のようで、空いたお屋敷の跡か何かかと思っていた(後述の保存樹の表示はあったはずだけど)。


その後、ネットでわずかに情報があり(もしかしたら在学中の「学園だより」にも載っていたか??)、正体を知った。
大正末に造られた、私設の変電所の跡。

造ったのは、前回も登場した、酒造会社経営者(でいいのかな?)・福島藤助。
旧相馬村エリアの紙漉沢という所に水力発電所も造り、この変電所で降圧して、吉野町の醸造所で使ったということのようだ。
いつからか変電所は使われなくなり、醸造所は美術館になったが、発電所は今も現役で、吉井酒造が運営しているらしい。

敷地内の木々は、ソメイヨシノ。1991年に弘前市の「保存樹林」第六号に指定されていた。剪定されない、自然のままの樹形が特徴。花の時期に通ったことはなかったはず。
近年は、吉井酒造(の経営者個人?)の所有だったようで、「富士見町吉井氏所有叢林」として登録。

変電所やその跡としての名称は、一定していないようだ。ネット上では、頭に「旧」や末尾に「跡」を付けた上で、「福島醸造変電所(稼働当初の所有者?)」や「吉井酒造変電所(末期の所有者?)」と呼ばれている。
変電所がいつまで稼働したかは不明。かつてはレンガの建物がほかにも建っていたとの情報があった。
国土地理院のサイトで、1975年の航空写真を見ると、木が小さく、緑の地面が多く見えていた。ソメイヨシノの寿命は長くないから、稼働当初からあったのではなく、後年植えられ、この30~40年で繁茂したということか。
※1939年の地形図には記載されていた。1970年代の地形図では地図記号なし。この記事後半で少々。

非公開だけでなく、存在自体が大々的には公表されない、知る人ぞ知る場所であった。
しかし、2014年のJR東日本「駅からハイキング」では、「変電所跡」としてコースに組み入れられていた(敷地内に入れたのかは不明)。注目されるようになったのかなと思った。
産業遺産であり、緑豊かな空間でもある。この付近には公園(児童公園・街区公園)は少ないはずだし、整備して開放すれば、住民の憩いの場になるのにと考えていた。
弘前駅裏の長四郎公園がそうだと思うが、大規模な「近隣公園」にしてもいいかと思ったら、国は2ヘクタールを標準とすることとしていたから、足りない。街区公園としては充分な広さ。


ところが、今年8月頃、ネット上でここに関する新たな動きを知ったので、現地へ。
南から。奥の工事は無関係
見覚えがあるのは塀だけ。
樹木もれんがの建物も、すっかりなくなって、更地になってしまっていた!
地元の不動産業者名の「管理地」の看板が立っていた。ちなみに、マルサンビル解体の発注主の不動産屋とは別。


保存樹の指定解除は、難しいことではないようだ。秋田市では、旭北寺町の大ケヤキが道路建設という理由で解除・伐採された事例がある。
7月2日に開催された「弘前市みどりの審議会」会議録が、弘前市サイトに掲載されている。会長は弘大農学生命科学部の元先生(現・名誉教授)だ。
それを見ると、「所有者の手入れがままならない」「弘南鉄道線路上へ枝が張り出すので、毎年刈払いをしている」「近隣住民からも、強風時など不安という声」と、所有者による管理が手に負えなくなり、「特別の理由」で指定解除された。
近年は、てんぐ巣病や、木が大きくなって競合も起きていて、剪定もしていたという。弘前市役所側では、土地の買い取りを考えたものの、金銭的に実現できないとの結論。
伐採作業は8月頃。会議録がネットに上がっているのだから、マスコミも知り得ることだが、報道はされたのだろうか。

個人所有の木や建造物が、その持ち主の負担ならば、壊したり手放したりするのはやむを得ないだろう。古いものを大切にする弘前にあっても、それは避けられない。2016年には、松原東にあった、旧・陸軍第八師団のレンガ造りの「覆馬場」の建物を使っていた生協のスーパーが、解体されている(この記事参照)。
でも、勝手な意見として、ここの場合、もう少し残すための努力ができたようにも思う。もっと早い段階で、市に伝わったり、マスコミやネットで広まっていれば、残す道があったかもしれない。今はふるさと納税とかクラウドファンディングとかもある。
吉野町の倉庫はきれいになって注目されているのに、遠くない場所にある同じ起源を持つ場所が、ひっそりとなくなってしまったというのは、少々やるせない。

更地になったから、西側の視界は開けた。
ここからも岩木山がよく見えるようになった
昔の寒沢スキー場の記事(冒頭にリンクあり)で取り上げたように、この辺りの地形は、土淵川を底にした坂で、寒沢スキー場もその1つ。
変電所跡では、西辺が線路に向かった崖状になっているようだ。線路向こうも家が建っているはずで、弘南鉄道の車内からでないと、見ることはできないと思うが、意識して見たことがない。
上の写真では、線路の架線がかろうじて見えているようだから、崖は電車の車高分の高低差がありそう。
その向こうの家並みは、手前が線路向かいの寒沢町、その奥の少し高いのは、土淵川対岸の桔梗野のはず。
【26日補足】そういう地形的なこともあって、ここが「富士見町」で、実際に津軽富士がよく見えるわけだ。

“変電所跡の跡”はどうなるのだろう。
店舗には不向きな場所。学生向けアパートなら最適だろうけど、広すぎる? この辺では珍しい新しい宅地も、市街地回帰でいいかも?
でも、やっぱり公園? 眺めが良さそうだけど、向こうの家の中が見えちゃうか。
弘前大学さんが買って、何か施設(体育施設とか)を建てつつ、一般に開放するなんてのもいいかもしれませんよ。

【2021年5月18日追記】ここが建築条件付宅地分譲「サンヒルズ富士見町」として、44区画が分譲されることになった。2021年5月に、不動産会社による特設サイト開設、テレビCMが始まっている。
サイトには「建設した変電所として利用されていた場所でした。その後は林地となり、ソメイヨシノの名所ともなっていました。」などと、発電所跡であることも明示されている。「弘前中心エリアにありながら、これだけの広大な土地が残っているのはとても稀です。」ともあるが、だったら、違う使いみちで残してくれても…
北寄りの崖際には「緑地」もできることになっていて、そこからの眺めはどうなるだろう。→2021年12月の状況

弘前の話題は続く
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焼肉モ~モ~解体直前?

2020-11-23 23:54:09 | 津軽のいろいろ
弘前の続き。今回は、気になっていたことその1・モーモーのその後(前回の記事)。
弘前大学正門のそば、富田3丁目にあり、市民や大学生に親しまれた「焼肉モ~モ~」が、2020年5月10日で閉店した。
同じ建物1階に入っていた、八戸のユニバース運営の小型スーパーマーケット「Uマート弘大前店」も、6月30日で閉店。「建物・設備の老朽化が激しく、同じ場所に建て直すには敷地面積が狭隘」「2020年8月に家主様との建物賃貸借契約が期間満了を迎えるのを機に、やむなく閉店」との説明。
これにより、空き屋になった。

報道により、1986年に建てられたことが判明。今回、新たに青森県の大規模小売店舗一覧資料により、1986年3月18日付新設であることが分かった。
スーパーは、マルサン富田店→(2000年前後)マルエス主婦の店弘大前店→(2008年)Uマートと、3社が入った。

ネット上の写真を拝見すると、10月29日頃には、Uマートの看板類はなく、正面のモ~モ~の赤い看板は残っていた。建物前にロープが張られ、正面玄関には、大きな「立入り禁止」の赤い看板が立てられていた。それから半月ちょっとしての訪問。
看板が撤去され、足場が組まれている!(左が東・弘大方向、右手前が北・土手町方向)
2階の半分ほどに足場がなかったから、まだ設置途中なんだろうか。
例の「立入り禁止」は少し移動していた。他に2枚くらい同一看板あり

スーパー正面玄関。ここからはモーモーへは上がれないはず
正面玄関前だけ、床がタイル張りになっていた。

向かって左面・弘大側。軒下はアスファルトの駐輪場
上写真左奥も玄関で、そこに2階への階段があった。
奥にも「立入り禁止」が見えるが、隣の「酒ショップ サン」と駐車場を共用しているので、この位置から規制のようだ。

弘大・共用駐車場側から(上写真と同じ面)。手前右の白いのはUマートの看板だった
白い看板の下に、工事の現場事務所があり、表示が出ている。前まで立ち入れるので拝見。
「工事名 マルサンビル(Uマート)解体工事」
状況を踏まえれば予想できたが、解体されることが確定。解体工事は、地元の不動産業者発注のようだ。工事期間(労災保険の表示より)は10月1日から2021年3月31日まで。
驚いたのは、建物名は今なお「マルサンビル」ってことなんだろうか。
何度も言っているけれど、弘前市内には複数のマルサンがあったが、いつの間にかなくなった。そして、秋田駅前広小路にあったマルサンとも関係がありそうなのだが、よく分からない。

西面の裏道へ回ってみる。これまで数度しか通ったことがない。
この辺りから壊すのかも

「焼肉モ~モ~」の痕跡はすべてなくなってしまったかと、表へ戻って酒ショップサンを越えて、弘大側へ行くと…
駐車場の看板が残っていた! 縦書きモ~モ~は貴重かも?
こちら側は月極駐車場の一角を、モ~モ~用にしていたらしい。
1台ごとの札も残り、焼肉なしの「モ~モ~」
今は誰も駐めないということか。

北面。こちらの軒下には、空調の室外機や受電設備(キュービクル)が置かれていたが、台座を残してすでに撤去済み。
向こうに岩木山。道路の先は弘高下駅
岩木山は、昔は見えなかったはず。今は右折レーンがあるが、昔はなくて道が狭く、家が建てこんでいたので(2013~2014年の間に拡幅、家屋解体はそれ以前)。
【2021年8月29日追記】前回のマルエス当時の写真の隅に、右折レーン設置前の角地が写りこんでいた。
(再掲)右奥
古い商家風の建物で「成田米」と看板があり、米屋さんだったようだ。なんとなく記憶にあるようなないような。(以上追記)

次にここへ来る時は、建物はなくなっていることだろう。
跡はどうなるのか。スーパーとしては駐車場も考慮すると手狭なようだけど、場所は悪くないはず。


最後に、再び裏面。
手前の建物は赤れんが
上記のように、マルサンビルと酒ショップサンは、駐車場を共用し境界が明確でない【下の追記参照】。さらに、その隣(=弘大のお隣)にある酒造会社「弘前銘醸」も、渾然一体となっている。所有者がどうなのかは知らないが。

れんがの建物は、同社の倉庫で、弘前市の「趣のある建物」に「弘前銘醸煉瓦倉庫」として指定。
今は4棟が倉庫として使われるが、元は大正7年に8棟が酒蔵として造られたとのこと。
【24日追記】1986年より前の航空写真を見ると、マルサンビルの部分に、現存する倉庫とそろった位置(サイズはまちまち)に同じような倉庫らしき建物が、3棟ほど確認できた。サンや駐車場の辺りにも、建物があった。したがって、少なくとも元は弘前銘醸の土地で、倉庫などを解体してマルサンビルやサンができたようだ。

【12月7日「酒ショップ サン」について追記】酒ショップ サンは、弘前銘醸が運営する店舗だった。
同社公式ページに「自社商品としてのお酒のプロデュースや氷の製造販売、日本酒、ビール、ウィスキー、ワイン、焼酎など様々なブランドのお酒を販売する実店舗「酒ショップ・サン」を擁し」とあり、1994年6月オープンとのこと。
ジョッパル(ダイエー弘前店、元ヒロロ)より3か月後にできたのか。もう少し古い店だと思いこんでいた。
【2021年11月22日追記】酒ショップ・サンは、2021年11月22日にリニューアル。角打ちもできる「弘前銘醸 ハチドリ酒店」となった。末尾にリンクのある2021年12月の記事参照。


弘前市内でれんがといえば、土手町や中央弘前駅そば、吉野町の(過去の記事)「旧吉井酒造煉瓦倉庫」。これは、駅前に本社がある吉井酒造のものが、市へ譲渡されたようだ。今年「弘前れんが倉庫美術館」としてオープンしたのだけど、今回は行っていません。
吉井酒造と弘前銘醸は直接関係ないが、元をたどれば、どちらも福島藤助という人が関わった事業の流れをくんでいるようだ。

そして、弘前大学文京町地区の裏側にも、醸造に関わる、れんが造りの建物がひっそりとたたずんでいたのだが、それにひっそりと大きな変化が生じてしまっていたのだった。続く


【2021年1月26日追記】マルサンビル跡地について、2021年1月26日に東奥日報サイトに「スーパー跡地に「メガ」出店へ/弘前市富田」が掲載。紅屋商事が、ドラッグストア「メガ富田店」を9月8日に新設(開店予定日)する届けを青森県に出したとのこと。メガは弘前市内3店舗だが、この辺りにはなかった。
紅屋ならスーパー形態で出店してくれたほうが喜ばれたようにも思うが、最近はスーパーよりドラッグストアなんだろうか。ただ、メガは、比較的食品も多く扱ってはいる。
余談だが、秋田市にも3店舗となるメガが、昨2020年に新国道沿いに開店している。
東奥日報サイトの写真では、建物は2階の高さまで囲われた状態で外観は見えず、更地にはなっていない。交差点の信号機は歩車ともLED式に交換されていて、車両用は横型低コストタイプ。
【2021年9月17日追記】メガ富田店は9月17日にオープンした。

2021年12月の状況
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弘前2020.11

2020-11-21 23:35:58 | 津軽のいろいろ
秋田県北部まで行くついでがあったので、時間を工面して思い切って弘前へ。
昨今の状況への配慮とスケジュール上、2時間ちょっとの滞在であったが、弘前も秋田県外も、今年の正月以来。

インターネットで得た情報によれば、2020年も(2020年だからこそ?)、弘前にはいくつかの変化が生じていた。
弘前駅~弘前大学近辺だけでもいくつかあるので、本数が多い富田大通り経由のバスを駆使して、2時間で上手く回ることができたので、何度かに分けて記事にします。
まずは、変わらぬ光景。
弘前大学文京町地区裏手・弘南鉄道大鰐線「西ヶ丘踏切」から西方向、いわゆる“寒沢スキー場
曇り空に、岩木山がくっきりとそびえていた。
踏切向こう側から

わずかに雪がある
【2021年10月8日追記・この1年弱後、2021年10月初めまでに、踏切向こう側の複数の建物が解体されて更地になってしまったらしい。訪問したら記事にします。】

唯一、想定外だったのは、今週(18日)、イトーヨーカドー弘前店がリニューアルオープンしていたこと。リニューアルは知っていたが、今、開店だったとは。外はそうでもないので入店すると、中はけっこうな混雑だった。
17年ぶり(前は2003年か)のリニューアルで、無印良品、ロフト、アカチャンホンポの弘前初進出【無印は再進出。下の追記参照】が目玉。無印は五所川原エルムにはあるが、弘前にはなかったようだ。
【12月16日訂正】弘前市街地には、以前無印良品があって、撤退していた。今回が再進出となる。弘前に住んでいた頃に存在したことになるのだが、記憶にありません。
11月27日の弘前経済新聞サイトの広告企画「【無印良品】20年ぶりの弘前再出店 青森県内最大規模」よれば、「「無印良品」が弘前に初めて出店したのは、1987(昭和62)年。百石町の交差点近くに「無印良品 松木屋弘前ショップ」として開業しました。」。
その後2000年に閉店、建物は現存しない。
ヨーカドーの新しい店は、「自分で詰める水」給水器や冷凍食品もあり売場面積380坪で「東北エリアでも最大規模」。(以上追記)

アカチャンホンポは5階。他は1階で、ロフトは駅寄り・宝くじ売り場側から入った、前はくつやかばん売り場(一部テナント?)、化粧品売り場(2階へ移転)だった辺り。
無印良品は、北西角・並木通りとの交差点角の入口を入ってすぐ、1990年代後半に増築された部分、前はファッション関係のテナントだった所のようだ。

地下食品売り場は、全体的にきれいになっていた。イオンスタイル茨島みたいな今風に。
インストアベーカリーができて、イオンと同型のセルフレジもあった(レシート印字が筋だらけだったから、前からあったのかも。1月時点ではなかった)
気になったのは、工藤パンの菓子パンの扱いがだいぶ減ったように感じられたこと。昔はあったフレッシュランチやクリームパンはなく、イギリストーストも4種類くらいになってしまっていた。

イトーヨーカドー弘前店については、セブン&アイグループの経営状態もあって、閉店するかもという漠然とした予感がなくもなかった。
でも、このリニューアルを見れば、当面は安泰でしょう。イトーヨーカドーがなくなり、アカチャンホンポはない秋田は…

その他、2階にABCマート(早稲田地区に弘前城東店あり)ができたり、フードコートが拡大。
なお、イトーヨーカドーの地下(バスターミナル部分の下)にあったJTB弘前イトーヨーカドー店は、2019年10月に、近くに移転して「JTB弘前ヒロロ店」に。跡がどうなったか不明。
1階の道路に面した風除室みたいな所にある、細長いイタリアン・トマト カフェジュニアは先に閉店。6月に地元材料で作るパンケーキ専門店が入った。弘前駅前に複数あったイタトマも、今はヒロロ1階だけになった。秋田駅前には1つもない


その他。今回は以前の続き。
弘前駅前の、そうであることに気付かない人が多い、2つの押しボタン式信号
こんなに大きく「押ボタン信号」とあっても気付かない人は気付かない
正月と変わりはなく、相変わらず、両側で1度に計3人が、押さずに突っ立って待っている場面もあった。
すぐ前が、弘前警察署弘前駅前交番。
手作り表示が色あせてしまった(日当たりによるようで、あせていないものも)
交番の左隣、上の写真で手前側には、以前からだったと思うが、季節によっては農産物の無人販売が置かれる。こんな街中・駅前にあるのは珍しい。
この時は、複数品種のリンゴや野菜のほか、袋に入ってもいい香りを放つマルメロなどもあった。
隣が交番で、売るほうとしては心強そう。ただ、場所代込みなのか、無人販売にしては若干お高い気もした。


中土手町の弘前パークホテル1階、2019年5月に閉店した紀伊國屋書店弘前店の跡。これも正月とほぼ変わらず。帰ってから気付いたが、正月は出入口扉前の格子のシャッターが下りていたのが、今は上がっていた。ということは、ガラスの扉の前までは立ち入ることができてしまう。雨宿りに使えそうだけど、その意図は?
向かいが紀伊國屋書店跡
紀伊國屋書店の向かいには、青森銀行土手町支店があった。

ところが、今年3月16日に、支店内支店として弘前支店(弘前公園近くの「青森銀行前」バス停の指す店)内に吸収されてしまった。
今は店は空き店舗になり、ATMコーナーは「土手町出張所」として稼働しているので「青森銀行」の看板は残る。土手町循環100円バス(一般路線バスは乗降扱わず)の「青銀土手町支店」はそのまま。
左が富田大通り、奥が弘前公園方向
旧土手町支店は、角から2軒目。角の店の1階はシャッターが下りて「貸物件」。以前はにぎやかな雰囲気の服屋だったような…
2020年1月27日付「弘前経済新聞」によれば、古着店「ガレージパラダイス」で1月31日閉店。2005年オープンで、その前は短期間携帯ショップ、その前は和菓子店「おきな屋」の支店だったとのこと。
土手町も寂しくはなっている。また、ここから住吉入口にかけても変化していた。

続く。
【24日補足】今回は、 弘前駅前(土手町循環100円バス)青銀土手町支店(徒歩)住吉入口(富田大通り経由安原行き)三中校前(徒歩)寒沢スキー場~教育学部裏~弘前大学前(富田大通り経由駅行き)弘前バスターミナル前 の行程で移動しましたが、適宜入れ替えて記事にします。
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弘前ナンバー

2020-11-12 23:37:37 | 津軽のいろいろ
秋田にいながら弘前の話。
10日ほど前、雨上がりの日暮れ迫る秋田市の二丁目橋交差点。※そのため写真はブレています。
弘南バスの貸切バスが2台!

新型コロナウイルス感染症流行のため、秋田県外の貸切バス(観光バス)はとんと見なくなっていた。
おそらく何か月ぶりかで、県外の貸切車に遭遇したかも。それが弘南バスだった。
交通量が多く一瞬で、詳細はよく分からなかった。横手市で種苗交換会が開催中だったし、進んでいった方向からして、日帰り見学ツアーとか?

この2台とも、ナンバープレートが白っぽい。下半分はピンクがかっている。
下は桜、上は岩木山と弘前城天守が描かれているのだが、よく見えず
今年5月から交付が始まった「弘前ナンバー」の「図柄入り(カラー版)」だ!
話には聞いていたが初めて見た。秋田で見られるとは。

弘前ナンバーは、青森県内初のご当地ナンバープレート(正式名:新たな地域名表示ナンバープレート)。
弘前市と西目屋村の車が対象【13日補足・新規登録車が対象で、以前からある車は「青森」ナンバーのままでよい】。図柄なし、図柄モノトーン、図柄カラーの3種類がある。
後ろの車 ※早めのライト点灯が偉い。中央交通も一般車も見習え
2台は日野セレガ。弘前ナンバーは、前の車が「676」、後ろが「12-?2」と飛んでいる。
弘南バスでは、以前から保有している、青森ナンバーのバスのうち何台かを、希望ナンバー制度を使って、青森ナンバー時代と同番の弘前ナンバーに付け替えたそうだ。ネットの情報によれば、貸切車のほか、高速専用車、一般路線車いずれにも、何台かある。
今回の2台。676は、青森ナンバーで「か676」だった「52302-2」号車。2011年の車。
もう1台はおそらく「か12-02」の「53103-3」か。昨2019年に買ったばかりになるが「-3」だと五所川原営業所配置。表記を確認できなかったが、弘前に転属したのか?


そのほか、弘前大学農学生命科学部から譲渡された1980年製のバスは、「か917」から「あ555」に変更。社番の「55501-2」号車に掛けたのだろう(555で日野・昭和55年製を意味している)。
一方、5月以降の導入車(で弘前市内配置ということでしょう)は、カラー図柄で、希望でない【12月10日訂正・「弘前210」なのでやはり希望番号なのかも】通しナンバー。一般路線車で、京都市営バスの中古(エルガミオ)が来て、それは「5」~「7」のようだ。

弘南バスでは、今後も、弘前市内に配置する車はカラー図柄ナンバーにするのだろうか。
図柄なしナンバーと比べて、1台当たり1万2千800円(カラーにするのに必要な寄付金を最低額の1千円として)は余計にかかるみたいで、負担になるのでは。ただ、寄付金は「公共交通サービスの改善や観光振興等に関する事業に活用」するそうで、自分に戻ってくる形になる場合もあり得るかも。

その後、弘前での状況
後に秋田へ来た、別の貸切車

秋田でも絵入りご当地ナンバープレートが登場し、バスに付けられた
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冷夏のエッセルスーパーカップ'98

2020-09-16 00:29:39 | 津軽のいろいろ
低価格のカップ入りアイス(種類別ではラクトアイス)に「明治エッセルスーパーカップ」がある。発売元は2011年まで明治乳業、現在は明治。基本の味は「超バニラ」。
1994年発売開始だそうで、25年超の歴史と人気。
2020年の明治エッセルスーパーカップ 超バニラ
1994年以前には「明治エッセル(以下、元祖エッセル)」というのがあり、それがリニューアルされた。
元祖エッセルは、少し容量が少ない150mlで、フタに濃い青に白抜きで「ESSEL」と書かれていたのと、味は忘れたが食べた記憶はある。スーパーカップになった初期の容器も、現在より青が多く、ESSELと英字表記だったようだが、当時は、元祖エッセルがリニューアルされてスーパーカップになったという認識はなかった。まったくの新商品のように感じていた。
元祖エッセルは1984年発売で、チョコ味やイチゴ味もあったそうだ。
なお、Wikipediaには元祖エッセルが1991年発売との記述がある。また、明治の公式サイトでも、一見すると同じように受け取ってしまいそうな図と書き方。正しくは、「後にエッセルスーパーカップと名付けられる、初代エッセルのリニューアルプロジェクトが始動したのが1991年」ということだと思われる。

【16日一部書き換え】1990年代中~後期にエッセルスーパーカップと同じ頃にヒットし今も発売され、個人的にも好きなラクトアイスとしては、ロッテ「爽」もある。これは1999年発売で5年ほど後だった。ロッテは昔は「イタリアーノ」というのがあったが、1990年代中頃にはなくなっていたかも。


エッセルスーパーカップを食べると、1998年・大学4年の夏を思い出す。
当時は、1996年に改称・リニューアルされた森永「チョコモナカジャンボ」も人気だったようだが、僕はアイスモナカは進んでは食べない。モナカが食べたいのではなく、アイスを食べたいので…【28日追記・ただし、チョコモナカジャンボは年々改良され、2020年時点のものはなかなかおいしいとも思う。モナカのアイス版でなく「アイスチョコモナカ」という食べ物ととらえれば、悪くないレベルになった。】
爽は翌春発売だからまだなく、他社も含めて他のカップ入りアイスも記憶がなく、ほぼエッセルスーパーカップしかなかったような気がする。それだけヒット商品だったということもあろう。
当時のパッケージは2代目(1996~2000年)で、初代よりは現在に近いデザインになったが、今見ると「青い」と感じる。※「明治エッセル 歴史」等で検索すると、画像があります。

夏休み中も、平日はほぼ連日大学へ行き、帰りに大学生協の売店でエッセルスーパーカップを買って、急いで帰宅し、融け始めたエッセルスーパーカップを食べてひと息つくのが、楽しみだった思い出。その後、5時間遅れの「笑っていいとも!」を見ていたはず。
当時は、(若干制約があったのだけど)いちおう冷凍庫を使える環境にあったのだから、買い置きしておけばいいものを、どうして都度買っていたのかは、覚えていない。

大学生協で買っていた理由は、安かったから。
エッセルスーパーカップの発売当初~2000年前後までのメーカー希望小売価格は税抜100円。当時はフタに「100円」と印刷されていたそうだ。
自宅に近いコンビニのサンクスでは、もちろんほぼ定価、スーパーも多くが90円前後だった。ところが生協はとても安くて、たしか70円前後だったかと思う。
スーパーではダイエー弘前店が最安で、たしかそれよりも少し安い価格で、これは得! と思った。
※2020年では税抜で140円ほど。スーパーでは特売でなければ税込み100円前後か。今でも、全国の大学生協でエッセルスーパーカップの特売をしているという告知がネット上に少しあるが、120円程度のようでスーパーより高い。当時の弘大生協は激安だったのかも。


そんな1998年の夏は暑かった気がしていた。
といっても、それまで3年間は、特に8月はほとんど秋田へ帰っていたから、初めて弘前でひと通り過ごした夏。過去の秋田市の夏と比べても、変わらないレベルだったと思っていた。
弘前の部屋にはエアコンはなく、僕は暑がりだが、前3年間は暑さは気にならなかった(と記憶する)。でも、4年目の夏は我慢ならず、秋田から扇風機を送ってもらって、風呂上がりに重宝した。
エッセルスーパーカップと扇風機が、1998年の暑さを裏付けると思っていたのだが…

ところが、1998年は北日本では冷夏だったという。
米の作況指数は、全国98、青森96、秋田99と、基準値の100をやや下回っていた。青森県のリンゴ生産量には目立った影響はなさそう(台風のほうが影響があるのだろう)。

気象データを調べた。
弘前の8月の平年値(1981~2010年)は、合計降水量132.1mm、日平均気温23.5度、日最高気温28.9度、日最低気温19.1度、日照181.1時間。
1998年8月の月間では、降水231mm、平均気温(の平均)22.0、平均最高26.1、平均最低18.5、日照76.5。
月別の日照時間は、この年内月別では下から4番目で、2月の89.6時間よりも少なく、観測史上(1988~2020年)の8月として歴代最短。
降水量と平均気温(いずれも1976~2020年)では上から8位と下から7位。

日ごとの最高気温は、7月に4日、8月は24日だけ(33.6度)と真夏日5日。ねぷた~お盆の頃は、25度前後が多かった。最低気温は8月9日には12.8度まで下がっている。
その他、前後の年と比べても、データはたしかに涼しく、かつ日が少ない夏だった。よくぞ冷害にならなかったものだ。
なお、1998年の秋田市は、全体に弘前よりは気温が高いものの、8月は気温が低め、雨が多く日照時間は101.1時間(1899年からの長い期間で下から3位)と、やはり冷夏傾向。

4年目の余裕で扇風機が欲しくなったのか、5回の真夏日だけが刻みこまれてしまったのか、記憶とはいい加減なもの。
少なくとも今年の夏よりは涼しかったのは違いなかろう。


でも、たぶん1998年の夏だと思うが、こんな思い出もある。
大学の外にいると、富田大通りのほうから涼しい風が吹いていた。
いっしょにいた指導教官の先生が「ほら、この風」「(太平洋側に吹き付ける)『やませ』が八甲田の山を越えて、津軽まで届いているんだよ」とおっしゃった。
話には聞くやませを、初めて体感して感慨深かった。それも、冷夏気味だからだったのか。


その後、エッセルスーパーカップはパッケージリニューアルが繰り返され、2011年には、紙の外蓋の下に、圧着フィルムの中蓋が付いた。衛生面の対策なのだろうけど、資源の無駄のような。

アイス類は賞味期限を表示しなくてもいいことになっているが、エッセルスーパーカップは2020年6月から賞味期限をカップ裏(底面=缶飲料と同じ位置)に表示していて、その旨外フタにも「おいしさは安心から」と表示している。明治では、エッセルスーパーカップを皮切りに、今後は同社全商品に拡大するそうだが、これもそんなに必要かなと思う。

中身はさほど変わっていないと思う。昔はおいしく食べきっていた大容量200mlは、今もおいしいけれど、歳のせいかちょっと多く感じる場合もあるようになってしまった。後発の「爽」のほうがさっぱりして夏向きで、そちらを好むようにもなった。
先週まで、セブン-イレブンでエッセルスーパーカップのバニラを1つ買うと、「紅茶クッキー」味のスーパーカップを、後日タダでもらえる引き換え券が1枚ずつレシート印字されるキャンペーンをやっていた。実質半額・1個70円になるわけで、久々に買った次第。やっぱり紅茶クッキーよりもバニラがいちばんという感想でした。
【16日補足】「紅茶クッキー」の中蓋フィルムは、バニラのような半透明ではなく、グレーの不透明のフィルムだった。


ついでに、ロッテ「爽」のフタ。容器と一体化した紙のものだが、途中で変更されている。
当初は、天面(の印刷に対して)左下からめくり上げ、容器本体と完全に分離するもの。
いつの頃からか、中央下からめくり上げ、上辺は切れずに本体に残る仕様になった。また、フタの周囲の「枠」部分が以前よりやや広くなった。
これにより、再度フタを閉じられる(当然、密閉はできない)のと、人によっては開けやすくなったのかもしれない。
一方、枠が広くなったため、アイスが入る容器の隅(特に角)にスプーンを到達させたり、縁に口をつけて融けたのを飲むのがやりづらくなってしまった。フタがペラペラ残っているのもジャマ(引きちぎればいいが)だし、一度で食べきる人も多いはず。
ネット上では不評の声が多いし、めくる時に紙が途中でちぎれて上手く開けられないという人もいるらしい(これは経験ない)。
エッセルスーパーカップの中蓋同様、ほんとうに必要なリニューアルだったのか疑問。
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青森市のバスにICカード

2020-09-05 23:55:30 | 津軽のいろいろ
断片的な報道の受け売りで、よそ者が恐縮ですが、新型コロナウイルス感染症と公共交通の話。

8月17日、青森市が、コロナ拡大に伴う追加の経済支援策を発表。
秋に実施し、プレミアム商品券や新生児への給付金など総額50億円規模。

その中に、「市営バスへのキャッシュレス決済導入」もあった。
東奥日報によれば、青森市長は「運賃支払いの際の接触機会を低減するため」で、「素早い運行と(感染防止という)安全安心を両立させるには、(Suicaのような交通系IC)カード式が望ましい」と説明。※カギカッコ内のカッコは報道文ママ。

秋田中央交通では、秋田市に援助してもらって、来春からやっと交通系電子マネー(ICカード乗車券)を導入予定。【6日補足・秋田空港リムジンバスのほか、秋田市が運行主体である市街地循環バスと郊外部の廃止代替路線(中央交通系列以外に委託する路線もあり)にも導入】【12月1日追記・秋田市での導入は1年遅れて2022年春開始予定にんった。】
青森市企業局交通部(青森市営バス)では、磁気式バスカードを1992年から導入していて、IC化の話は出ていなかった。

民間に比べて経済的余裕があるであろう公営事業者のこと、青森市でもいずれはIC化されるとは思っていたが、まさかコロナが理由になるとは!
というか、こじつけのような。
だって、現行の磁気カードだって「キャッシュレス」ではあるし、接触機会は少ないはず。
そもそも、現金払いだって、両替はせず、整理券を取る時(整理券自体にウイルスが付着しているとは考えられない)と支払い時に注意すれば、無接触も可能。
磁気カードが廃止されるとすれば、多くの市民のカード切り替えが必要になり、その手続きの場が「密」になったりするかもしれない。

そんなことよりも、手すりや降車ボタンの消毒や混雑緩和をしたほうが、コロナ対策としては有効ではないだろうか。
路線バスの感染対策に税金を使うと言うならば、消毒する資材や人員の確保、混雑する冬に向けて増便できる態勢を作るとかのほうが、理にかなうような。
時代の流れ、県外客の利便を考えれば、IC化を否定はしないが、こじつけがましいように感じてしまった。

さらに東奥日報では、「民間事業者に運行を委託している市バスや、観光施設を巡回する「ねぶたん号」にも、市営バスと同様のキャッシュレス決済を導入する。」とあった。これはまた違ってくる。
「民間~委託している市バス」というのは、郊外方面のコミュニティーバスのことで、まぎらわしいことに「市バス」と「市営バス」は別物。
前(2012年から)は「青森市市民バス」という総称だったのが、今春から「青森市市バス」と改称したらしい。
青森市は市営直営以外では、何度も制度が変わっている気がする。秋田市のほうがまだ安定しているような。

この青森市市バスは、磁気式バスカードが使えず紙の回数券だそうで、IC化されれば、市営直営路線と共通化されて便利になる。コロナとは関係ないが。
ところで、青森市市バスの浪岡方面は、弘南バスが受託する。車両は弘南バス一般路線車と同じ塗装だが、市バス専属車両のはず。例外的ではあるが、弘南バスでもICカードが使えるようになるのか。
これをはずみに弘前でも…とはならないかな。青森市が関与するから。


そう言えば、青森市内では、ジェイアールバス東北や弘南バス(受託でない直営一般路線)もそこそこ走っていて、青森市民や来訪者で一定の利用者もいるはず。JRバスによる青森空港のリムジンバス、下北交通や十和田観光電鉄の中距離バスもある。
その人たちの接触機会低減は放ったらかし? 報道されていないだけで、今回の対象なのかもしれないが、詳しい情報がない。
独立採算である公営企業の市営バスに、市本体から税金を投入するのは、厳しい目を向けられることもある。民間業者も共存している青森市では、民業圧迫と取られる可能性もある。

さらにさらに言えば、鉄道(青森市ではJR東日本と青い森鉄道)だって…
そればかりか、市中の店舗や病院の支払いだって…
という話にもなる。何をどこまでやればいいのか、難しいのは分かるけれど。


コロナ対策は別として、官民の違いはあれどバス事業者自身の負担でなく、市から費用が出てICカードが導入されるという経緯では、秋田市と似たような形になるとも言えるかな。
導入まであと半年近くになるはずの秋田市では、まだ詳細は何も出てきていないが、青森市はどういう仕組みになるだろうか。


【21日追記】9月17日の東奥日報サイト(gooニュース経由で内容を見られた)に、また別の補助金の話。
青森県の補助予算案に、コロナの「新しい生活様式」のためとして、青森県内4事業者者のICカードシステム導入に補助金5億1787万円を計上した。
「10種類の交通系ICカード(通称・10(テン)カード)が使えることを補助の条件としている。」。

「県が県内事業者の意向を確認し、手を挙げた岩手県北自動車、JRバス東北、青森市交通部、八戸市交通部が対象。」
「県内シェア(輸送人員ベース)は高い順に、青森市交通部29.2%、八戸市交通部27.0%、岩手県北自動車14.1%、JRバス東北2.7%。全路線に導入されれば、県内乗り合いバス輸送の73%がIC化される。」
→弘南バス、十和田観光電鉄、下北交通は希望しなかったということか。岩手県自動車とは南部バスのことだろう。となると、今は八戸の3事業者で共通乗車制度があったかと思うが、IC化後は十鉄だけ違うことになりそう。
あと、青森市営バスは、青森市の補助と両方受けるのか?

秋田県もやればいいのに…

【12月1日追記】秋田市での導入が1年遅れて2022年春になった。岩手県(岩手県交通、岩手県北バス)でも、広域で導入予定。
2022年には、岩手県、青森市、八戸市、秋田市のバスで、ICカードが使えるようになりそう。

【2022年2月8日追記】2022年2月8日、東奥日報が「弘南バス、23年春にICカード導入 」と報道。2023年春に弘南バスの一般路線バスでICカードが使えるようになる見通しとのこと。「県、弘前市、沿線市町村が協調し、同社に導入費用に関する補助金を出す方向で調整」。
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焼肉モーモー閉店

2020-05-10 23:30:21 | 津軽のいろいろ
弘前市富田3丁目のスーパーマーケットの2階にある「焼肉モ~モ~」が、2020年5月10日で閉店した。
4月13日頃に、同店の公式ツイッターにおいて告知された。張り紙らしき画像もアップされており、それには「諸般の事情により」閉店とある。新型コロナウイルス感染症との関係には言及していない。マスコミでの報道はされていないようなので弘前市民がどの程度知っているかは不明だが、ツイッター上では、惜しむ声が多い。

以上が事実。地元紙や弘前経済新聞が取材して伝えてくれるかと期待したが、時世に配慮したのか今のところなし。
以下は、個人的な考察と思い出です。
2008年8月撮影。現在は電光掲示板がなくなった以外、さほど変わっていない
お店の名前は「焼き肉」や「モーモー」ではなく「焼肉モ~モ~」が正式なようで、公式ツイッター内ではそれで統一されている。※以下、両表記が混在します。
閉店の張り紙も「焼肉モ~モ~」名義だが、店舗の看板では「ぐるめーどバイキング 焼肉モ~モ~」。【店舗名は末尾の追記も参照】
「momo(oの上に伸ばす棒)」と斜めに書かれた黄色い半袖Tシャツを来た、まだら模様で角のある舌なめずりする牛のキャラクターもいる。
開通間もない新しい道路側から。左が弘大・右が土手町方向
焼肉モ~モ~があるのは、弘前大学・文京町地区のすぐそば。大学正門から土手町・駅方向に250メートルほどの所。
富田大通りがカクカクと曲がった変形十字路交差点角に面しているが、10年少し前までは東方向・松森町へ抜ける広い道路はなく、変形丁字路(Y字路?)であった。

2階建ての建物で、1階のスーパーというのは、今はユニバース(本社八戸市)の小型店舗「Uマート 弘大前店」が入る。【スーパーの詳細や続報は末尾の追記参照
1階のスーパーは入れ替わりがあり、僕が知るこの25年の間で3社。
1995年時点では「マルサン(店舗名不明【19日追記・「マルサン富田店」だったという話あり】)」。秋田市広小路のドーミーインの場所にあったマルサンと同じロゴだが関係は不明。弘前市内にはヨーカドー斜め向かいの区画整理地区に秋田のような大きな店と住吉入口バス停付近の現空き地にも小さいのがあった。【12日補足・秋田のマルサンは1994年7月閉店(建物解体は2004年)なので、弘前のほうが後まで残った。秋田のマルサンの本社は秋田市にあったという話もある。】
その後いつの間にかマルサンはなくなり(おそらく1999年以降。他のマルサンもなくなった)、ブックマックス近くの富田町(現・空き地)にあった「マルエス主婦の店(店舗名不明)」が移転して来て、「マルエス(主婦の店?) 弘大前店」に。
さらに、2008年夏(西弘前駅改名騒動の直前だった)にマルエスが倒産。いくつかの店舗がユニバースへ譲渡されたうちの1つ(上の写真は開店直後)で、現在に至っている。
したがって、歴代のスーパーマーケットとモ~モ~の間には、同じ建物に入る店子どうしという関係しかないはず。
マルエス倒産直後2008年7月末の貴重な写真
↑閉店時点ではモ~モ~とUマートの看板が左右に並んでいるが、マルエス時代は右側が空いていた。ということは、マルサン時代もここに看板があったのかもしれないが、記憶にない。【11日補足】夜はモーモーの看板は内側から点灯するそうだ。Uマートは点灯せず。
大学方向を背に
スーパーの出入り口は2つあるが、モーモーへは大学側入口(上の写真左)のドアを1枚入って、その左側にある階段を上るのだったかな。

「ぐるめーどバイキング 焼肉モ~モ~」の名の通り、焼き肉バイキングの店。肉は各自トングで取ってくる方式で、カレーなどその他料理やデザートの品数も豊富。座敷に大人数で座れる卓がずらり並ぶ、広い店内だった(テーブル席もあった?)。【11日訂正】座敷とテーブル席があり、座敷は板張りのスペースに、4人座れる黒い卓が、まばらな間隔でたくさん並んでいた。末尾の追記の情報によれば、座席数は255~300席。
今は中学生以上の基本料金1980円(税抜?・時間制限なし?)、飲み放題も付いた宴会コースが男3900円、女3700円のようだ。
そんなわけで、秋田の「エルバート(スーパー「ト一屋」系列、現存せず?)」とほぼ同じ雰囲気や位置づけの店だと思う。今は全国チェーンの「すたみな太郎」があるけれど、それ以前からある地域限定版のような。

したがって、子どもや家族連れを含む広い世代に親しまれるとともに、場所柄、弘前大学学生の利用も多かった。
閉店発表後、ツイッターでは、
「部活の打ち上げで何度も行った」「親戚の集まりはモ〜モ〜」「(弘前)市民なら一度は行ったことがある」「モーモーで初めてライチを食べた(複数投稿あり)」
「モーモーなくなった弘大生死んじゃう!!」「モーモーの客99%弘大生ってイメージある」
といった声。

弘前大学を舞台にした漫画「幼なじみになじみたい(作・新挑限)」があるそうで、それにも描かれているそうだ。建物外観はほぼそのままで、看板は「し~し~」のようなもの、Uマートは「Vマート」とされている。


さて、焼き肉モ~モ~の運営会社や歴史について調べたのだが、ほとんど情報がない(だから報道に期待したのだけど)。
数少ない情報としては、
・かつては青森市の観光通りにもモ~モ~があったが、閉店した。
・モ~モ~以前のマルサンの2階は、ゲームセンターだった。
・モ~モ~閉店を受けて「26年間ありがとうございました」。
「26年間」が営業していた期間だとすれば、1994年頃オープンになる。ダイエー弘前店(ジョッパル。現・ヒロロ)がオープンした年。【営業期間については、末尾の17日付追記も参照】
スーパー部分の造りからすれば、新しくても1980年代築っぽい(1995年時点で新しくはなかった)から、その前にゲーセン時代があったとしてもおかしくはないかも。

ところで、バカヤローカーブ寒沢スキー場を広めた、弘前大学生協が新入生向けに配布していた冊子には、大学周辺での生活に欠かせない情報が細かく載っていた。店舗の情報も多く、当時はシェアが高かった「マルエス」「サークルK」から、居酒屋まで。
立地と価格からして食べるにも飲むにも重宝だから、モ~モ~が載っていてもおかしくはないが、1995年版と1996年版を改めて見た限り、ひとことも出ていない。
別刷りの大学周辺マップの1995年版では、マルサンを示す「スーパーマーケット」のみ。
このことは、当時はオープン間もない頃で、掲載が間に合わなかったか、新たに載せる機会を逃してしまっていたことを示すのではないだろうか。


個人的な思い出。直接的には卒業直前にみんなで行ったこと。
間接的ながら強烈だったのが、1年次に履修した、とある共通教育(一般教養)科目の試験問題。
焼肉モーモーが出題されたのだ! 僕はそれで、このお店の存在を初めて強く意識した。

人文学部経済学科(今は人文社会科学部になったんだね)の教官が担当する、マクロ経済学的内容の科目。先生のお名前も、講義内容も忘れてしまったが、試験のことはよく覚えている。
試験問題は、B5判2面をB4判に割り付けたワープロ打ちの紙に、穴埋めの短文がいくつも(たぶん50問とか)並ぶ形式だった。「インフレーションでは、物価は継続的に(  )し、通貨の価値は(  )する。」みたいな。

その中に混ざって、2~3問だろうか「この問は、内容に関わらず何か書けば正解とする」という注記付きの問題があった。「この科目の担当教官を優良可で評価すれば(  )である。」とか。【12日追記】あと「私はこの科目で「可」しかもらえないのなら、単位はいらない。」に○×で答える問題もあったような。
点数配分は示されなかったが、全体に占める割合としては低いから、不合格者救済やサービスのための問題というよりも、試験中の息抜きや先生の遊びだったのか。
その1題に、「弘前大学正門近くの焼肉モーモーは(  )。」というのがあった。モーモーorモ~モ~は別として、左の言い回しでだいたい合っていると思う。

問題を見て、まずは驚いた。そしてモーモーの名前は知っていたが当時まだ行ったことなかったし、さらに何か気の利いたことを書いたほうがいいのかと悩んだ。
解答欄が小さいし、「(おいしい)」と当たり障りなく書いておいて、後で単位ももらえた。
その先生のお気に入りの店だったのだろうか。


1990年代後半のデフレ不況下では、100円ショップや食べ放題が台頭した。モーモーもその流れに乗って登場したのかもしれない。
試験では、そういう点に言及すれば良かったのかな?
「弘前大学正門近くの焼肉モーモーは(デフレーション状況下の消費者心理をとらえるとともに、大学近くの市街地に出店して市民と学生の取りこみに成功している)。」欄が足りないけど。
そう言えば、その頃、コミックソング「ヨーデル食べ放題」(桂雀三郎withまんぷくブラザーズ)が流行した。1996年発売で、全国的ヒットは2000年になってからだそうで、モーモーより後だ。

新型コロナウイルスで飲食店はどこも厳しい。今朝の「サンデー・ジャポン」のホリエモンの話では、大手飲食チェーンの経営者は、この状況が続けば、会社は1年持つかどうかと考えているとのこと。
上記の通りモ~モ~閉店の理由は不明だが、特にバイキング焼き肉店は、団体客は見こめないし(弘大は、学生教職員に対し自宅外飲酒を禁じ、5名以上の会食を控えさせている)、汚染対策が大変だし、テイクアウトも難しいはずで、どうしようもなかったかもしれない。収束後、復活はあるのか、2階はどうなるのか。

【11日追記】店舗名について。
かつては青森市にも店があった名残りなのか、「焼肉モ~モ~ 弘前店」といった「弘前店」の表記が、飲食店情報サイト類で散見される。食べログでは「ぐるめーどバイキング」が付かない「焼肉モーモー 弘前店」となっている。
公式ツイッターや店舗外観の表示では「弘前店」は確認できない。

アサヒビールの「アサヒグルメガイド・アサヒビールの飲めるお店検索」に登録されていた。アサヒスーパードライとフリージングハイボールを扱っていた。
そこでは「焼肉モーモー弘前店」。住所末尾には「マルエス主婦の店弘大前店2F」。なお、定休日は12月31日と1月1日。席数は300席と登録されているが、食べログでは定休日は同、席数255席・全席禁煙となっている。

【17日追記】閉店後も公式ツイッターで情報発信を続けてくれており、それによれば15日頃には店内や看板の撤去が進んでいる模様。
17日頃になって、公式ツイッターの閉店告知に寄せられた100件近いコメントに対して、モ~モ~側から返事のコメントが付いた。
「約30年間ありがとうございました」→30年前だと1990(平成2)年。
再開・復活については「(可能性は)会社としてはほぼゼロに等しい」とある一方、「なんとも言えない」とも。→運営会社は存続するようにも読める。
また、新型コロナウイルスで経営状況が厳しかったことへの言及もあり、それが閉店の原因だと示唆しているようにも読める。
あと、「フワ」という部位の肉(牛? の肺)を扱う、弘前で数少ない焼き肉店であったそうだ。

【30日追記】その後5月29日付で、ユニバースの公式サイトに「Uマート弘大前店閉店についてのお知らせ」がアップされた。
モ~モ~の1階のUマート弘大前店が6月30日で閉店することになり、建物全体の今後が気にかかる事態になった。
また、大学生などは桔梗野方面に行けばスーパーがあるが、ここより逆方向在住の高齢者などは弘前駅前まで出ないと買い物できなくなるかもしれない。
告知では、
「建物・設備の老朽化が激しく、同じ場所に建て直すには敷地面積が狭隘で、近くに手頃な物件もないことから、2020年8月に家主様との建物賃貸借契約が期間満了を迎えるのを機に、やむなく閉店することといたしました。」としている。
2008年8月オープン、店舗面積1177平方メートル(356坪)。
地元マスコミでも報道され、30日アップの陸奥新報サイトでは、直接的な新たな情報はないが、「同店2階には飲食店「焼肉モ~モ~」が入居していたが、今月10日に閉店している。」とモーモー閉店にも触れている。そして、
建物は1986年に「マルサン富田店」として建てられたもの。
と、建物は築34年(思っていたより新しかった!)、スーパーはマルサン、マルエス、Uマートと3社入ったことが判明した。

【6月21日追記】6月18日には弘前経済新聞サイトに「弘前大学近くのスーパー「Uマート」閉店へ 弘前大卒業生らから惜しむ声も」がアップ。
これもモーモー閉店は軽く触れただけ。しかも、マルエスから引き継いでUマートになった経緯しかなく、マルサンはひとこともなく、建物がいつできたかも分からない内容。陸奥新報より遅く、内容が薄いと言わざるを得ない。

【2021年9月22日追記】「ノスタルジーはスーパーマーケットの2階にある」という本が出ているのを知って、思い出したかもしれないこと。
マルサンだった1995年頃には、2階の一部が衣料品売り場だったような気もする。上って行ったことはないが、階段下にそういう案内が出ていたような(本のように、昔はそういう形態の食品スーパーがたまにあったから、他店と混同しているのかもしれないが)。

※続きはこちら。2020年11月
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弘前交通マップに誤り【修正済】

2020-03-08 23:50:38 | 津軽のいろいろ
バスの路線図のこと。
よそ者などその土地の路線網に不慣れな人とって、路線図があれば助かる。ただ、昔は作成しているバス会社は多くなかったと思うし、入手も難しかった。
近年は、バス会社でなく自治体が作成したり、ネット上で見られたりするようになった。それでも、それぞれのデザインや思想によって、見やすさ・分かりやすさはまちまち。
路線図に限らないが、いちばん迷惑なのが誤った情報が掲載されること。残念ながら、弘前市が作成する「ひろさき公共交通マップ」に間違いがあるので、指摘させていただく。【その後2020年4月までに修正されました。以下は修正前のマップに対する内容です。】【さらにその後、2023年11月から経路とバス停位置が変更されました(末尾追記参照)。以下は変更前の内容です。】

弘前市が2010年から作成しているもので、毎年改訂を行っているという。市の施設、バス・弘南鉄道の窓口で配布し、市のサイトでダウンロードできる。
観光都市らしく日本語より簡略化した4か国語版、それに「こども版」もある。
弘前市は、弘南バスのほか弘南鉄道もあるし、最近は郊外の乗り合いタクシー類もあり、それらをまとめる必要性はある。

現行の2019年版日本語版おもて面
おもて面では、郊外部の経路、全バス停が地図に記されている。乗ったことがない区間がほとんどだけど、まさに「可視化」されていて分かりやすい。でも…

弘南バスで弘前駅から、大学病院前、市役所・公園前、茂森新町、常盤坂入口と進む路線は2つ。相馬庁舎まで行く相馬線と、田代経由西目屋村役場線。
相馬線は昨年秋からりんご公園の中に立ち寄るようになったが、このマップはそれ以前の発行なので反映されていないのは当然。
さらに進んで、常盤坂、悪戸。
その先で2つの路線が分岐し、相馬線はそのまま西進、西目屋へは岩木川を渡る。マップでは、
拡大
青い線をたどれば、分岐点は「神社入口」バス停通過後。西目屋線は神社入口→鳥井野と運行することになる。
不思議なのが、水色の岩木川沿い、「神社入口」の北に「下湯口南口」なるバス停があるような印があるが、そこを通る路線はないことになっている。
この一帯が間違っている。

弘南バスホームページの運賃表を見て分かった。
正しい分岐点は、手前の「悪戸」。西目屋線は悪戸→下湯口南口→鳥井野と走るのだった。つまりこうなる。
マップを加筆・修正

相馬線の「下湯口」より北にあるバス停が「下湯口『南口』」なのは命名がおかしいとか、下湯口南口は川の堤防みたいな所にあるから、いっそ誤った路線図のようにほぼ並行している下湯口~神社入口側を通ればいいのではとか思ってしまうけど、実態とマップが違っているのは事実。
「こども版」でも、バス停名称は省略されているが、線やバス停位置は同じで間違っている。

なお、平日朝に西目屋村役場→相馬庁舎→常盤坂入口→聖愛高校という、両路線の折衷の系統がある。このマップでは、このような通学特化の系統は掲載しない方針のようだ。
その系統は下湯口南口は通らないようだ。Googleストリートビューを見ると「湯口」バス停は岩木川の橋からまっすぐの道(アップルロード)に別に置かれている(JA産直「林檎の森」の隣辺り)らしく、なかなか複雑。


この誤りによる、利用者への影響はどうか。失礼ながらこんな“田舎”ではよそから来る人など…いやいや。そこそこいるはず。
まず、アップルロード沿いのJA相馬村「林檎の森」。現在建替え中でそろそろオープンらしいが、いろんなリンゴなどが買えるから、バスで行く人もいるかもしれない。実は僕も、その検討中に、誤りを見つけた。
※このルートを通って相馬地区へは何度か行ったことがあるが、この付近の風景は明確な記憶はない。あと、地図を見ると、常盤坂・悪戸を過ぎるとわりあい短距離で相馬に入ることも意外だった。

さらに、アニメ「ふらいんぐうぃっち」の第1話で、主人公が降り立つバス停が「下湯口」だそうで、“聖地巡礼”する人もいるそうだ。
ツイッターでは、下湯口へ聖地巡礼に訪れた人が、このマップを見て西目屋行きに乗り、下湯口南口通過時に誤りに気づき、対岸の鳥井野で降りざるを得なかったという投稿が2019年2月にあった。
実際に“被害者”がいることになるし、少なくとも2018年版でも同様の誤りがあったと考えられる。


間違いを見つけた以上、直してもらいたい。
弘前市役所ホームページのアンケートフォームに、間違っていることと聖地巡礼で実際に影響を受けた人もいることを指摘するとともに、マップ自体の修正がすぐにはできないだろうけど、ダウンロード元のホームページに文字で間違っていることの注記の掲載はできるのではないかと、1週間ほど前に送信した。今のところ、対応はされていない。

なお、以前、秋田県大館市発行の同様の路線図で、間違いではないが、一方向運行になる区間の線が分かりづらいのを指摘したことがある。その結果、ダウンロード元のページに画像付きの注意書きを追加していただけた。
弘前は明らかな間違いだし、ぜひとも、迅速なホームページでの訂正(と次の改訂での印刷版の対応は当然)をお願いしたい。
【4月3日追記】4月2日付で市のサイトに2020年版マップがアップされており、上の修正例の通りに変わっていた。
指摘から1か月ほどで迅速に直してくれたのか、あるいはその前から把握していてたまたまタイミングが合ったのか、配布版ではどうなっているのかは知らないけれど、ネット版に関してはこれで安心。

【2023年10月17日追記】2023年11月1日から、相馬庁舎線と西目屋村役場線が統合され、弘前~相馬庁舎~西目屋村役場線となることになった。駅から相馬庁舎へ向かった後、湯口付近まで戻って西目屋へ向かうルートになったので、湯口周辺で経路とバス停の変更がある。下湯口南口バス停は廃止
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