広く浅く

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ポプラとニレのある学校

2012-11-18 23:01:26 | 動物・植物
秋田の話題ですが、まずは北海道のこと。「北海道らしい木」といえば、何を連想しますか?

エゾマツ、ライラック等々もあるが、「ポプラ(セイヨウハコヤナギなど)」と「ニレ(エルム)」も北海道のイメージがないでしょうか。
とはいえ、ライラックやポプラは外来種を栽培したもので北海道の自生種ではないし、本州以南でも普通に育つ木も多い。並木や観光地の木などが有名で、北海道が印象付けられてしまったこともあるのだろう。


秋田市内でも、ポプラはたまに見かける。
再掲)広面(ひろおもて)の市立城東中学校グラウンド
城東中は1979年開校だから、そんなに古い木ではなさそう。

県庁第二庁舎裏の「山王第一街区公園」
※山王第一街区公園は、隣の山王中学校がサブグラウンド的に使うこともあるが、秋田市公園課管轄の都市公園。

比較的古そうなポプラといえば、こちら。
右側奥
市立保戸野(ほどの)小学校のグラウンドにもポプラがある。
2本だけ
現在は、隅の方に2本しかないのだが、20年ほど前は、その並びにもっと本数があり、反対側にもあったはず。
手前はソメイヨシノだけど、昔はここにもポプラがあったはず
ポプラは根が浅く、特に年を経ると倒れやすいそうなので、強風で倒れたり、予防として伐られてしまったのかもしれない。(北大のポプラ並木でも問題になっていて、立入禁止にしたり、若い木に更新したりしている)

そんな保戸野小では、(今はどうか分からないが)児童の国語科の作品集を「学校文集『ポプラ』」という名称で発行していた。
「秋田大学附属図書館 北方教育資料コーナー目録」によれば、1960年に第7巻が出ているので、1954(昭和29)年から刊行されていた可能性がある。
つまり、ポプラは保戸野小のシンボルツリー的存在であったと言える。

【2018年4月4日追記】保戸野小にポプラが植えられた経緯について。
2018年春の保戸野地区の広報紙(?)に、「八丁(保戸野八丁)で起きた火災を教訓に植えられた」といった趣旨の一文があった。
調べると、1950年3月29日に、保戸野八丁から出火して82棟86世帯を全焼する火災があり、当時は「保戸野大火」とも呼ばれたとのこと。
その直後にポプラが植えられ、「文集ポプラ」が1954年頃から発刊されたとすると、辻褄は合う。

また、昔は保戸野地区に「ポプラ新町(しんまち)」という名称の町内会(町内子ども会?)があった。具体的にどこにあるのか、現在もあるのかは不明。(以上追記)


ところが、保戸野小には、別のかつ正式なシンボルツリーがある。
場所はグラウンドの反対、正門脇。バス通りの菊谷小路からも、一瞬見える。
この木(5月20日撮影)
3階建ての校舎と同じか少し高いくらいの落葉広葉樹。2本並んでいて、外から見て右側の木のほうが大きく、左の木はちょっと控えめ。
保戸野小はここに移転して124年経つそうだが、その頃、もしくはそれ以前からあったとしても、おかしくない風格の大木だ。根本は、校門の門柱よりも太そう。
したがって、校舎の壁画や時計塔(もどき)が、この木に隠れて、敷地外からはほとんど見えない。
【2013年12月19日追記】この保戸野小学校の敷地には、学校ができる前から「愛宕神社」があったらしい。(愛宕神社は1922年に近くの諏訪神社と合祀され、現在は諏訪愛宕神社=開校~合祀までは学校と神社が同居していたようだ)もしかすると、神社当時からあった木なのかもしれない。

歴史がありそうな門柱
この木を、学校では「ニレの木」と呼んでおり、「1985年の創立111周年の際、学校の木とした」旨を記した説明板が立っている。
実際に保戸野小では、児童会活動や学校行事などにおいて「ニレの木~」という名称を使っている。

ただし、制定以前の卒業生や保護者であった地域住民には、保戸野小にニレの木があること自体、印象になく、保戸野小といえばポプラを連想する人が少なくないようだ。
グラウンドのポプラは、明確にシンボルツリーと定義づけられていたわけではなかったし、ポプラが高齢化していることを考慮して、ニレの木をシンボルとしたのだろうか。


説明板には、ニレの木の別名が「ニレケヤキ」であるとも表記されている。
「ポプラ」もそうだが、「ニレ」というのはニレ科ニレ属の総称であって、特定の種名ではないので、「ニレ」という木(種)はない。ニレには20~45種があり、交雑種もあって、同定は難しいという。
北海道で「ニレ」と呼ばれるのは一般に「ハルニレ」という種。ほかに日本では「アキニレ」という種もある。
また、説明板にある「ニレケヤキ」はあまり一般的な呼称ではないようで、アキニレを盆栽にした時の呼び名のような感じがする。

アキニレは温かい地方に生育(自生は中部以南、植栽でも関東辺りまで【2020年12月16日訂正・山形県にも自生があり、植えれば秋田市でも育つようだ。この記事参照】)することや、葉っぱの感じなどからすれば、個人的には、保戸野小のニレはハルニレかそれに近い種ではないかと思う。
すなわち、北海道のニレとほぼ同じ木として差し支えないように考える。(何か情報をお持ちの方、お知らせください)
【2013年5月21日追記】秋田市環境部が作った「秋田市木かげマップ」では、この木を「ハルニレ」と断言している。やっぱりハルニレで間違いないだろう。
【2013年10月31日追記】札幌の北大植物園を訪れた(リンク先中ほど)ところ、この木はハルニレではなく「ノニレ」または「マンシュウニレ」と呼ばれる、ハルニレに近縁の別の種ではないかと感じた。とすれば、これは日本に自生しない中国大陸からの移入種なので、人為的に植えられたことになる。
芽が吹いてすぐ、こんなものが落ちていたのだけど、実?


ニレ科といえば、当ブログでは秋田市の木である「ケヤキ(ケヤキ属)」、秋田ではちょっと珍しい「エノキ(エノキ属)」を紹介している。
科と属の中間の「亜科」で分類する場合もあり、エノキ属は「エノキ亜科」、ケヤキ属とニレ属は「ニレ亜科」なので、ケヤキとニレはより近縁とも言える。

たしかに、保戸野小のニレは、ケヤキに似ている所が多い。
枝ぶりなど全体的には、ケヤキを繊細にしたような雰囲気。細かく見ると、葉はケヤキを若干丸っこくした感じ。幹だけはゴツゴツしていてケヤキとは違う。
ニレの木の葉と幹。結構大きい葉だ

樹形は、北海道によくあるニレや、ケヤキは丸いのに対し、保戸野小のニレは縦に長すぎる印象。これは広いとはいえない生育環境や人為的な剪定によって、横よりも縦方向によく伸びてしまった結果だろうか。
ケヤキでも似たような樹形の木が近くにあった。
竿燈大通りの當福寺のケヤキ


夏の夕日を受けるニレの木(8月21日)
落葉樹であるからには、紅葉する。
エノキの紅葉は見逃してしまったが、ニレの木は見ることができた。(芽生え・紅葉とも、ケヤキとほぼ同時期のようだ)
(11月5日)「黄葉」するのだった
風に徐々に葉を散らし(周辺住民の皆さんはお掃除が大変でしょう)たものの、意外にしぶとく木に残る葉も多かった。
(11月15日)だいぶ葉が減り、枝ぶりや背後の時計塔もどきが見えてきた
先週からの強風で、今頃はついにほとんどの葉が落ちてしまったはず。

来春の新入生が学校に慣れてきた頃、また新しい若葉を出すことだろう。
(5月1日)新芽が出てきた頃
138年の歴史がある保戸野小の卒業生は15370名。そのほとんどがここの場所の3世代(4世代?)の校舎に通い、(意識していなくても)ニレの木を見てきたはず。
ニレの木には、これからもずっと、保戸野小や周りの街を見守っていってほしい。


ところで、秋田には他にニレの木ってあるのだろうか?
ないわけはないはずなので、どなたかご存知であれば教えてください。
※秋田市にあるハルニレについてはこの記事中ほど
※2014年春に、ニレの枝切りが行われた(リンク先後半)
弘前公園に樹齢200年とされるハルニレがあった。
秋田市土崎にアキニレが植えられているのを発見。


最後にポプラに戻ります。
ポプラも黄葉する
ポプラは、下の葉から順番に落葉していくようだ。

ポプラは、葉が硬いためか、葉擦れの音が「さわさわ」といった特徴的な音。
ポプラはその学名「Populus」にちなむものだが、「震える」という意味で、葉が風にそよぐさまから付けられたそうだ。
久々にその音を聞いて、学名に納得すると同時に、子どもの頃聞いた音の記憶がよみがえった。

※保戸野小の別の木に関する記事
※ポプラのその後の記事(末尾)

■秋田市立学校に関する過去の記事■
学校名と東小の色似た校舎憧れの明徳小坂の途中の学校旭南学区は広い近い学校に通いたい)、南中と東中の校舎集合煙突最近の小学校校舎校内の家?/138周年、ポプラとニレのある学校(この記事)
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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
保戸野小のニレの木 (Unknown)
2012-11-18 23:39:44
こんばんは。
約25年前前後、保戸野小の児童でした。
当時はもう「ニレの木」がシンボルツリーになっていて、児童会活動も「ニレの木○○」と名付けられていました。
文集は確かに「ポプラ」でしたが、「ニレの木」の方が印象が強かったですね。
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こんばんは (taic02)
2012-11-19 00:18:34
制定直後頃でしょうか。
年に1回の文集のポプラよりも、頻繁にあるニレの木の活動のほうが印象に残るかもしれませんね。

保戸野小といえば、かつてはプールの横に大きな柿の木があったのも印象深いですが、校舎改築時になくなってしまいましたね。
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プール周辺 (Unknown)
2012-12-19 22:55:11
プールの横は柿の木でしたか!アメシロとりをやらされたのを覚えています。
あと、小さめのクワの木があって、蚕用だったかな?
返信する
柿の木は (taic02)
2012-12-19 23:03:40
プールと更衣室の間のはずです。
大きく、枝ぶりのいい木だったと記憶しています。秋田によくある渋柿(平核無)で、収穫して中庭で干し柿にしていた年もあったと思います。(誰が食べたのやら?)

桑もありましたね。児童玄関から1階教室の廊下辺りでしたか。
実を食べて「薬がかかっているから食べちゃダメ」と怒られた子がいました。
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