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狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

差別と被差別は合わせ鏡  奄美差別と沖縄サヨク

2022-09-21 04:14:45 | 政治

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沖縄戦の体験者が減って、沖縄が米軍の統治下にあったことを知る県民も少なくなった。

同時に現在は鹿児島県の一部である奄美諸島が米軍統治下にあった事実を知る国民はほとんどいない。

奄美復帰55周年 差別と被差別は合わせ鏡2008-12-28 

「差別」を声高に叫び、それを商売道具のように扱う勢力がある。

沖縄左翼もこの言葉を、相手を黙らせる呪文のように唱え、百年前の一業者が行ったことを、今でもイデオロギーに利用していると書いた。

百年前の怨念「人類館事件」 沖縄差別の歴史だって

そのエントリーで、沖縄人が奄美大島出身者に対して行った差別について次のように書いた。

<差別を声高に叫ぶ人間が、本人は意識していなくとも、実は差別主義者である場合が多い。

 
「差別された」と叫ぶ人間が実は差別主義者であり、彼らがいう差別とは己を映す合わせ鏡のようなものである。
 
沖縄で差別を叫ぶ人間は、その一方で離島出身者を差別したり本島内でも北部出身者をヤンバラーと差別したり、台湾人やフィリピン人をタイワナー、フィリピナーと差別的意味合いを込めて呼ぶ。
 
最近では見られないが、米軍占領時代は、奄美大島出身者をオオシマーと侮蔑の意味を込めて呼んでいた。>
 
奄美大島は今は鹿児島県の一地方となっているが、戦後の一時期本土から分離され沖縄と同じく米軍統治下にあった事実を知る者は沖縄人でも少なくなった。
 
今年は奄美大島が日本復帰して55周年だという。
 

琉球新報社説 2008年12月27日

奄美復帰55周年 「琉球弧」連携強化の契機に

 奄美諸島が25日、本土復帰55周年を迎えた。戦後、1946年2月に米軍統治下に置かれた奄美が53年、沖縄より19年早く本土復帰を実現した。
 「民心の結集と血潮みなぎる情熱、行動力」で、主義主張や党派を超え、一滴の血も流さずに平和裏に本土復帰を実現したことが、いまでも奄美人(アマミンチュ)たちの誇りだ。
 25日に奄美市内で開かれた記念行事でも、復帰運動で示した奄美人の底力を「後世に語り継ぎ、力強い未来を建設しよう」と誓いを新たにしている。同じ“琉球弧”の一員としてエールを送りたい。
 「奄美の特徴は、自然と文化、長寿と子宝、亜熱帯の温暖の気候」と奄美市長の平田隆義さんは言う。
 奄美は、もともとは琉球王国の一員だった。1609年に薩摩藩による琉球侵攻で分断されたが、言語、民謡、食文化など共通点はいまなお多い。
 三線と島唄、8月踊り、亜熱帯性海洋気候を生かした観光、基幹作物のサトウキビ、黒糖をフレーバーに使った泡盛と同じ黒糖焼酎、大島紬(つむぎ)など織物文化などだ。
 沖縄より先に本土に復帰した奄美では「沖縄振興開発特別措置法」の源流ともいえる「奄美振興開発特別措置法」の下で政府のキャッチアップ政策が展開された。
 しかし沖縄同様、本土との所得格差や高失業、高い公共事業依存の第3次産業に特化したいびつな産業構造と、悩みや課題も重なる。
 異なるのは、奄美には広大な米軍基地がないこと。そして、人口が減少し続けている点だろう。奄美群島の人口は本土復帰時の半分の12万人にまで減っている。
 いま「健康長寿」「癒やしの島」を核に国際港湾の整備によるクルーズ船誘致など観光での地域振興を模索している。島しょ型観光では沖縄の経験が役に立つ。
 折しも来年は薩摩の琉球入りから400年の節目だ。戦後、別々の振興法下できた奄美と沖縄が「琉球弧」連携を強化し、新しい島しょ型振興策で相乗効果を発揮したい。

                                           ◇

きれい事を書き連ねたこの記事を読んでも、沖縄人が奄美出身者に行った差別に関しての記述は一言もない。

他人に対しては些細なことでも「差別」だと騒ぐ者は己が行った「差別」を語ることはない。

同じく「奄美復帰55年」を連続特集した沖縄タイムスはどうか。

米軍統治下の沖縄で生活した多くの奄美出身者に、当時の沖縄、そして故郷奄美大島の状況を取材しているが、

「大島差別」については連載三回目に

「強い反感、休職も厳しく」と題しては触れているが・・・。

加計呂麻島(鹿児島県瀬戸内町)出身で、現在も那覇市に在住の内山照雄さん(75)が当時の苦労話を語っている。

だが、タイムス記事には「差別」という言葉は一言もない。

該当部分を抜書きするとこうなる。

<(沖縄での就職で)面接票に「奄美大島」と書いた途端に門前払いされた。半年たっても仕事が見つからない。 なのに、「大阪」とごまかして書いたらすぐに採用された人もいた。

「事件があれば『大島か宮古』といわれた。 騒然とした時代、周辺の島々から食っていけない人がどっと、押し寄せていたから、反感もあったのでしょう」>

内山さんは、自分が受けた沖縄人の冷たい仕打ちに対して

「騒然とした時代、周辺の島々から食っていけない人がどっと、押し寄せていたから、反感もあったのでしょう」

と、恨み言を言うのでもなく「反感」という言葉を選んで、「差別」という言葉は使っていない。

だが、まぎれもなく、この仕打ちは差別以外の何物でもない。

これが逆の立場だったら沖縄タイムスは「沖縄人差別だ!」と、大見出しで騒ぎ、抗議集会でも煽っていただろう。

 

沖縄人の「奄美差別」に関しては、地元紙は黙して語ろうとしないが、

最近刊行された異色の沖縄レポート『沖縄 だれにも書かれたくなかった戦後史』(佐野真一著)でこれに触れた記述がある。

この沖縄現代史の恥部とも言うべき「奄美差別」について記した部分を同書から抜書きしておく。

1953(昭和28)年12月、奄美諸島は沖縄に先駆けて本土復帰を果たした。それから本格的な奄美差別がはじまった、と奥はいう。(・・・)問題は、彼らに対する沖縄人の露骨な差別と非人間的な扱いだった。この事実はほとんど知られていない。というより、沖縄の戦後史の暗部として、なかったことになっている。(・・・)

<「いま沖縄には奄美出身者が5万人いるといわれていますが、自分から奄美出身者だと名乗る人は、めったにいません」

本土から差別されたと拳を突き上げ絶叫する沖縄人は、その一方では奄美人を差別する。

那覇の国際通りの基礎を作ったのは、実は奄美出身者だったことは昔の国際通りを知る者には公然の秘密である。

「奄美差別」を知る沖縄人も今は少ない。

過去の沖縄人による差別を糾弾する奄美人の声を聞かない。

沖縄左翼もそろそろ被害者意識を商売道具に使うことを止めませんか。

「本土の沖縄差別」を声高に叫んだら、奄美出身者に笑われますよ。

「お前だけには言われたくない」って。

 

3 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (涼太)
2008-12-28 09:48:53
狼魔人様

結局、差別を作り出しているのは、他ならぬ「差別だー」と叫んでいる本人たちでしょう。
この人達の特徴は、人を攻撃するのは平気だが、自分たちが非難されることには、我慢が出来ないみたいです。
公営住宅の家賃の未払い、税金の未払い、学校の給食費の未払い、異常なクレームをつけるモンスターペアレント。やり得を許さない為にも、行政も国民も毅然と対応すべきです。
自分の権利は声高に主張するが、相手の権利は全く無視。そんな人達が増えてきたのは、やはり戦後民主主義教育の闇の部分でしょうか。
ちょっと、脱線しましたが沖縄の左翼団体にも、通じるような気がします。結局、他人から信頼されるも、嫌われるも自己責任でしょう。
 
奄美二世です。 (syomu)
2009-06-27 22:23:54
こんにちは初めましてsyomuと申します。
奄美二世です。
奄美諸島は今は鹿児島県ですが、基底に琉球弧としての文化があり、親類が米軍基地で働いていたり現在でも沖縄で家庭を持っているので身近な問題です。
私の政治の風は鹿児島から吹いてきましたが、心の風は沖縄から吹いてきていました。

私の感覚では、奄美諸島は自分たちが思っている以上、沖縄や鹿児島の方たちが思っている以上に大きな勢力を秘めているのではないか、と考えています。
声をあげない島んちゅも多く、意識的にか無意識的にか透明なアイデンティティになっている場合も多い。

戦後の沖縄での奄美差別(大島人差別)は、島んちゅは体感してますし浮かび上がらせないといけないと思います。
私は、沖縄では島のアイデンティティをサヨク運動に利用されていると感じる時がままありますし、それが個人的には不快なものですから。

ただ、あくまでも仮定ですが例えば奄美諸島が経済的に繁栄し沖縄が食うや食わずの状態になって、奄美諸島に沖縄から大量に人が流入すればそこで少なからず“沖縄差別”が起こると思うんです。
歴史的に奄美諸島が沖縄に対して、また鹿児島に対してそのような位置づけになったことはありません。我々の血は常に差別される側ではありましたが。
差別・被差別の問題は問題本体でなく、とかくウヨサヨの党争のカードとして使われがちかな気がしますので難しいです。
 
Unknown (狼魔人)
2009-06-28 10:57:53
涼太さん

古いエントリーを読んでいただきありがとうございます。

差別がいけないことは当然だとしても、普通の人なら意識しないような些細なことを針小棒大に取り上げて叫ぶ連中が実は差別主義者だという例は多いです。

よくテレビ番組の最後で「ただ今は不適切な発言云々」と謝罪することがあります。

ほとんどがどんな不適切な発言か分かりません。

試しにテレビ局に電話で問い合わせをしたら「差別発言」とだけで具体的には教えてくれませんでした。 


syomuさん

沖縄では「差別糾弾」と左翼が結びついていますが、沖縄左翼のほとんどは離島出身者を差別し、自分は「武士の出」などと時代錯誤な自慢をする連中が多いです。

中には久米出身を自慢する差別主義者もいます。

奄美は沖縄と似た文化・風土を持ちながらいち早く復帰したためか、米軍基地が無いためなのか、沖縄に比べて経済的差別を受けていますね。

沖縄復興に奄美人が尽くした功績は大きいと思いますよ。

奄美二世も奮起すべきですよ。

>差別・被差別の問題は問題本体でなく、とかくウヨサヨの党争のカードとして使われがちかな気がしますので難しいです。

差別の問題はイデオロギーと分離して論ずるべきだと思いますね。
 
コメント (1)

賛否割れ…国葬の是非は?【報道特集】

2022-09-20 05:42:19 | 政治

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賛否割れ…国葬の是非は?【報道特集】

 

 

国葬って何?

岸田内閣の支持率は、毎日新聞の世論調査で29%と発足以来、最低になりました。その最大の原因は9月27日に行われる安倍元首相の国葬で、反対が62%にのぼっていますが、何が問題なのかよくわかりません。

吉田茂の国葬

Q. 国葬って何ですか?

政府は国葬儀と呼んでいます。これは大喪の礼のような皇室の儀式とは違う、閣議決定による国の儀式という意味です。

Q. 法的根拠はあるんですか?

内閣府設置法4条では、所掌事務として「国の儀式、内閣の行う儀式および行事の事務に関すること」と定めています。この「国の儀式」に国葬儀が含まれるというのが、岸田内閣の解釈です。

Q. 設置法は内閣府の仕事を定めただけで、国葬儀が含まれるとは書いてありませんね?

内閣法制局はそう判断し、閣議決定が行われました。国葬の差し止めを求める訴訟も、東京地裁は「不適法だ」として却下しました。

内閣府設置法の逐条解説でも「国の儀式」とは「閣議決定で国の儀式に位置付けられた儀式」だと解説し、その具体例として1967年に行われた故吉田茂元首相の国葬儀をあげています。

産経新聞より

Q. 国会の承認が必要だという意見がありますが?

今は国の儀式に国会の承認を求める法律がないので、閣議決定で十分です。天皇の国事行為は国の儀式として行われますが、いちいち国会が承認しているわけではありません。今回は予備費を使うので、一般会計にも影響がありません。

Q. 安倍さんを特別扱いするのはおかしいという批判がありますが?

それは内閣の裁量の範囲でしょう。今までも佐藤栄作は「国民葬」となり、それ以降の首相経験者は「内閣・自民党合同葬」となりましたが、これにも明文の法的根拠があるわけではない。葬儀そのものはほぼ同じです。

Q. 国会が承認していないのに税金を使うべきでないという批判もあります。

それは今までの「内閣・自民党葬」でも同じです。すべての予算執行を国会が承認しているわけではありません。費用は約2.5億円ですから、その半分を自民党が出すかどうかだけの違いです。

Q. 警備費はもっとかかるでしょ?

海外からも要人が来るので、警備や接遇に16.6億円かかるというのが政府の概算ですが、これは内閣・自民党葬でも同じです。

Q. 海外ではどうなんですか?

いま話題のエリザベス女王は国葬です。これは日本の大喪の礼と同じで、議会が承認するわけではない。民間人については法律で決まっていませんが、チャーチル元首相は国葬でした。アメリカの大統領経験者は、すべて国葬です。

Q. 「国民に弔意を強制するのはおかしい」という批判もあります。

吉田茂の国葬のときは学校を休校にしたようですが、今回は国民に弔意を強制することは何もしません。

Q. 安倍さんはモリカケ・桜など評判が悪かったので、国葬に値しないという人もいます。

モリカケも桜も、安倍さんの刑事責任が問われるスキャンダルではなかった。憲政史上最長の首相をつとめ、安保法制で日米同盟を正常化した功績もあるので、吉田茂と同格の扱いはおかしくないと思います。これも内閣の裁量の範囲です。

暗殺という異常な形で亡くなったことに対して、国として決然とした態度をみせることも重要だと思います。それに反対して欠席する野党は、世の中を騒がせて統一教会をつぶそうというテロリストの目的に協力しているようなものです。

 

ツイート

 
 
「法的根拠がない」という話に根拠がないことがばれたら、今度は露骨なアベ攻撃。劣化左翼はテロリストの味方だ。
引用ツイート
 
 
日本共産党(公式)@jcp_cc
·
旧統一教会との接点含め「安倍氏の容認になる」 国葬シンポで識者ら:朝日新聞デジタル #今からでも国葬中止を 山口広弁護士「間違いなく #統一教会 の幹部は喜ぶ」 https://asahi.com/articles/ASQ9M63LSQ9MUTIL01P.html #統一協会
 
コメント (2)

円安で外貨を売ればボロ儲け!財務省が決して言わない事実

2022-09-19 14:20:14 | 経済

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 恥を知らない大江健三郎氏、愛媛新聞社説

2022-09-19 07:31:10 | 大江健三郎のいかがわしさ

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 愛媛新聞社説

沖縄ノート訴訟 「表現の自由」の重さを再確

2011年04月24日(日)

 作家大江健三郎さんの「沖縄ノート」などの記述をめぐり、旧日本軍関係者が出版差し止めなどを求めた訴訟で、最高裁は上告を退ける決定をした。「集団自決」に軍が関与したことを認め、名誉毀損(きそん)を否定した大江さん側勝訴の一、二審判決が確定した。
 極めて妥当な決定である。
 名誉棄損は判例上、表現に公共性と公益性が認められ、真実の証明か、真実と信じるに相当な理由(真実相当性)があれば責任は問われない。最高裁が、表現の自由の重さを再確認した意義は大きい。
 太平洋戦争末期の沖縄戦の際、座間味や渡嘉敷島などで多数の住民が手りゅう弾などを使って集団で自決した。軍による命令が通説とされてきたが、島の元守備隊長らが2005年に「誤った記述で非道な人物と認識される」として大阪地裁に提訴した。
 裁判では、軍や元隊長らによる住民への命令の有無などが争われた。
 二審判決などは、集団自決に軍の関与があったことは認めたが、元隊長らが直接住民に命令したかどうかは断定できないというものだった。
 その上で、沖縄ノートの発刊当時は、隊長命令説が学会の通説といえる状況であり、真実相当性があったと認定。また、記述は高度な公共の利害にかかわり、公益を図る目的だったとした。
 一、二審は史実論争に一石を投じた。が、最高裁は「原告側の上告理由は事実誤認などで、民事訴訟で上告が許される場合に該当しない」と判断を避けた。
 史実の認定が、法廷に持ち込まれたことには違和感がある。今後とも学会などで論議を深めていくことが必要だ
 この訴訟は教科書検定にも大きな影響を及ぼした。
 文部科学省は07年、軍による自決強制の記述の削除・修正を求める教科書検定意見を公表した。係争中が理由の一つだった。
 突如、歴史が塗り替えられる。沖縄県民の無念さ、怒りは理解できる。
 その後、軍の関与を示す記述への訂正申請を認めたものの検定意見はそのままだ。文科省はこの際、最高裁決定を真摯(しんし)に受け止め、検定意見を撤回すべきである。
 歴史教育は時々の為政者や政治情勢に左右されるようなことがあってはならない。この事も確認しておきたい。
 二審判決は、批判と再批判の繰り返しの過程を保障することが、民主主義社会の存続基盤である、と述べている。そして仮に後の資料から誤りとみなされる主張も言論の場で無価値とはいえず、これに対する寛容さこそが自由な言論の発展を保障する、とも。
 表現の自由が民主主義の基盤であることを痛感させられる訴訟でもあった。

                             ☆

集団自決訴訟の最高裁判断に関して、愛媛新聞の社説は、軸足は左派ながら、比較的冷静な分析ができている。保存資料として引用した。

この問題を一番熟知しているはずの沖縄2紙の社説よりはるかに裁判の本質をつかんでいる。

史実の認定が、法廷に持ち込まれたことには違和感がある。今後とも学会などで論議を深めていくことが必要だ

裁判の核心が「軍命の有無」であることはいうまでもないが、社説が指摘するように、史実の認定を争うのは裁判にはなじまない。 したがって原告側は名誉毀損で提訴し、その名誉を毀損している出版物の出版差し止めを請求し、同時に名誉回復を図るというのがこの裁判の本質である。

■被告大江側「言論(出版)の自由」vs原告元隊長側「人権保護

言い換えれば被告側の「言論(出版)の自由」に対して、出版(言論)に「よって踏みにじられたに原告側の「人権保護」の対決ということもできる。

結局『沖縄ノート』の内容に間違いがあっても、表現の自由を守るためには「寛容さ」をもって我慢せよ、というのが最高裁の判断ということになる。

人権保護には喧しいはずの日本の司法が両隊長の人権を踏みにじってでも、ノーベル賞作家の表現の自由を守れと判断したのだ。

大阪高裁が、尊敬するノーベル賞作家の「表現の自由」と 侮蔑すべき元軍人の「人権保護」を秤にかけたらどうなるか。

大阪交際が、判決を下した経緯はこのエントリーに詳しい。

ノーベル賞作家への配慮が裁判官を萎縮させた!秦郁彦氏

 

大江健三郎氏が40年前に『沖縄ノート』を書くにあたって真実と信じ込んだ『鉄の暴風』は、その後の検証により伝聞と風評のみのデタラメな本だということが分かっている。 当然それを引き写した『沖縄ノート』に間違いがあることは最高裁も認めるところである。

だが、最高裁が次のように「無価値でない」と決め付けることで、大江氏が増長して「高校生にも読ませたい」みたいな思い上がった発言をすることに危惧を覚える

>仮に後の資料から誤りとみなされる主張も言論の場で無価値とはいえず、これに対する寛容さこそが自由な言論の発展を保障する

大江氏の意味不明な文体で書かれ、しかも事実誤認の入り交じった『沖縄ノート』が、『鉄の暴風』と並んで沖縄戦記のバイブルとなることを危惧する。

沖縄紙に識者として頻繁に登場する小牧薫氏は、被告側支援団体の事務局長でありながら『沖縄ノート』の内容に問題があることを認めているくらいだ。

小牧氏がやしきたかじんの「そこまでいって委員会」に高嶋伸欣琉球大学名誉教授と二人で出演したときの様子を、過去エントリーから次に抜粋引用する。

被告支援事務局長が「沖縄ノート」を批判!■
 
圧巻は大江健三郎氏の『沖縄ノート』を掲げて、大江応援団にこれを批判させたこと。
 
 
 勝谷さん
根本的なことを小牧さんに、大江裁判のことを聞きたいけども、さっきね、現場を調べて事実はどうだったかっていうことが大事だとおっしゃいましたよね。(大江は現場調べてないのに『沖縄ノート』で)何で人のことを『ペテン』『屠殺者』『戦争犯罪人』って書ける?僕はこれだけで十分名誉棄損だと。皆さん読んで下さい。これね、戦後最悪の本です」(宮崎さんとあと何人か同意)

 小牧さんの反論。
 「私たち沖縄戦裁判支援連絡会は、大江さんや岩波書店を支援しているのではありません。あの裁判が不当な沖縄戦の事実の歪曲をしてるから。沖縄戦の真実を明らかにして広めたいと活動してる。だから勝谷さんが大江さんの『沖縄ノート』をどう思われるかは、それは勝手なことで」

 辛坊さんが「じゃあ小牧さんは『沖縄ノート』についてはどうお考えですか?」とGJツッコミ。
 すると小牧さん、「内容については一定の批判があります」。(
ぼやきくっくりさん)
 
勝谷さんの迫力に押されて小牧氏は驚くべきことを発言してしまった。
 
なんと!大江・岩波沖縄戦裁判支援連絡会事務局長である小牧 薫氏が、「大江健三郎氏や岩波書店を支援しているわけではない。 『沖縄ノート』には一定の批判がある」と白状してしまったのだ。
 
応援団長が、応援すべき相手を必ずしも支援していないし問題になった「沖縄ノート」に対して批判があるというのだ! 
 
 
             ☆
 
大江健三郎は、最高裁が内容の誤りを認め、応援団長の小牧氏が内容に疑問を呈している『沖縄ノート』を、高校生にも読ませたいと嘯いている。
 
この男の辞書には、恥の一文字が欠落しているのであろう。
 
コメント (8)

恩知らずと恥知らずの二本立て!「安倍元首相に恩を仇で返す」立憲民主党・原口一博が大炎上 国葬欠席で

2022-09-18 12:16:20 | 政治

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「安倍元首相に恩を仇で返す」立憲民主党・原口一博が大炎上 国葬欠席で

 

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オキナワの黒歴史

2022-09-18 11:10:14 | ●●沖縄の黒歴史

『狼魔人日記』が暴く

オキナワ『黒歴史』

・・・歪められた沖縄戦後史

 

前書き

目次

第一編 GHQの公職追放と沖縄

・敗戦直後、アメリカは沖縄返還を考えていた

・マッカーサーの「沖縄領有」を阻止した「天皇メッセージ」

・QHQは何故沖縄に公職追放を適用しなかったか

・自虐史観の原点は「敗戦利得者」

・沖縄の戦後史は「敗戦利得者」が作った

第三編 沖縄「集団自決」の解明

日本軍は住民を守らなかった

・当初は軍命を否定した証言者たち

・「集団自決」の解明は援護法と政府の関係にある。

・援護法を利用した援護金詐欺とは

・援護法の裏手引書の出現

・援護法のカラクリを自白した石原教授

第三編 沖縄をダメにした四人の「カリスマ」」

瀬長亀次郎

・左翼から翼賛会に転向、戦後左翼に戻った「不屈の男

太田昌秀

・デタラメ沖縄戦記でボロ儲け、沖縄最強の「敗戦利得者」

翁長雄志・「辺野古阻止」で県民を騙した嘘つき男

・嘘も方便、「辺野古阻止」で県民を騙した嘘つき男

玉城デニー・口も軽いが頭も軽いオミコシ男

 

第四編 ウクライナ戦争と台湾有事

・台湾有事より、尖閣有事が先の理由

・軍事戦略のパラドックス、軍事大国は軍事小国敗北する

・中国は現状現状維持の曖昧作戦

 
「鬼畜米英」と「ストックホルム症候群」■

8月15日の玉音放送で日本人の価値観は根底からひっくり返った。

玉音放送の約2週間後、GHQ最高司令官マッカーサーが、丸腰でコーンパイプを片手に専用機バターン号から日本に降り立った。その日から、日本人の心理状態は精神医学上極めて興味ある状況に陥る。バターン号とはマッカーサーが日本軍に惨敗したバターン半島での戦いとそれに続くバターン死の行進へマッカーサーの執念を物語ている。 マッカ―サーはフィリピンの戦闘で自分の戦歴に「敗北の屈辱」を与えた日本に、復讐のためやってきた。 二度と日本が立ち上がれないように、大日本帝国を解体するために。

だが戦時中、鬼畜米英と恐れられたアメリカ軍は意外と紳士的だった。

戦勝国の軍隊が敗戦国の住民に接する場合、略奪と女性への暴行は国により国民性に差が出てくる。

日ソ不可侵条約を踏みにじって満州に侵略したソ連兵の日本人に対する暴虐やベルリン陥落でソ連兵が行った女性への性的暴行は今でも語り草である。

その点、占領軍のアメリカ兵が日本の国民に接した対応は、比較的紳士的だった。 少なくとも、ソ連兵が満州で行った日本国民に対する乱暴狼藉にくらべたら、はるかに米兵は紳士的だった。(この原稿を書いている2022年のウクライナ戦争におけるロシア兵のウクライナ住民への虐殺行為を見れば夫々の国の国民性の違いを知るだろう。)

あくまでも比較の問題だが、日本を占領した軍隊がソ連兵ではなく、米兵であったことはラッキーと言えなくもない。

日本を占領した米兵は先ず、ガムとチョコレートで、子供たちの心を鷲づかみにした。

それだけではない。マッカーサーは、これまで日本には無いと思われていた「自由と民主主義」を手土産に持ってきた。

以後マッカーサーは、7年の間、占領下という閉鎖空間で日本人と共に暮らすこととなる。ここに日本人は、後に精神医学用語となる「ストックホルム症候群」を全国的に体験することになる。

ストックホルム症候群とは、
1973年、ストックホルムで起きた銀行強盗による人質を盾にした銀行立てこもり事件に由来する。

4人の人質の犯人に対する複雑な人間の心理状態を指すための言葉で、人質は被害者であったにも関わらず長期間犯人と時間を共にすることによって、最終的には犯人に対して連帯感、親近感、同情を感じるようになる。 そして犯人逮捕の際彼らは感謝すべき警察を非難し、非難すべき犯人を支持した。この人質の心理状況が後にストックホルム症候群と言われるようになる。

米軍の日本占領時で例えれば、凶悪犯人は鬼畜と思った米軍の総大将マッカーサーであり、人質は敗戦国民の日本人、そして人質現場の銀行は、米軍占領下の日本にあたる。

見た目が強面で昔ヤンキーだったという男が、普通に接していても「優しい」と感じる心理状態も同じと考えられる。

 

「ストックホルム症候群」は特に「鉄の暴風」と呼ばれる地上戦の激しかった沖縄戦で顕著に現れた。
沖縄でも終戦を待たず米軍の捕虜になった人は価値観の逆転を味わった。

鬼畜のはずの米兵が食料を与え怪我人の治療をしてくれた。

敗戦直後、沖縄戦のバイブルと言われた『鉄の暴風』(沖縄タイムス刊)の初版には、米軍のヒューマニズムが賞賛された。

同書の序文にこうある。

「この動乱を通し、われわれが、おそらく終生忘れ得ないのは、米軍の高いヒューマニズムであった。 国境と民族を超えた彼らの人類愛によって、生き残りの沖縄人は生命を保護され、あらゆる支援を与えられて、更生第一歩を踏み出すことができた。 このことを特筆しておきたい」。1950年版から一言の言及もなく削除されている)

 たしかに、戦場の各所で、多くの住民が米軍に救出され、その救出劇を見た住民が米軍に暖かいイメージを抱いたとしても不思議ではない。 当時の沖縄住民は日本の敗残兵に見離され、米国の被保護者に転落していたのだから。

県民を守るはずの日本兵は、武器・弾薬を持たず食糧補給もままならず、無残な姿で逃げ回っていた。県民を壕から追い出して自決する日本軍は「敵」になった。少なくとも敵に見えた。この瞬間米軍は解放軍になった。


更に沖縄を日本から永久分断するための米軍の心理作戦、そしてそのため善意を強調する米軍との共同生活は、沖縄でも「人道的米軍」という心理状態に陥った。
この辺の複雑な心境を、後に「集団自決」の証人となった宮城晴美氏は次のように書き残している

米軍に保護された住民にとって、それまでの『兵隊さん』は、いつしか『日本兵』という“敵”に変わっていた。住民は、すっかり”親米派”になっていたのである。『お国のために』と信じ、日本軍と行動をともにしてきた私の母・宮城初枝も、大けがをして投降したものの、島の人たちからあらぬ噂をたてられ、日本軍に加担したとして批判の的にされていた。
戦争は終わった。しかし母にとっての”戦争”は終わらなかった。さまざまなできごとが戦後に尾を引き、母はその当事者になってしまうのである。≫
(宮城晴美著 「母の遺したもの」)


創業したのは奄美群島出身の故・元山嘉志富さん。

アメリカ統治下の沖縄には、米軍相手にひと山当てようと、沖縄の外からも大勢の人が集まり、基地の周辺は活況を呈していました。

元山さんもそうした1人で、故郷から親族や若手を呼び寄せ、従業員として雇いました。
左側の白髪の男性が元山さん
「ニューヨークレストラン」の経営は、すぐに軌道に乗りました。

元山さんに呼び寄せられた1人が、おいの徳富清次さん(77)。

2008年まで「ニューヨークレストラン」を経営しました。

沖縄に「アメリカンドリーム」を夢見て海を渡った当時、徳富さんはまだ小学生でした。

レストランで働き始めた徳富さんに任された仕事のひとつが、ステーキを焼くためのまき割り作業でした。

沖縄本島北部、深い森が広がる通称「やんばる」からトラックで運ばれてくる丸太を必死に割ってまきを作った作業が今でも忘れられない思い出だと言います。

憧れのライフスタイル

レストランで徳富さんが目の当たりにしたのは、豊かなアメリカ人の姿でした。

当時のコザの街はアメリカ兵であふれていました。

女性を連れ、毎晩のように店を訪れる兵士たちは、300グラムのステーキを勢いよくぺろりと平らげ、気前よく大量のドルを落としていきました。

店で売るハンバーガーも、サンドイッチも、コーラも、飛ぶように売れに売れました。

当時、立派な家が建つのに必要だった2000ドルを、たった1日で売り上げた日もあったというほど、街は好景気に沸いていました。

徳富さんの目に映る米兵はみな“紳士”でした。
「兵士が歩くときには必ずボタンをきっちり締めて、きれいな姿で歩く。飲みに行くときには、床屋で髪を整える。その頃の兵隊は、紳士だった」
太平洋末期の地上戦で焦土となった沖縄。

戦時に作られた文書、写真等が国策、或いは軍の作戦に沿ったプロパガンダ的要素に満ちていることはよく知られている。

後世これらの文書や写真を検証する場合、これらがどのような意図を持って製作されたか、その背景を検証しないとせっかくの資料が時代を見誤る有害物にもなりかねない。

沖縄戦といえば、日本軍が住民を壕から追い出したとか、凄惨な集団自決に追いこんだとか住民を守らない残虐な日本軍のイメージが強調されて来た。

他方、「アメリカ軍は人道的であり、沖縄住民を残酷な日本軍から救うためにやって来た平和と民主主義の守護者、“解放者”である」かのような、アメリカが作った情報がまかり通ってきた。 

■戦場カメラマンが同行した沖縄戦

アメリカ軍は沖縄侵攻作戦を、「アイスバーグ作戦」と名付け、それまでの太平洋戦争ではみられなかったカメラマン部隊を投入し、沖縄戦の様子を克明に記録している。

それらの記録映像には老女を壕から助け出したり、赤ん坊を抱いてミルクを飲ませたり或いは住民の負傷者に手当てをしているヒューマニズム溢れる米兵の姿を記録した。写っている米兵は気のせいかハンサムで体格のいい白人が多い。

実際に沖縄に上陸した米軍は白人、黒人それにフィリピン人や日系二世も混じっていたが、プロパガンダとして残す人道的米兵としてはハンサムな白人の若者が適役だったのだろう。

それらの映像記録は、未編集のまま米国国立公文書館に保存されているが、「1フィート運動の会」によってその大部分は収集されている。

だが、スチール写真等は、沖縄の米軍統治時代に「琉米親善」のプロパガンダに利用された。

米軍の従軍カメラマンの中には、有名なアーニーパイルも含まれていた。

彼の名は70歳代以上の人なら東京の「アーニーパイル劇場」として記憶にあるだろう。

だが、アーニーパイルは米軍占領下の沖縄で小学校時代を過ごした人なら、沖縄戦で日本兵の狙撃により非業の最期を遂げた英雄として学校で教えられていたのを思い出すだろう。

イメージとしては沖縄を解放しに来た“解放軍”の従軍記者が、侵略者・日本軍の狙撃により非業の戦死をしたという英雄物語である。

(沖縄の伊江島にあるアーニーパイル記念碑)

終戦当時ルーズベルト米大統領の名は知らなくともアーニーパイルの名は知っている小学生、中学生は沖縄には多数いたくらいだ。

アーニーパイルは第二次世界大戦に従軍記者として同行し、1944年にピューリッツァー賞を受賞するなど、第二次世界大戦期のアメリカの従軍記者を代表する存在の1人となったが、翌年4月に従軍先の沖縄県伊江島にて日本軍の機関銃から射撃を受け戦死した。遺体は一度現地に埋葬されたのち米軍基地に移され、1949年にハワイ・ホノルルの国立太平洋記念墓地に埋葬された。毎年4月18日に最期の地となった伊江村で慰霊祭が行われる。

戦後、日本を占領下においたGHQが東京宝塚劇場を接収した際、アメリカ軍の強い要望により「アーニー・パイル劇場」と名付けられた。

アメリカ軍統治時代の那覇の国際通りにも、米軍政府と琉球政府の協力で「アーニーパイル国際劇場」という映画館が建設された。「アーニーパイル国際劇場がある通り」から現在「国際通り」と呼ばれるようになった。

■マッカーサーの沖縄領土化計画と「太平洋の要石」

マッカサ―は沖縄をを本土と分離し、アメリカの領土にする計画だった。

 その最大の根拠は、アメリカが中国、アジア支配の戦略のために、そして沖縄を共産主義の防波堤として気兼ねなく使うためであった。

マッカーサーが沖縄をアメリカの領土にする意図を持っていた証拠は、沖縄戦後史の研究家R・エルドリッジ博士が、その著書『沖縄問題の起源』で「マッカーサー覚書」として紹介している。この「マッカーサー覚書」については後で詳述する。

アメリカは、沖縄戦が終結する前に沖縄について綿密な調査研究をしていた。

マッカーサーは、沖縄人と日本人は違う民族であり、沖縄人は明治期以降武力で日本の植民地とされた被支配民族と言う捉えていた。

そのため収容された捕虜収容所でもはじめから本土兵と沖縄兵を分離するなど、本土と沖縄の対立を意図的に組織した。

このアメリカの意識的な本土・沖縄分断策は成功し、施政権返還後も一部のグループに受け継がれている。

以下に引用する大田前沖縄県知事の著書「沖縄の決断」の紹介文にこれが凝縮されている。

まぎれもなく、沖縄はかつて日本国の植民地であった。

古くは薩摩の過酷な搾取に支配され、太平洋戦争で沖縄県民は軍務に活用され、やがて切り捨てられ、そして卑劣にも虐待された歴史がある。

その意味では、沖縄戦のあとに上陸してきたアメリカ軍は沖縄にとって解放軍のはずだった。≫
(大田昌秀著「沖縄の決断」朝日新聞社刊)

◆参考:この情報に注目! http://www.kamiura.com/chuu18.htm

米軍が沖縄に上陸した時点で米軍の侵攻作戦には、密かに分類した三つのカテゴリーがあった。

①「解放者」は、米軍であり正義と民主主義の伝道者。

②「侵略者」(沖縄を異民族として侵略)は、日本軍であり、独裁・侵略国家の先鋒

③「被侵略者」は、沖縄住民であり、残忍な日本軍の被害者

 

■掌返しの日本国民


マッカーサーが7年後日本を去るとき「鬼畜」は「親愛なるマッカーサー様」に様変わりしていた。

マッカーサーのもとには日本国中から感謝と惜別の念に満ちた数万通の手紙と贈り物が届けられていたと言う。

当時のNHKはその模様を次のように報じている。

「4月16日午前6時半、マッカーサー元帥は夫人、令息同伴でアメリカ大使館を出発、帰国の途に就きました。朝早くから詰めかけた人々が20万を超え、沿道をうずめ尽くしました。19発の礼砲とどろくうちを、車は羽田空港に到着。吉田首相と堅く握手を交わすマッカーサー元帥。手を振っていつまでも別れを惜しむ元帥夫人。いよいよ出発の時刻が迫りました。見送るリッジウェイ総司令官。愛機バターン号は静かに日本を離れ、一路アメリカに向かいました。」

マッカーサーに対する掌返しが最も甚だしかったのは朝日新聞だった。

「鬼畜米英」など日本国民を煽った朝日新聞は、マッカーサーの日本上陸と共にマッカーサー教徒に変身した。

マッカ―サの帰国時、朝日新聞は「われわれに民主主義、平和主義のよさを教え、日本国民をこの明るい道へ親切に導いてくれたのはマ元帥だった」(昭和26年4月12日)と報じた。 そして驚いたことには、朝日新聞社の長谷部忠社長は、マッカーサーをご神体にした「マッカーサー神社」を作ろうとしていた。

結局「マッカーサー神社」の建設は不首尾に終わったが、今考えると建設して欲しかった。 そして「平和憲法」と並んで世界遺産に登録して欲しかった。

■マッカーサーの置き土産-焚書坑儒

だが、マッカーサーが日本に残したものは「民主主義」や「言論の自由」の他に、秦の始皇帝並みの「焚書坑儒」があった。「焚書」では文字通りGHQにとって不都合な書籍が没収・処分されたが、「坑儒」とは、戦前からの知識人を震え上がらせた「公職追放」のことである。
特に戦後日本の言論界や思想界に悪影響を与えた「坑儒」は、教育追放である。

■マッカーサーの功罪

マッカーサーは当時のアメリカでも実施していなかった男女平等を始めとする数々の民主主義の理想を持ち込んだが、軍人でありながら何故このよう、現在でも類のない理想主義に満ちていたたのか。

その鍵をとく為に彼が日本に第一歩を印すまでの足跡を辿ってみる。

バターンの復讐

マッカーサー、この誇り高きエリート軍人はフィリピンでは日本軍に敗走の屈辱を味合わされた。

挌下と見下していた黄色民族の軍隊に敗走する事は彼の辞書には無かった。

ダグラス・マッカーサーは1880年1月26日アーカンソー州リトルロック生まれる。父親のアーサー・マッカーサー・ジュニア中将は南北戦争の退役軍人であり名誉勲章を受章している職業軍人家系だった。

1898年、アメリカ陸軍士官学校に入学し、1903年に陸軍少尉になり卒業した。その成績はアメリカ陸軍士官学校史上最高で、マッカーサーの取った成績以上の成績で卒業したものは未だに現れていない。

1942年5月7日、その誇り高きマッカーサーがフィリピン・コレヒドールで日本軍本間中将との戦いに敗れてオーストラリアに敗走する。

この屈辱の負け惜しみに「I shall return」(必ず戻る)という有名な言葉を残した。

彼の屈辱の敗走の2年後、彼より10歳若いアイゼンハワーがヨーロッパ戦線でノルマンディ作戦を指揮して世界的英雄になった。

後に米大統領となるアイゼンハワーは、一時マッカーサーの部下として補佐官を務めた時期もあり、軍人として必ずしもエリートコースを歩んでおらず一時は閑職で燻っていた時期もあった。

一方、マッカーサーは軍人のエリートコースを歩みながら、その巧みな雄弁術はむしろ政治家を志向し、戦後大統領候補にもなっている。

かつての部下のアイゼンハワーが連合国遠征軍最高司令官として「ノルマンディ作戦」を指揮し大成功を収めたニュースを忸怩たる思いで聞いていた。 そしてアイゼンハワーが戦後、アメリカ大統領になろうとは夢想もしていなかった。

日本占領までのマッカーサーはフィリピンでの屈辱を晴らす復讐の念に燃えていた。

それには日本の軍隊を徹底的に壊滅させる必要があった。

日本を手足のもぎ取られた子羊のように、二度と米国に反抗できない状態にしておく意図に燃えていた。

そのためには日本国憲法の設定、その中でも交戦権の否認は不可欠であった。

■マッカーサー 皇居を睥睨しながら執務をした■

マッカーサーは皇居に面した第一生命ビルの6階に占領軍の本部を構えた。

そこから皇居を見下ろして天皇の権威の上に君臨する全能の権力者となった。

日本の歴史上権力と権威を1人で独占して日本を統治した者は彼をおいて他に例が無い。

日本の歴史では朝廷の権威と幕府の権力は常に補完しあってきた。

マッカーサーと言えば日本に「自由と民主主義」を普及させた恩人とと見られている。

しかし彼が日本で最初に行ったことは「自由と民主主義」とは逆の「焚書坑儒」であった。

「焚書坑儒」とは中国の専売特許かと思ったらマッカーサーもこれを行った。

秦の始皇帝にも劣らぬ絶大な権力を振るったマッカーサーなら「焚書坑儒」もけして不思議ではない。

マッカーサー司令部は昭和21年3月に一通の覚え書きを出して、戦時中の日本の特定の書物を書物の存在すべきあらゆる場所から没収し、廃棄することを日本政府に指示した。

書物没収のためのこの措置は時間とともに次第に大がかりとなる。

昭和23年文部省の所管に移って、各都道府県に担当者が置かれ、大規模に、しかし、秘密裏に行わた。

没収対象の図書は7千7百余種に及んだという。

そのとき処理し易いように作成されたチェックリストが分厚い一冊の本として公開されている。

戦後のWar Guilt Informasion Programの一環であった私信にまで及ぶ『検閲』の実態はかなり知られている。

だが、数千冊の書物の『焚書』の事実はほとんどまったく知られていない。

チェックリストは、昭和57年に文部省社会教育局編として復刻され、やっと公開されるようになった。

失われた書物の内容を、殆んどの日本人は知らない。

つまり、先の大戦に関して、戦後の日本人は偏った情報を与え続けられ現在もそれが継続していることになる。

 

■「三年殺し」に潰された安倍政権■
   
マッカ―サーの「焚書」という荒業は彼の予想を遥かに越えて、60年経った現在でも日本の内部組織を破壊しつづけている。

マッカーサーの負の遺産である「戦後レジーム」。

それは「戦後民主主義」という形で今でも左翼マスコミの中に奥深く染み込んでいる。

その解消に果敢に挑んだ安倍前首相は、「戦後レジーム」そのものともいえるマスコミと左翼官僚によって見事に潰されてしまった。

 

「沖縄人は日本人にあらず」 占領米軍の分断工作工作

2007-05-16 11:43:49 | 未分類
復帰を阻止せよ!」~アメリカ軍 宣撫工作~ (2007年5月15日放映)

QAB琉球朝日放送http://www.qab.co.jp/okinawa-reversion/index.html

<沖縄が本土復帰した1972年5月。13年間、毎月発刊されてきた月刊誌がその歴史に幕を閉じました。その月刊誌は『守礼の光』。 沖縄の産業や文化、アメリカの文化などを紹介したカラー写真付きの雑誌で学校や公民館などに無料で配布されました。 『守礼の光』には、琉球の昔話も掲載されました。運玉義留、野底マーペー、空を飛んだ男・・・各地に伝わる昔話を集め、記事にしたのは沖縄のひとりの女性でした。女性は琉球文化を誇りに精力的に仕事を続け、各地を回っては口承されてきた物語を掘り起こしました。 雑誌を発行したのは、米国琉球列島高等弁務官府。しかし、それは表向きの発行元で、実際は「アメリカ陸軍・第7心理作戦部隊」が編集発行を行っていたのです。当時「第7心理作戦部隊」を知る者は殆どおらず、その存在はこれまでベールに包まれたままです。 部隊の任務はビラや放送などでアメリカ軍のアジア戦略をスムーズにする事。沖縄での仕事のひとつが『守礼の光』の発行でした。アメリカ軍は、琉球文化が色濃く表現されたその昔話の数々を大いに評価します。実はアメリカ軍にはある狙いがあったのです。 「沖縄は日本にあらず」ーアメリカ軍は日本とは違う独特の琉球文化を強調して、沖縄の人達の日本復帰への思いを逸らせようとしたのです。 >

 

第7心理作戦部隊が行った事は今で言えば広報活動のようなことだが、戦火で荒らされた沖縄にとっては「宣撫工作」としての効果は充分あったのだろう。

先ず食い物を食わしてモノを与え、それから飴と鞭で洗脳するのは情報戦の常道。

洗脳については「撫順戦犯管理所」からの帰還兵が有名である。

1950年にシベリアで捕虜となっていた日本人のうち約1100人が中国にひきわたされ、撫順、および太原で収容された。この施設の一つが撫順戦犯管理所である。

問題点
日本人が釈放されたのは1956年以降であったが、釈放された日本人捕虜はみな中国を賛美するようになっていた。これが「撫順の奇蹟」と中国では称されている。しかし釈放された人々の言動から、洗脳行為が行われたのではないかという疑いがもたれている。
(ウィキペディア)


沖縄人をあえて琉球人と呼び、<日本は琉球を侵略した異民族>と、沖縄人を洗脳した。

これらアメリカの工作は現在も一部ウチナンチュに受け継がれ、琉球独立という幻想は今でも息づいている。

アメリカが最も嫌ったサヨクの反日工作に琉球独立が利用されている事実は歴史の皮肉とも言えよう。

 

アメリカが沖縄を日本から分断する作戦だったことは沖縄上陸時から実行されていた。

これについては下記エントリで詳しく述べている。

「集団自決」の米公文書 「アメリカは解放軍だった」

 

さらに「洗脳工作」は現在でも県知事が記者の引っ掛け質問にあえて「ウチナンチュは日本人」と答えねばならぬほどねじれた形で後を引いている。

 

沖縄住民の「スパイ容疑虐殺」の真相

2008-12-21  

 沖縄戦で、米軍は上陸の前、沖縄中に「鉄の暴風」を吹き荒れさせ、沖縄住民の生命と肉体に壊滅的打撃を与えた。

米軍が上陸した後、降り注ぐ砲弾の合間に空から舞い降りてきたのは、膨大な数の「鉄の爆弾」ならぬ「紙の爆弾」であった。

炸裂する砲弾に替わる「紙爆弾」は、今度は沖縄住民の心を破壊していった。

沖縄戦で米軍は沖縄住民の身体のみならず心も共に破壊したのだ。

 

太田昌秀著『沖縄戦下の米日心理作戦』は、米軍が沖縄戦で行った心理作戦ついて、次のように述べている。

さる太平洋戦争末期の沖縄戦では、米軍が空から撒いた一枚の宣伝ビラ読んで命が助かった人もいれば、それを所持していただけでスパイの汚名を着せられ命を落としたものもいた。このように戦時中、軍人も民間人も一枚の宣伝ビラの対応いかんによって文字どおり、生死を分かったのである。 一片の紙片は、まさに「紙爆弾」そのものだった。 沖縄戦で日本軍は、敵が散布した宣伝ビラを拾ったまま警察や憲兵に届けないで所持しているものは「銃殺に処す」と厳命を下していた。>(『沖縄戦下の米日心理作戦』太田昌秀 岩波書店)

「紙爆弾」といわれる宣伝ビラは、60数万枚にも及ぶ膨大な数量が、小さな島にばら撒かれた。

その種類も日本軍用、沖縄住民用と内容が別れ、

目的別に更に20種類に細分されるという徹底ぶりだった。

だが、米軍の心理作戦部隊が最も重要視したのは、

本土出身の将兵と地元住民との仲を疑心暗鬼の状態にして、

お互い離反させることであった。

沖縄住民と日本兵との間に楔を打ち込むことを目的にした宣伝ビラの例には、次のようなものがある。

沖縄住民用ビラ

<この戦争は、沖縄の皆さんの戦争ではありません。貴方たち沖縄人は、内地人の手先に使われているのです。皆さんは、彼ら内地人の犠牲になっているのではありませんか。(略)>(『沖縄戦した米日心理作戦」)

このような沖縄人用の宣伝ビラを読むと、60数年前に米軍が書いたビラながら、その呪縛は現在の沖縄にも生きており、今でもどこかで良く見るアジ文である。

 

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【志位和夫をイジメるな!人の性癖を笑うな!ネトウヨは最低だ!日本人の品位はどこ行った!】日本は多様性を認める国になり下がったんだ!海外大使に国葬不参加を強制しても心が女の男が女湯に突撃しても全て許され

2022-09-18 07:37:08 | 政治

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志位さんがドMかよ~しかも、変態プレーがお好きなんだぁ~まぁ~本人の趣味だから文句は言わない。けど、大爆笑するネタとしては最高だ~️酒呑みながら聴いていたら、吹出しちまったじゃ~ねぇかぁ~
 
 

 

【志位和夫をイジメるな!人の性癖を笑うな!ネトウヨは最低だ!日本人の品位はどこ行った!】日本は多様性を認める国になり下がったんだ!海外大使に国葬不参加を強制しても心が女の男が女湯に突撃しても全て許され

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国葬に参列する野田元総理を糾弾する左翼の面々!そして山上を礼賛する人々・・・(22/9/17)

2022-09-18 04:41:49 | 政治

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大使館にトンデモない物を送り付ける国葬反対派に唖然

2022-09-17 18:23:58 | 政治

 

 

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世界に恥を晒す「アベガー」

今度の恥は「コクソ―ガ―」

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【立憲終了】蓮舫が国葬に出席する立憲最大支持団体の連合会長を批判【改憲君主党チャンネル】

2022-09-17 14:07:36 | 政治

 

 

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野田元首相はサムライ!、立民・野田元首相が国葬参列へ

2022-09-17 05:45:06 | 政治

 

 

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立民・野田元首相が国葬参列へ 党執行役員に該当せず

配信

主義思想は異なっても、野田元首相の国葬参列を評価する。
 
ルーズベルト米大統領に弔電を打って世界の称賛を浴びた鈴木貫太郎首相
 
武田信玄の死を悲しんだのは、最大のライバル上杉謙信だという。
 
日本には未だサムライ魂を持つ政治家がいた。
 
蓮舫氏なんかと比べて人としての格の大きさの違いを感じました。
共同通信

白鳥浩2時間前
法政大学大学院教授/現代政治分析

報告
野田氏が安倍氏の国葬に参列されるという。
これには元首相としての政治家の品位、品格を感じた。

人の死を政争の具にするという事は本来残念なことである。
法的、手続き的な問題は国葬にはあるものの、そうした問題よりも、暴力によって一国の首相経験者がなくなったということがある。
そのことは厳然とした事実である。

野田氏には、政権を安倍氏によって奪われたという思いもあったはずだ。
しかしながら、そうした思いを乗り越えて、人間としての人生観を優先させるという所に、野田氏の品格を感じる。

野党であれば、それほど安倍氏を悼む機会もなかったかもしれない。
最後に同じ総理経験者として花を手向け、総理経験者同士のこころの会話はあるのではないだろうか。

死者を悼むことと、法的制度的な問題は別個に検討する必要がある。
野田氏の決断は、日本政治の幅の広さ、政治人の行う品格を示した。


参考になった
3199
ajq*****
ajq*****6時間前
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野田さんのコメント
『内閣総理大臣の経験者は64人しかない。その重圧と孤独を、私も短い期間だが味わっている。それを最も長く経験された方だ。元総理が元総理の葬儀に出ないというのは私としては人生観から外れる。『長い間ご苦労さまでした』と花をたむけてお別れすることはしたい』

安倍さんの政策には賛否あるし、国葬の法的根拠がないのも確かだが、人の死を政争のネタに利用する野党議員の節操のなさには辟易していたので、まともな意見を言える人が野党にいてよかった。


返信
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str*****
str*****7時間前
非表示・報告
>野田氏周辺は「安倍氏の死去時にショックを受けていた。同じ首相経験者として特別な思いがあるのだろう」と語った。


この方は色々と思いがあるでしょうね。

国会での追悼演説も適任だと思います。

立憲民主党の執行部役員は欠席と決めましたが、反対していたから参列してはいけないということはないと思います。

前日までは反対するけど、弔意を表さないのは本意ではないということで参加するというのもありだと思います。

それぞれの議員の参加不参加は自由にして、お互いに干渉しないというのでも良かったと思います。


返信
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nao*****
nao*****6時間前
非表示・報告
野田さんは松下政経塾出身でもあり本来は保守派。
国政デビューは自民党から分裂した新自由クラブ所属であり、その流れで旧民主党所属となり総理大臣になり、その後分裂、解党などを重ねながら現立憲民主党の所属議員。
いる場所の環境は変わってしまっても本人の政治信念は変わらず、かと言って旧民主党最後の総理であり戦犯意識があるから表立った発言はしないという武士の意思を持った人だと思う。


返信
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mur*****
mur*****5時間前
非表示・報告
野田氏は本当であれば自民党にいてもいいような人です。しかも野田氏の後に安倍氏が総理になっている。国会でのやり取りもとても良かった。ある意味立場は違っても戦友なんじゃないかと思う。出席は当たり前だと思う。立憲執行部が欠席する事自体が問題なんです。意見は違っても一緒に国会で戦いあった人が凶弾に倒れた場合それなりの敬意をもって送る事は普通であり、外国からも要人が来てくれているのに出席しないのは失礼に当たると思う。野田さんは良識があるので出席するんでしょう。


返信
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tpd*****
tpd*****5時間前
非表示・報告
これは「国葬だから……」のパフォーマンスでは無く、正に「弔慰」からの弔い出席でしょうね。本来、有志・政府で行っていれば、大した問題にもならず、税金からの支出が多少有っても反対なんか極一部で、静かに故人を偲ぶ別れの時を持てたでしょうに、残念です。国葬決定と強行には断固反対ですが、こうした「真の弔問者」の選び取りまで非難する気は起きません。間違いは間違いとして声は上げても、心からの弔慰を否定する権利は誰ももっていない。野田さんの選択は、大いに支持します。


返信
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グッサン
グッサン7時間前
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野田元総理が政治家を目指したきっかけはケネディ大統領の暗殺事件らしいです。その後「政治家は命懸け」ということを知り政治家を志し県議を経て総理大臣までのぼりつめられた。それゆえ日本での大物政治家の暗殺について思うところは色々とあるのでしょう。そして安倍総理との関係は10年前野田総理が突如解散を宣言した党首討論でしょう。動画を改めて見ましたがお互い与野党第一党の宿敵同士であるが、臆することなく意見を本気でぶつけ合っていた。心の中で友情が生まれたのでしょう。武田信玄の死を上杉謙信が誰よりも悲しんだのと同じで最大のライバルは現れない悲しさ私もよく理解できます。蓮舫氏なんかと比べて人としての格の大きさの違いを感じました。


返信
36

12109

593
引退
引退6時間前
非表示・報告
追悼演説も野田元首相が適任です。
この方が船橋で何故あれほど強固な地盤を持ってるかと言えば、
この国を良くしたいという信念で政治をやっている事が
千葉4区の有権者には伝わっているからだと思います。
党は違えど同期議員、外交に危機感を持っていた安倍元首相と
社会保障に危機感を持っていた野田元首相。
政治に何かしらの信念を持っていたのは共通項だと思います。


返信
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sun*****
sun*****5時間前
非表示・報告
純粋に良い意味でまともな政治家、まともな人なのだと思う。
党利党略云々でも、安倍氏がどうと言う事でもなく、同じ責務を経験した人として、最後に別れを、と言うのは極めて自然だと思うし共感できる。

本件とは別に、野田氏が新党を興し、今の良く判らない立民の連中が入らないなら、自分は自民党と適切な距離感を保ちつつも、是々非々の議論をする野党として応援したいと思う。


返信
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342
imajin
imajin5時間前
非表示・報告
元総理としてまた一人の国会議員として大きな悲しみとショックを受けた野田さんの心情をお察し申しげます。
葬儀の手段方法への見解の相違や立場を最終的には超えた行動に政治家として敬意を表します。
国葬に対する共産及び立憲の主張は理解できましたので最終的に止む無く葬儀に出席するか黙認する姿があれば国会全体及び議員に対する国民の信頼が集約されたのではと残念です。
課題にもよりますが今回は「賛否と出欠」異なった方が主張が理解し易い様に感じます。
改めて野田元総理に敬意を表します。


返信
16

5603

418
tmy*****
tmy*****5時間前
非表示・報告
野田氏は首相経験者なので、首相の職務の大変さをよくわかっていて、そういった意味では仲間意識があって与野党関係なく人生観で判断されたんだと思います。
結果論ですが、執行役員でなくて良かったというべきかどうかという問題ですが、党執行役員だった場合の方が新執行部に対して野田氏は執行部に働きかけて党代表は与党になったら首相になるわけで、納得できない部分はあるが、野党の代表として色々質問をした相手なわけでそういった意味で出席を促す動きにつながった可能性はあったように思います。
いずれにせよ執行部と以外の議員のダブルスタンダードは今後も立民が低迷する原因になると思う。

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【蓮舫 内ゲバ】支持母体の会長にケンカ売る【外国人記者】国葬デモが老人ばかり!なぜですか?と左翼代表に質問

2022-09-17 05:41:42 | 政治

【蓮舫 内ゲバ】支持母体の会長にケンカ売る【外国人記者】国葬デモが老人ばかり!なぜですか?と左翼代表に質問

 

 

【国葬反対派 絶望】地裁も高裁も「差し止め」却下【玉川徹】放送事故レベル!石原良純と激論

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国葬デモに参加する人たちの本当の目的は●●だった…彼女たちの実態が恐ろしい…【 安倍 国葬 ホリエモン 暴露 ガーシーch 安倍元首相 】

2022-09-16 13:20:34 | 政治

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国葬デモに参加する人たちの本当の目的は●●だった…彼女たちの実態が恐ろしい…【 安倍 国葬 ホリエモン 暴露 ガーシーch 安倍元首相 】

 

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国葬反対!仕方がない、立憲民主党だもの

2022-09-16 09:13:15 | 政治

 

 

 

 

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【泉代表 国葬欠席】完全にやらかした話【ミヤネ屋に異変】統一教会の圧力か!いや別の理由でしょ

いい加減にしろ!立憲民主党!!!!(22/9/15)

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国葬反対デモ主催者に外国人記者「どうして高齢者ばかり

2022-09-16 08:11:02 | 政治

 

 

 

 

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国葬反対デモ主催者に外国人記者「どうして高齢者ばかりで若者が少ないの?」と痛すぎる事実を突きつけてしまう

れいわ新選組、安倍元総理の「国葬儀ボイコット」を表明 開催までの期間が長過ぎて勢い付く国葬反対派

 

安倍元総理の国葬、日本の未来を担う18〜39歳の3分の2が賛成。上念司も断固支持します。世論を二分とか言ってるマスコミ、算数勉強しなおすか?

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